キツネ様の使徒 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日3月31日は、2013年、さくら学院2012年度卒業式(東京国際フォーラム)で、MOAがSU-に抱き着き「卒業しないで」と泣いた日DEATH。同日、神バンド帯同のFull Metal Band Live Tour 2013が発表され、BABYMETALがさくら学院から切り離されて本格的なメタルバンドとして活動していく方針が明らかとなりました。

2016年には、8月21日(日)開催のSUMMER SONIC 2016 OSAKAに出演すると発表されました。

 

西城秀樹、矢沢永吉、吉田拓郎、世良公則、デーモン閣下の共通点とは、さて何でしょう?

つけ加えるなら、もんたよしのり、原田真二、吉川晃司、奥居香、森友嵐士(T-BOLAN)、奥田民生、浜田省吾、ポルノグラフィティ、真心ブラザース、アベフトシ(Michelle Gun Elephant)、そしてPerfume。

もうおわかりですね。

全員、広島県出身のミュージシャンであります。

もちろん、ご承知の通り、わがBABYMETALのSU-METALこと中元すず香も広島出身であり、広島県PRビデオ「おしい!広島」に西城秀樹や有吉弘行と共に出演しています。

広島出身の有名人は多いが、ミュージシャンはなぜかロックっぽい人が多い。

吉田拓郎はフォークの雄だが、ぼくがお小遣いを貯めて雨のレコードショップで新譜LPを買った「今はまだ人生を語らず」は、エコーを効かせたエレクトリックギター、スライドギター、ハモンドオルガンのサザンロックっぽいサウンドだった。

原田真二はキーボーディストだが、70年代後半の歌番組で、Char、世良公則とならんで「ロック御三家」と呼ばれていた。

あくまで主観だが、坂田明(S)などジャズプレイヤーの方々を除く広島出身のミュージシャンで、「ロックではくくれないな」と思うのは、アイドルの城みちる、風見慎吾、島谷ひとみ、Perfume、中元日芽香(乃木坂46、SU-の姉)、まなみのりさ。J-POPだとペドロ&カプリシャスの高橋真梨子、JUJU、CHEMISTRYの堂珍嘉邦、19、村下孝蔵といった方々。

戦後日本の音楽界は多かれ少なかれロックの影響を受けているので、他県と比較して広島県出身ミュージシャンが、本当にロック色が強いと言えるのか?

有名ミュージシャンを輩出していることで知られる福岡県出身の方々を挙げてみよう。

ARB(石橋凌)、梓みちよ、チャゲ&飛鳥、チェッカーズ、郷ひろみ、氷川きよし、広瀬香美、家入レオ、井上陽水、海援隊、甲斐バンド、KAN、小柳ルミ子、松田聖子、MISIA、森口博子、長渕剛、永井龍雲、西川峰子、尾形大作、酒井法子、シーナ&ロケッツ、椎名林檎、高橋真梨子、徳永英明、チューリップ、山本リンダ。

このリストでは高橋真梨子が重複している(広島県廿日市生まれ、福岡県福岡市育ち)し、あくまで主観に過ぎないのだが、福岡はロックよりフォーク/ニューミュージック系&演歌が多い感じじゃないですか。ロックだぜ!といえるのはARBとシーナ&ロケッツくらいか。やっぱり広島の方が“ロック率”が高い気がする。

ちなみにウィキペディアの「広島出身の人物一覧」では、MIKIKO師が日村勇樹、村上ショージと並んで「お笑い」の項に掲載されている。一日も早く是正されんことを。

ちなみにPart 2、2012年のさくら学院社会科見学で、YUI、MOAを驚かせた明和電機の土佐信道社長も広島県(呉市)出身である。

 

前回書いたように、西城秀樹は「新御三家」で、バリバリ歌謡曲の歌手だが、長髪、プレスリーのような白いパンタロンに、ヒラヒラのついた袖と、胸元をフレディ・マーキュリーのように大きく開けた衣装、ロッド・スチュワートのようなマイクスタンドパフォーマンス、絶唱型の歌唱法、曲中のC&R、野球場での野外コンサート、ペンライト、ゴンドラなどなど、ショウアップされたロックコンサートの原型をわが国に初めて導入した偉大なロックシンガーである。

矢沢永吉は、GSブームが終焉し、“エレキ”が“ロック”に変わる草創期、高校卒業の翌日に卒業証書を破り捨てて広島を飛び出し、横浜で働きながらロックンロールバンド、キャロルを結成。1972年、アルバム「ルイジアンナ」というアルバムでデビューし、翌1973年に発売された「ファンキーモンキーベイビー」が大ヒットして、『成り上がり』(矢沢永吉の自伝)に成功。バンドは1974年に解散し、ソロとなったが、様々なトラブルに巻き込まれつつも、ストレートなロック魂に満ちたライブ活動を続け、熱狂的な永ちゃんファンに支持されて、現在もプレミアムモルツや日産自動車のCMで活躍中。

世良公則は、幼少のみぎりヴァイオリンを習っていたため、同じ4弦だからという理由により、広島の高校で組んだバンドのベースを担当、大阪芸術大学在学中にボーカルに転向した。大学卒業記念に出場したヤマハのポプコンと世界歌謡祭で「あんたのバラード」がグランプリとなり、他の学生バンドにいたふとがね金太(D)鮫島秀樹(G)らとツイストを結成しプロデビュー。太い声の荒々しい歌唱と、ガニ股アクションで、1978年の「男性タレント・セクシー度調査」では西城秀樹、沢田研二を抜いてNo.1に選ばれた。“歌謡ロック”“演歌ロック”と揶揄されながら、歌番組では生演奏を押し通し、3枚目のシングル「銃爪(ひきがね)」はオリコン第1位、TBS「ザ・ベストテン」年間第1位となった。“J-ROCKの元祖”との評価もある。現在でもライブ活動を続けており、愛器は57年レスポールのゴールドトップである。

デーモン小暮閣下は、地獄の都のBitter Valley地区で、紀元前98038年11月10日に「発生」したが、神によって約10万年間、地獄に封印されていた。なぜか都合よく神の封印力が弱まったため蘇り、人間界に降臨。世を忍ぶ仮の父親が銀行員だったため、幼稚園から小学1年の途中まではニューヨークで、小学2年までを東京で、1971年小学3年から5年までを広島市西区で過ごし、小学6年から東京へ再び引っ越した。世を忍ぶ仮の姿のまま神奈川の名門桐蔭学園を卒業、早稲田大学在学中の1982年に聖飢魔Ⅱを結成し、地球征服を宣言。

TVに登場した聖飢魔Ⅱを見た、これまた世を忍ぶ仮の小学6年生だったKOBAMETALがメタルという悪魔の音楽に惚れ込み、27年後の2009年、アンダーカバー修行としての可憐Girlsの任務完了後、世を忍ぶ仮の姿で広島から毎週通ってきていた中元すず香に出会い、BABYMETALの結成を決意した。それ以降の歴史は省略。

1984年に「モニカ」でデビューした吉川晃司は、アイドルというくくりだったが、修道高校水球部で鍛えた長い脚のぐにゃぐにゃダンスのカッコよさで、当時の「ロックと歌謡曲の融合」の流れに乗り、シングルヒットを連発、日本歌謡大賞新人賞、日本アカデミー賞新人賞をダブル受賞した。元BOØWYの布袋寅泰と期間限定ユニット、COMPLEXを結成し、1989年の「BE MY BABY」ほか、2枚のシングルと2枚のアルバムはいずれもオリコン第1位となった。現在は俳優としての仕事が多く、チョコモナカジャンボや辛口一献のCMで見かける。

奥居香は、1983年、当時存在したレーベルTDKレコードのオーディションに応募し、同年ガールズバンド、赤坂小町としてデビュー。1986年にバンドはPrinces Princesと改名し、CBSソニーからメジャーデビュー。CMとのタイアップ曲により人気が上昇、1989年には女性バンドとして初の日本武道館公演を開催。以降1996年まで毎年正月にコンサートが行われた。7枚目のシングル「Diamonds」は女性ロックバンドとして初めてオリコン第1位を獲得した。俳優の岸谷五郎と結婚し、現在は岸谷姓。

T-BOLANのフロントマン、森友嵐士も広島出身だが、上京後の東海大学在学中に前身バンドを結成し、1991年にメジャーデビュー。2枚目の「離したくはない」がヒットし、5枚目の92年「じれったい愛」から94年の12枚目「マリア」まで、連続8枚のシングルがすべてオリコン3位以内となり、99年に解散するまでに4年間で1,700万枚というセールスを記録、90年代ジャパニーズロックの一角を担った。2016年12月31日に豊洲PITで一夜限りの再結成、カウントダウンライブを行った。「離したくはない」はRenz Veranoによるフィリピン語バージョン(「Everyday」)もあるよ。

奥田民生は、1987年、ロックバンド、ユニコーンのボーカリストとしてデビュー。メタルとは対極といえるレイドバックな曲調と、坂上二郎とのコラボ「デーゲーム」「働く男」「スターな男」などのお笑い番組とのコラボで知名度を上げる。チャートではシングルよりもアルバムの順位が高く、3rdアルバム「服部」以降、解散-再結成後の現在まで、すべてのアルバムがオリコン3位以内に入っている。ダウンタウンの番組への出演など奥田の独特の飄々としたキャラクターが認知され、ソロ活動でも「愛のために」「イージュー★ライダー」などのヒット曲を生んだ。

1996年には、女性二人組PUFFYをプロデュース。「アジアの純情」「これが私の生きる道」「サーキットの娘」など、「アイドルとビートルズ/サブカル・ロックの融合」ともいうべき斬新な楽曲と脱力系キャラクターでミリオンを連発。1998-1999年には台湾、香港で海外公演を実施。2000年にテキサス州のSXSW(サウスバイサウスウエスト)ロックフェスに出演したことを皮切りに、アメリカでの活動を拡大し、2004年にカートゥーン・ネットワークで、二人をキャラクター化した子ども向けアニメ『Hi Hi Puffy AmiYumi』の全米放送(3シーズン全39話)がスタート、アニメの主題歌を含むアルバム『Hi Hi Puffy AmiYumi』でメジャーデビューした。

てな具合で、広島出身のミュージシャンは、歌謡曲―J-POPのロック受容の歴史において、きわめて重要な役割を果たしてきていることがわかる。

2010年に結成されたBABYMETALもまた、「アイドルとメタルの融合」というコンセプトで世界進出成功という、日本のポピュラー音楽史上、とんでもない実績を上げている。

なぜ、広島は“ロック”なのか。

広島駅の新幹線口から北へ徒歩10分、二葉町に広島東照宮・金光稲荷という神社がある。創建は今から約250年前、元禄時代だそうだ。奥宮までの階段約500段、朱塗鳥居120数基を登っていくと、市内を見渡せる二葉山頂につく。

主祭神は伏見稲荷と同じく、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ・稲荷大神)=御餉津之神(みけつ=三キツネの神)。例祭は4月1日(FOX DAY!)と11月1日。

さらに、駅の反対側、広島市内南区には稲荷町という地名があり、400年前に創建された稲生神社というのがある。「広島の稲荷さん」として親しまれており、稲生武太夫という実在した江戸時代の浪人が妖怪退治をしたということから、神として祭られており、元広島カープの衣笠祥雄や水木しげる、ミステリー作家京極夏彦、荒俣弘らから寄進された幟が立っている。

主祭神は豊受大神(とようけのみたまのかみ)。記紀神話のトヨウケビメであり、宇迦之御魂神同様、五穀豊穣の神である。

また、中央公園の橋を渡った近くには、空鞘稲生(そらさやいなり)神社というのもある。

主祭神は宇迦之御魂神、創建は18世紀とのことである。

その他Googleで見ると、広島市には、稲荷とつくものだけでも、白鳥稲荷神社、福屋稲荷神社、明清稲荷神社、杉姫稲荷本社、重氏稲荷神社などがある。

日本の稲荷神社は、主祭神として祭られているだけでも2,970社、境内社や分祀社は32,000社に上る(ウィキペディアによる)というから、どんな市町村にも数社の稲荷神社があるのだろう。

しかし、どうもメタルの神キツネ様は、日本中から広島を選び、出身ミュージシャンを使徒として、ロックという音楽を日本に根づかせ、興隆をつかさどっている気がしてならない。

なんてね。

写真は広島市南区稲荷町の稲生神社境内にある、原爆に耐えたキツネ様DEATH。