融合と抵抗、日本のロック史(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日4月2日は、2016年、イギリス、ロンドンのウェンブリー・アリーナでBABYMETALが日本人初めてのアーティストとしてライブを行った日DEATH。

 

昨日、The One限定のBABYMEATL国内単独ライブ「5大キツネ祭り」の開催が発表されました。

7月18日(火)黒キツネ祭り(男性限定)赤坂BLITZ

7月19日(水)赤キツネ祭り(女性限定)赤坂BLITZ

7月20日(木)金キツネ祭り(10代限定)赤坂BLITZ

7月25日(火)銀キツネ祭り(小学生+保護者または60歳以上限定)Zepp Diver City

7月26日(水)白キツネ祭り(白塗り限定)Zepp Diver City

8月8日(火)銀キツネ祭り(小学生+保護者or60歳以上限定)Zepp Nagoya

8月9日(水)白キツネ祭り(白塗り限定)Zepp Nagoya

8月29日(火)銀キツネ祭り(小学生+保護者or60歳以上限定)Zepp Osaka Bayside

8月30日(水)白キツネ祭り(白塗り限定)Zepp Osaka Bayside

公式サイトには一切記載がなく、The Oneのページで「呪文」を入力しないと申し込めないようになっています。日本のThe Oneには朗報。The Oneでない一般ファンの方、海外の方には?でしょうね。とりあえず行ける回には申し込みましたが、当選発表は4月19日。

 

BABYMETALの成り立ちを理解するための日本のロック史の続き。

60年代フォークからニューミュージックに行かず、ロックバンドとして海外進出に成功したバンドもある。ザ・フォーク・クルセダーズ(「帰ってきた酔っ払い」など)でフォーク界の才人と謳われた加藤和彦が、1972年に妻のミカ、角田ヒロ(現つのだ☆ひろ)、高中正義らと結成したサディスティック・ミカ・バンドである。1stシングル「サイクリングブギ」のヒット後、高橋幸宏(D、のちYMO)、小原礼(B)が加入する。1973年の1stアルバムアルバムを聴いたイギリスの著名プロデューサー、クリス・トーマスがプロデューサーとなって、1974年にセカンドアルバム『黒船』を発表。1975年にはロキシー・ミュージックの前座として全英ツアーを行い、イギリスで大人気となった。ミカは、初のジャパニーズ・ロック・クイーンと呼ばれたが、クリス・トーマスとの関係がただならぬものとなり、加藤とミカは離婚、バンドも解散してしまう。

60年代フォークからニューミュージックへもロックにも行かず、いきなりパンク/オルタナティブへ移行したバンドもある。1968年に前身のクローバー(いかにも60年代風)という名前のフォークバンドの「残り物の継続」という意味で、「Remainders of Clover Succession」と名づけられ、あの三浦友和がボンゴを担当したこともあるRCサクセションは、1978年にマキ&OZの春日博文、古井戸の仲井戸麗市を迎え入れ、忌野清志郎がグラムロック風にメイクして、遅咲きながらパンク/ロックバンドとして認知された。

 

フォークとロックの違いが、アコギかエレキかという違いであるように、エレキギターを使っていてもGSやジャズとロックの違いは、クリーンな音か、歪んでいるかの違いである。といってもクランチ~ディストーションまで幅広いけどね。

1960年代の電気製品は、トランジスター“革命”により小型化・軽量化・低価格化が進んでいた。しかし、音楽用では、トランジスターの音はクリーンで冷たく感じるのに対して、真空管を使った機器には音の「暖かみ」があった。特にギター用の真空管アンプは、ボリュームをフルアップにすると自然に歪むが、そこにナチュラルなコンプレッション(音の粒立ちが揃う)がかかり、オーバードライブ感(倍音が豊かになり、音に厚みを感じる)が生まれる。

1960年代の中頃、フルアップにすると豊かな倍音と歪みが出るアンプ(JTM45)で評判だったイギリスの手作り真空管アンプの店に、名前が同じだというアメリカ出身の黒人ギタリストが訪れた。彼はザ・フーのギタリスト、ピート・タウンゼントが特注したのと同じ100Wのアンプを作ってくれと店主に依頼した。店主の名は、ジム・マーシャル。ギタリストの本名はジミー・マーシャル・ヘンドリックス、通称ジミヘンである。(ギターマガジン2012年8月号P.55、「ジム・マーシャルアーカイブインタビュー」より)

ジミヘンは2013年「My Graduation Toss」のMVでMOAが物まねしたアフロヘアのギタリストで、BABYMETALの三人は2014年に二階建てバスで彼のアパートメントを見学しましたよね。

ジム・マーシャルはジミヘンの依頼に応じて、大音量でよく歪むアンプやスラントしたスピーカー・キャビネット(モデル名1959&1987)を製作。店にはエリック・クラプトンやリッチー・ブラックモア(200Wを特注)もたびたび訪れ、ハード・ロックギタリスト御用達のアンプと言えばMarshallという図式が出来上がっていった。BABYMETALのMVや告知画像のバックには必ず大量のMarshallアンプ、キャビネットが積み上がっていますよね。

同じ頃、GSブームに沸く60年代後半の日本では、海外から輸入される楽器は高かったため、廉価なエレキギターやアンプの国産メーカーが林立した。中には家具メーカーや家電メーカー、下駄屋さんもあったという。今ではこれらのギターやアンプは「Made in Japanのビザール楽器」として人気があるが、当時の電気回路の常識として、基本的に歪まない設計になっていたし、粗製乱造されたギターの中には、やたらスイッチやノブが並んだものや、チューニングさえ合わないものがあった。

GSブームの終了とともにギターやアンプの売り上げは激減し、数多くあったメーカーは波が引くように撤退していった。

そして70年代に入ると、高出力のピックアップをつけたギブソンレスポール、フェンダーストラトキャスターとマーシャルの組み合わせじゃなきゃ「本場」のハード・ロックの音は出ないということが分かり始める。だが、大卒初任給が5-6万円の70年代初頭、レスポールは38万円、フェンダーストラトキャスターは21万円、マーシャルアンプは50万円以上した。今の価値でいうと80万円~200万円くらい、ビンテージギターと同じだ。学生はもちろん、普通のサラリーマンでは手が出ない。なにせ1971年まで1ドル=360円だったのだから。医者の息子に生まれたCharですら、アマチュア時代には金持ちの息子で、ギブソンを持っている他のバンドのギタリストに嫉妬していたという。そういえば、プロデビューしてしばらくは、フェンダーのスチューデントモデル、ムスタングがCharの愛器だったよな。

しかし、GSブームの焼け跡の中から、本物のロックを志すミュージシャンに寄り添うメーカーが立ち上がってくる。

林立したギターメーカーの中には、技術力が高く、エピフォン、グレッチ、モズライトなどの下請けとなった楽器会社もあり、海外ブランドと同等のクオリティのギターを生産できるヤマハ、グレコ/Ibanez、フェルナンデス、アリア、トーカイ、フジゲンといったブランドが生き残っていった。ちなみに当時グレコのギターには、成毛滋のロック・ギター教則カセットが付いていたなあ。

人工的に音を歪ませるファズというエフェクターは、60年代にアメリカで開発されたものだが、日本では、よりマーシャルサウンドに近いディストーション(1974年Maxon D&S)やオーバードライブ(1978年BossOD-1)、チューブスクリーマー(1980年Ibanez TS808)といった9V電池で稼働するコンパクト・エフェクターが発売された。

こうしたメーカーのロックにかける熱意と創意工夫と努力と技術力に支えられ、70年代以降の日本で、本格的なロックシーンが誕生したのである。

もし、発展途上国のように輸入品しかなかったら、楽器はお金持ちにしか買えず、若いアマチュアのロックプレイヤーがこれほどの広がりを持つことは出来ず、90年代~2000年代と続くバンドブームも、アマチュアからプロになっていったバリエーション豊かなジャパニーズロックバンドたちも生まれなかっただろう。

GS→歌謡曲+フォーク→ニューミュージック+日本語ロック=J-POPという「融合」の流れも生まれず、KOBAMETALがテレビで聖飢魔Ⅱを見ることもなく、したがってBABYMETALも生まれなかっただろう。日本に生まれて良かった。

(つづく)