BABYMETALはモスラである(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ

本日3月21日は、2012年、さくら学院2011アルバム(「いいね!」初収録)が発売され、ニッポン放送「ミューコミプラス」に出演した日DEATH。

 

1954年に公開された『ゴジラ』は、961万人を動員する大ヒットとなった。東宝では急きょ続編が企画され、わずか3か月の撮影で1955年4月に続編『ゴジラの逆襲』が作られた。第一作でゴジラは死んだことになっているので、度重なる水爆実験により、太平洋上にある「岩戸島」で再びゴジラと、別種の怪獣アンギラスが蘇り、相争いつつ、今度は大阪へやってくるというストーリー。

南洋の島で蘇り、日本へやってくるというところは第一作と同じだが、太平洋戦争の暗い記憶の切実感はなくなり、ゴジラ対アンギラスというプロレス的展開、破壊される大阪市内の景観、芹沢博士亡き後、どうやってゴジラを倒すかがプロットの焦点となった。大阪でアンギラスを倒したゴジラは、なぜか北海道で、漁業会社に勤務する主人公の犠牲の上で、雪山の中に封じ込められる。観客動員数は834万人だった。

翌年1956年の東宝映画は、ゴジラではなく、オカルト作家黒沼健の原作をもとにした『空の大怪獣ラドン』であった。ラドンも核実験の放射能と地球温暖化により、阿蘇山で巨大化した古代の生物(プテラノドン)だった。今作の舞台は九州で、破壊される市街地は福岡市であった。

1961年の東宝映画には、また別の怪獣が登場した。それが、水爆実験の放射能に汚染された南海の孤島インファント島に生息する巨大な蛾を主人公とする『モスラ』である。

『ゴジラ』の大ヒットに、東宝との提携を望んだ米コロンビア映画との日米合作となったため、制作予算がふんだんにあり、原作は、当時新進気鋭のフランス文学者中村真一郎、小説家堀田善衛、福永武彦という豪華文学者3人の合作となった。

ここでようやく本ブログ連載記事タイトルの「BABYMETALはモスラである」の話ができるわけだが、とりあえず、その後の東宝怪獣映画がどうなったかを概観しておこう。

翌年の1962年に公開されたゴジラシリーズ第3作『キングコング対ゴジラ』は、キングコングの著作権を持つRKO社とライセンス提携し、米国ではユニヴァーサル映画が配給した。日本を代表するゴジラと、アメリカ代表のキングコングとの「対決」というプロレス仕立てで、ゴジラシリーズ最高の1255万人を動員した。

これに味を占めたのか、東宝では、自社の怪獣とゴジラとの対決路線に走り、1964年には、『モスラ対ゴジラ』(722万人)、第5作『三大怪獣地球最後の決戦』(宇宙怪獣キングギドラ登場、541万人)の2作を公開。特にキングギドラとの対決では、モスラがゴジラ、アンギラスを「説得」して、宇宙怪獣と戦うというプロットになった。

以降、毎年新たな怪獣が登場してゴジラと絡むようになるが、観客動員数は漸減していく。

1966年からは同じ円谷プロ特撮によるヒーロー対怪獣の『ウルトラマン』シリーズがテレビ放映され、「子ども向け」の怪獣映画は、わざわざ映画館で見に行くまでもないとされたためとされる。ぼくも『ウルトラマン』シリーズを食い入るように見ていたが、ゴジラ映画には一度も連れて行ってもらえなかった。

1968年の第9作『怪獣総進撃』ではこれまで登場したすべての怪獣が「出演」するオールスター映画であったが、観客動員数は258万人にとどまり、翌年の同工異曲の『ゴジラ・ミニラ・ガバラ、オール怪獣大進撃』は148万人と、さらに半減した。

昭和ゴジラシリーズは、1975年の第15作『メカゴジラの逆襲』(97万人)まで続いて一旦終了し、平成ゴジラシリーズとして設定が異なる1984年の第16作『ゴジラ』(320万人)から1995年の第22作『ゴジラ対ビオランテ』(400万人)で再度終了。

1999年からミレニアムゴジラシリーズとして第23作『ゴジラ2000ミレニアム』(200万人)から2004年の第28作『ゴジラFinal Wars』(100万人)で三度目のシリーズ終了。

と思ったら、昨年2016年に庵野秀明監督による『シン・ゴジラ』が公開され、2016年11月現在で551万人以上を動員した。

ハリウッド版は、1998年にローランドエメリッヒ監督による『Godzilla』、2014年にギャレス・エドワーズ監督による『Godzillaゴジラ』が公開されている。

 

さて、『モスラ』である。1954年の『ゴジラ』、1955年の『ゴジラの逆襲』出演のアンギラス、1956年の『ラドン』に続く、東宝オリジナル・クリーチャー4番手で、幼虫→繭→成虫と変態すること、「ゴジラより巨大」という設定、総天然色カラー作品という斬新さから、ゴジラとは一味違う魅力を放つ作品となった。

特に、「小美人」(ザ・ピーナッツ)とロリシカ国(アメリカ)の興行師ネルソン(ジェリー伊藤)が登場し、まずは日本で興行を行ったためにモスラが幼虫の形態で来日、当時完成したばかりの東京都の水がめ、奥多摩ダムを破壊する。さらにネルソンが小美人を脳波遮断ケースに入れて故国に連れ去ったため、モスラは東京タワーで繭となり、成虫となって飛び立ち、ニューカーク市(NY)の摩天楼を破壊しつくすというプロットは、ゴジラとはまた違った「深読み」が可能となっている。

それは、ゴジラが南太平洋に散った日本軍兵士の亡霊だとすれば、モスラはより弱い立場で亡くなった無辜の一般市民の象徴だという点である。

劇中、インファント島は、放射能に汚染され、「人が住めない島」だとされたが、島の中心にある原始の森には原住民が生き残っていた。主人公の新聞記者、福田善一郎(中村真一郎、堀田善衛、福永武彦の合名)は、ロリシカ国(=アメリカ)との共同調査団に参加し、原住民と小美人の存在を知る。小美人は人間ではなく、設定上は「モスラの母」だとされる。強大な力を呼び覚ますことのできる彼女たちこそ、亡くなった民衆の「魂」、「祈り」そのものであろう。

よく知られているように、小美人が劇中で歌う「モスラの歌」は、プロデューサー田中友幸、監督本多猪四郎、脚本家関沢新一の3人が「由紀こうじ」のペンネームで日本語の原詩を作り、インドネシア人留学生に訳詞を作らせたものである。

――引用――

モスラの歌(インドネシア語)

Mothra Ya Mothra

Dengan Kesaktian Hindupmu

Restulah Doa Hamba-Hambamu Yang Rendah

Bangunlah Dan Tunjukanlah Kesaktianmu

 

Mothra Ya Mothra

Dengan Hidupmu Yang Gemilang

Lindungilah Kami Dan Jadilah Pelindung

Perdamian

 

Perdamaian Adalah Hanya Jadian Yang

Tinggal Bagi Kami

Yang Dapat Membawa Kami KekemakMuran

Yang Abadi

(訳詞:大槻秀樹)

モスラよモスラ

あなたの命の魔力で

身分いやしき、あなたの下僕は

呪文を唱えて祈ります

どうか立ちあがって

あなたの魔力を見せてください

 

モスラよモスラ

光り輝くあなたの生命で

平和をもたらす守り神となり

われらを守り給え

 

平和は、われらに残された生きる道

永遠の繁栄にわれらを導き給え

――引用終わり――

 

平成版「ゴジラ対モスラ」(1992年)公開時に発売されたコスモス(今村恵子・大沢さやか)による挿入歌「聖なる泉」の歌詞は、なぜかインドネシア語ではなく、フィリピン語(スペルミスだらけ)になっている。

――引用――

Na Intindihan(Naintindihan) mo ba

Na Intindihan(Naintindihan) mo ba

Mayroun(Mayroon) doan(Doon) maganda(magandang)balon

Punta, ka lang dito ka lang dito

Halika, at marupo(maupo), Halika, at marupo(maupo)

Lu Lu Lu…

Lu Lu Lu…

――引用終わり――

(訳詞jaytc)

あなたにはわかっているの?

あなたにはわかっているの?

あそこに、美しい泉があることを

すぐここに来てあなた、すぐここへあなた

急いで、そして座って、急いで、そして座って

ルルル…ルルル…

 

インドネシア語やフィリピン語を、「南洋の島」の雰囲気を出すために用いるという手法は、ハリウッド映画にも時々見られる。ぼくの大好きな『ビッグ・フィッシュ』(2003年、ティム・バートン監督)でも、主人公がベトナム戦争で手柄を立てる場面で、べトコンの基地らしいのに、兵士たちが話している言語がフィリピン語であった。

いい加減っちゃいい加減であるが、要するに監督や制作者の意図として、概念上の「南洋」「東南アジア」を示す記号なのだろう。

『モスラ』にインドネシア語を用いることで、明らかに昭和36年当時の「南洋」、つまり太平洋戦争の戦地であり、かつ戦後も核実験が行われている「被害者」たちを描いていることは間違いない。

そして小美人の歌には、その被害者の視点、平和を祈る民衆の心情が込められているのである。

(つづく)