BABYMETALはモスラである(5) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日3月23日は、過去、BABYMETAL関連では大きなイベントのなかった日DEATH。

 

2017年3月21日、全米デジタルネットワークチャンネル(WOWOWみたいな?)であるFUSE TVの女性アーティスト人気投票で、BABYMETALがアリアナ・グランデ、ブリトニー・スピアーズを上回る300万票以上を獲得し、チャンピオンとなった。

FUSE TV公式FBでは、BABYMETALが英語を話さない、最年少のバンドで、2010年に結成された日本のアイドルだが、J-POPとメタルを融合したスタイルで実績は十分、レディガガを始め、大物バンドと共演していること、この4月からはレッチリ、6月からKORNとUSツアーをやることがきちんと説明されている。告知効果は抜群である。

大量得票は、RedditのBABYMETALスレッドが投票を呼びかけたためで、激戦を制した現地のFox Army=BABYMETALファンは凱歌をあげている。

おめでとうBABYMETAL。素直にすげーなFox Army。

 

BABYMETALを戦後日本のサブカルチャー史、日米文化交流史に位置づける論考、「BABYMETALはモスラである」最終回です。

1964年、ゴジラ映画の第4作、モスラ映画の第2作として公開された『モスラ対ゴジラ』(1992年の平成版は『ゴジラ対モスラ』)は、東京、大阪、福岡に続き、愛知県名古屋市周辺が舞台。

今回は、台風8号による高潮という意外にフツーの理由で、愛知県の海岸に、放射能を帯びたゴジラの肉片と、モスラの卵が漂着する。

で、観客の期待どおり、ゴジラが登場して暴れまわり、名古屋城や、高度経済成長の基盤である重化学工業地帯、四日市コンビナートを破壊してしまう。例によって自衛隊の手には負えない。

そこで、紆余曲折の結果、小美人の祈りに応えてモスラが飛来するのだが、このモスラはすでに老齢化しており、命を削って毒鱗粉をまき散らしてゴジラと戦うが、力尽きてしまう。

そこで小美人が祈りを込めて歌うと、漂着していた卵から双子のモスラ(幼虫)が孵化し、ゴジラを繭糸でがんじがらめにして退治するというプロット。

ここで歌われる「Mahal Mothra」は、「語学堪能な作曲家の伊福部昭がマレー古語で書いた」というのが従来の定説だったらしいが、それは誤りである。

語尾が欠けている単語や、動詞の活用形を2語に分かち書きしたスペルミスが数か所あるが、この言語はマレー古語ではなく、間違いなく現代フィリピノ語(タガログ語)である。訳詞として各種サイトに出ている訳も逐語訳ではなく、日本語の原詞のようですね。

――引用――

「Mahal Mothra」(フィリピン語原歌詞)

Mahal Mahal Mothra

Tama Tama Mothra

Laban Guerra Labanan

Magutan gol (Magtanggol)Magutan gol(Magtanggol)

Biga!(Bigay)Mahal Biga!(Bigay) Mahal

Ipang anak(Ipang-anak) manga anak(Mang-aanak)

Mahal Mahal Mahal

-引用終わり―

(訳詞:jaytc)

愛しい、愛しいモスラ

正しい、正しいモスラ

戦争に抗う戦い

守り給え、守り給え

与えよ、愛しい者よ、与えよ、愛しい者よ

自ら生まれ、生みだす者

愛しい者よ、愛しい者よ、愛しい者よ

 

フィリピノ語の「Mahal」は、「愛する」「偉大な」「尊い」という複数の意味を持つ単語。

「Tama」は正しい、Just、Justiceで、「民衆の意志と力の象徴」であるモスラにふさわしいと言える。

「Laban」は抗う、resist against~という意味の動詞の語幹。「Guerra」はスペイン語の戦争、「Labanan」は、いくさ、戦いといった意味の名詞である。したがって、ここは「戦争(を行う者たち)に抗う戦い」という意味だろう。

「Magutan gol」は、2種類の解釈が可能である。「Ma-」が「~がある」という意味の形容詞の接頭語、「gutan」はスペイン語の「sion」(聖地シオン)、「gol」が同じくスペイン語のの「ゴール」(目的、目標)と考えると、「聖なる目的」というように読めなくもない。だが、そうだとするとgol magutanと語順が逆になるし、あまりに文語的で不自然である。

となると一語の動詞「Magtanggol」(守る)を2語に分かち書きしてuを入れてgを飛ばしてしまった可能性の方が大きく、「お守りください」という意味になる。

「Biga!」はおそらく「Bigay」(与える)という動詞を「Bigai」と書き、最後のiを!と誤植したのだろう。ここだけビックリマークなのは文脈上不自然だからだ。

また、「anak」は息子、子どもという意味で、聖書でイエス・キリストについて使われることが多い自動詞「Ipang-anak」は「自ら生まれ出ずる」というニュアンスがあり、他動詞「Mang-aanak」は(子どもを)生む」という意味になる。こうしたフィリピン語特有の焦点(フォーカス)による動詞の接頭辞変化が、「民衆の魂」が生命体のごとく永遠に引き継がれていくようすを表現しているように感じられる。

おそらく作曲者の伊福部昭が日本語の原詞を作り、当時日本に多かったフィリピン人バンドマンに訳させたのだろう。前回掲載した平成モスラの「聖なる泉」も、スペルミスだらけのフィリピノ語だった。フィリピンではフィリピノ語(タガログ語)と英語が公用語だが、フィリピノ語は主に口語で使われるし、元々フィリピンでは地域によって言葉が違うので、共通語の英語ならともかく、国が決めたタガログ語の正しい文法を理解せず、スペルが我流の人たちは大勢いる。訳詞を受け取った伊福部も、文芸部の担当者もフィリピノ語はわからず、ノーチェックで印刷してしまったというのが真相ではないか。

それにしても、この歌詞にある「戦争に抗う戦い」とは、「戦争反対」であり、戦後日本の「民衆の魂の祈り」そのものだろう。

そして、こうした「民衆の祈り」の象徴である小美人の第一作の「双子」という属性は、そのまま第二作の「双子幼虫」モスラに投影されている。したがって、初期モスラは3体一組と考えるべきなのだ。

ハイ。

ようやくここで記事タイトルの「BABYMETALはモスラである」というテーゼにたどり着きました。

YUI、MOAは小美人(ザ・ピーナッツ)兼、第二作の双子幼虫モスラ。

そして二人の「助けて~」という思念に応えて登場する親モスラがSU-であります。

第一作では、小美人がモスラの「親」であるという設定である。SU-は一番年上で背も高いが、家庭では三人姉妹の末っ子、YUIは兄弟の真ん中のしっかり者、MOAは一人っ子で、一番お姉さんっぽい。その関係性や依存度は場面によって変わる。飛行機の機内で眠るSU-の肩にMOAが優しく手を置いている流出写真を思い出せば、符合するでしょ。

ゴジラ、アンギラス、ラドン、キングコングといった怪獣たちが凶暴で男性的な印象なのに対して、モスラは昆虫という属性、小美人との一体感など、どうしても女性的に見える。

『モスラ対ゴジラ』に続く昭和ゴジラシリーズ第5作『三大怪獣地球最後の決戦』では、喧嘩ばかりしているゴジラとアンギラスを「説得」して、外敵=宇宙怪獣であるキングギドラを迎え撃ち、最終的に勝利に導く、女子学級委員っぽい性格を見せた。これはMOAだな。

太平洋戦争で散華した日本兵の象徴であり、皇居でUターンするゴジラに対して、モスラは、インファント島に仮託された広島・長崎といった被爆地の無辜の一般市民の、戦後平和を希求する「魂の祈り」と「民衆の意志」の象徴である。

そうした弱者の視点と女性性、神秘的なBabyという属性を持ちながら、アメリカ本土に直接、日の丸を背負って報復した唯一の怪獣、それがモスラなのだ。

 

BABYMETALもまた、「アイドル」でありながら、忘れられかけていたメタルファンの希望であり、それまで日本のロックバンドが達成し得なかった海外での大活躍は、ぼくら中高年にとって溜飲が下がる痛快さを持っている。

このように様々な類似点のゆえに、ぼくは数ある日本のロックバンド、メタルバンドと比較して、「BABYMETALはモスラである」と言いたかったわけである。

メタルという音楽は、大量の電気なくしては成立しない。

3.11以前、2010年の我が国の電気供給量の32%を原子力発電が占めていた。発電コスト(事故によるリスクを考慮しても8.6円/Kw)、CO2排出がなく「環境に優しい」こと、水力発電と比べてダム建設による自然破壊もない、大量の化石燃料の輸送に伴うリスク=エネルギー安全保障の観点などから、資源のない科学技術立国である日本にとって、原子力発電は、最も効率的な「夢の動力源」だった。

東海村でのずさんな人為的事故や、放射能汚染水漏れなどが起こる度に危うさを感じたにしろ、ぼくはそうした政府の見解や科学技術立国の方針を、基本的に妥当だと考えてきた。

3.11の福島原発事故についても、放射性物質の核種、飛散量の正確なデータが公表されないままに、チェルノブイリ事故と同等の「地獄」のごとき報道がなされるのには非常に違和感があった。当時の政府やマスコミの対応は、「正しく怖がる」という科学的姿勢とはかけ離れていたからだ。

日本のサブカルチャー・ヒーローたちは、「史上最悪の兵器」を「人類の英知」に転換する被爆国日本の希望を一身に背負い、体現してきた。ぼくら昭和の少年たちは、疑うことなく、その希望を信じ、ヒーローたちの活躍に痛快さを感じていた。

3.11で、それが本当に希望であったのかどうか、再検証されることになった。

ぼく自身は、地震による破損、津波による破損、政府のまずい初期対応による被害を切り分けて考えねばならないと思っているので、まだ結論が出せていない。

もちろんこのことはBABYMETALとは関係ない。

BABYMETALのメンバーが原発について、また広島・長崎に原爆が落とされたことについて、被爆者とそのご遺族の組織が当初「原子力の平和利用」に希望を見出し、協力した歴史について、今、どう考えているのかわからない。

また、ファンの中でも、BABYMETALと原爆や原発の関わりについて意識している人はほとんどいないと思う。

だが、SU-がさくら学院時代に、原爆記念日の8月6日に、他のメンバーが黙とうしないのをたしなめ、「歌の考古学」で、沖縄戦の悲劇を説明したのは事実だ。

そして、原爆が投下された広島で生まれたPerfumeとSU-METALが、2014年以降、日本の「アイドル」の先頭に立ってアメリカのショービズ市場に進出し、一定の人気を博しているということは、日米戦後文化交流史の文脈から見て、日本のサブカルチャー・ヒーローの系譜が持つ歴史性を、否応なく帯びていることになる。

ぼくは1960年東京生まれの日本人男性である。最近しみじみ思うのは、ぼくがここに生きていられるのは、名も知らぬ先祖が、必死で生き抜き、生まれた子を慈しみ育ててきた、連綿と続く営みのおかげであるということだ。戦に巻き込まれた時には、命を賭して守ってきてくれたのだろう。先の戦争は国を挙げての戦いだった。銃後の家族を守るために死地に赴いた方々のおかげで、今の日本がある。いくら嫌でもその事実から逃れることはできない。

そのことは靖国神社にある遊就館を見学し、順路を最後まで行けば、必ずわかる。

ぼくは何度も言うが右翼ではない。だが、数年に一度、ふと思い立って靖国神社へ行く。カトリックでは、他宗派の儀式であっても、先祖への供養を禁じておらず、むしろ「善き人」の模範となるよう推奨している。

先月靖国神社に行った時には、外国人や、一人で来ている若い女性の見学者も多かった。ちなみに、遊就館1階のゼロ戦の横にある、きつねうどんがとても美味しい甘味処は、「結(ゆい)」という名前である。(^^♪

もし、ぼくへと続く命の流れの中で、先祖が無辜の他国の人を殺めたことがあったとしたら、その責任はぼくにもある。ぼくは、そう思っている。「そのとき生きてたわけじゃないから、俺には関係ないよ」とは絶対に言えないと思うのだ。

それと同じ意味で、「広島生まれのアイドル」が、アメリカのショービズ界で活躍するということには、本人の意識とは別に、なにがしかの文化史的意味が付与されると思う。

少なくともぼくはそのことに気づいてしまったので、どこかで書いておかねばならないと思ったのだ。

さくら学院重音部として結成され、初めてBABYMETALと名乗った2011年2月12日のバレンタインイベントからわずか1か月後に東日本大震災が起こった。

3月11日の記事に書いたように、三人はさくら学院日誌で、それぞれ「自分たちに出来ることをやる」「仲間と共に一生懸命歌で励ます」という決意を述べている。BABYMETALは、いわば3.11によって生まれたのである。

昨年9月の東京ドーム以降、BABYMETALは単独ライブを行っておらず、予定も公表されていない。大物バンドのサポートアクトは単発的であり、長い目で見たとき「修行」にあたるとはいえ、ファンの期待を集めるようなものではない。2016年までの歩みに比べて、どうしても「小休止」しているように見えてしまう。

現実のBABYMETALはイギリス、ソウル、大阪・神戸・横浜・さいたま、アメリカとサポートアクトを続けているが、ファンの心の中では、まだ東京ドームに留まっているかのようだ。

そう、東京ドームの白い屋根は、巨大なモスラの「繭」だったに違いない。

ファンの心の中のBABYMETALは、今も、東京ドームという巨大な繭の中で成長を続けているのだ。

そして、ついに成虫となったモスラ=BABYMETALが目指すのは、どこか。

それは、ズバリ、エメリッヒ版『Godzilla』が襲来したニューヨーク、マディソン・スクウェア・ガーデンであろう。

(この項、終わり)