BABYMETALはモスラである(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ

本日3月20日は、BABYMETAL関連では、過去に大きなイベントのなかった日DEATH。

 

ウルトラマンが、どうしてウルトラマンになったか、ご存知でしたか。

ぼくは、白黒テレビでリアルタイムのウルトラマンを見ていた世代であるが、つい最近まで知りませんでした。

地球から300万光年の彼方、M78星雲の中にあるウルトラの星(国名は光の国)という惑星に住んでいたウルトラマンたちは、もともと地球人と同じような肉体しかもっていなかったという。26万年前に彼らの惑星の太陽が消滅してしまうという事態が起こり、科学者たちは惑星の内部に、プラズマスパークという“小さな太陽”を作り、そのエネルギーで暮らすことにした。ところがある時、その小さな太陽、つまり原子力発電所が大事故を起こし、科学者たちはディファレーター光線、つまり放射能を浴びてしまった。

ところがその光線の効果で、科学者たちはかえって、超人的な能力を持つようになった。そこでウルトラの長老たちは「国民全員にこの光線を浴びせてみよう」と決め、それにより、シルバー族(ウルトラ兄弟)やレッド族(ウルトラセブンの一族)などの部族が生まれたというのである。他にもブルー族、ホワイト族などがいるらしい。

つまり、ウルトラマンやウルトラセブンは、原発事故を契機として、放射能を浴び、さまざまに進化して巨大化し、手からスペシウム光線やら、額からエメリウム光線やら、頭にのっけたちょんまげ状のアイスラッガーやらを出せるようになったというのだ。そして、その戦闘力を認められて、宇宙の平和を守る警察官(=宇宙警備隊)のような職業について、悪い怪獣や星人を取り締まることになった。膨大なエネルギーを放射能から得ているため、消耗が激しく、定期的に太陽に「シュワッチ!」と飛んでいって、核融合の放射能を浴びないといけない。あのカラータイマーはそういうことだったのだ。

(出典:pixiv.net/ウルトラの星)

日本初のTVアニメ『鉄腕アトム』(海外ではAstro Boy)のアトムというネーミングはモロ「原子」からとったものだし、妹はウランちゃん、弟はコバルト、敵役のロボットはプルートー(プルトニウム)である。

さらに、TV朝日系で放映中の『ドラえもん』の動力も原子力であった。ドラえもんの設定を記述した『ドラえもん大事典』(小学館)では、あのずんぐりした猫型ボディの中に、超小型原子炉が入っているという設定であり、「原子ろ 何を食べても原子力エネルギーになる」と記述されていた。

ところが2011年3月11日の福島原発事故以降、体の中に原子炉があるという設定は「マズイ」ということになったのか、いつのまにかフキダシから「原子ろ」「原子力」の文字が消され、「何を食べてもエネルギーになる」ことになった。

 

 

何が言いたいかというとですね、戦後日本の映画、TV、アニメなどのサブカルチャー・ヒーローの多くが、原子力のパワーを利用したものだったということ、そういう「設定」は、TVを見ているだけではわからず、かつては「マニア」の方々しか知らなかったものが、インターネット時代になって、ようやくぼくのような平凡な「かつてのファン」にも知られるようになったということである。

そして3.11以降、ドラえもんの制作者たちは、原子炉で動いていたことを、公然と隠ぺいしたのである。(この言い回しは矛盾してますが、事実を的確に表現していると思う)

 

1953年12月8日、日米開戦から13年後、アメリカ大統領アイゼンハワーは、国連総会において、「Atoms for Peace」と題する演説を行い、原子力の平和利用を訴えた。

ちなみにUnited Nationsを「国際連合」と訳すのは適切ではない。United Nationsは、1920年に発足した国際連盟の後継組織ではなく、日本やドイツを敵国と規定する、第二次世界大戦で結成された「連合国」の組織であり、本体である軍事的利害を調整する安全保障理事会は、戦勝国しか常任理事国になれない。

その「連合国」の総会で、歴史上唯一、原子爆弾を投下した国の大統領が、原子力の平和利用を訴え、原子力発電所の設置、運用を推進しようと呼び掛けたのである。

同じく、歴史上唯一、原子爆弾を投下された「敵国」である日本では、早くも3か月後の1954年3月、ウラン235にちなんで、2億3500万円の原子力研究開発予算が国会に提出された。

1955年12月に原子力基本法が成立し、1956年6月には日本原子力研究所(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)が特殊法人として設立され、研究所が茨城県那珂郡東海村に設置された。

日本で最初の原子力発電が行われたのはそれから7年後の1963年10月26日。東海村に建設された動力試験炉であるJPDRが初発電を行った。これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている。

同じ年、1963年から1966年にかけてフジテレビ系で日本で初めての国産テレビアニメとして放映されたのが『鉄腕アトム』である。

その終了と重なるように、『ウルトラマン』は1966年7月から1967年4月にかけてTBS系で放映され、『キャプテンウルトラ』の6か月をはさんで、続編となる『ウルトラセブン』が1967年10月から1968年9月にかけて放映された。

『ドラえもん』は、1970年から小学館の学年誌にマンガとしての連載が始まり、1973年の日本テレビ版の後、1979年からテレビ朝日系でアニメ化され長期シリーズとなった。

1980年から1981年にかけては、日本テレビ系で『鉄腕アトム』(第2作)が放送された。

1945年8月6日月曜日午前8時15分、米軍によって投下された原子爆弾「リトルボーイ」は、当時の広島市民人口35万人のうち、即死および即日死から4か月以内の死者を含めて9-16万6千人を殺した。3日後の8月9日木曜日午前11時02分、長崎市に投下された「ファットマン」(Mk.3)は、当時の長崎市の人口24万人のうち約7万4千人を殺した。

(以上、ウィキペディアより)

兵器としての原爆の使用は、戦闘員・非戦闘員を区別できない無差別大量殺戮をもたらし、放射能による後遺症が起こることも含め、当時でさえ国際法違反であったことは、様々な資料によって検証されている。

大日本帝国政府は、1945年8月10日、スイス政府を通じて、対米抗議文を出し「非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求」したが、8月15日にポツダム宣言を受諾したため、当事者能力を失ってしまった。

その後、1951年のサンフランシスコ平和条約による再独立(発効1952年)以降、日本国政府は、米軍の原爆使用に関する抗議・謝罪要求を行っておらず、アメリカは過去一度も原爆使用への謝罪をしたことはない。

昨年2016年、広島に初めてオバマ大統領が来て、原爆公園で鎮魂の演説を行ったが、原爆使用は、本土決戦によって、より多くの人命が失われることを避ける措置であったというアメリカ政府の公式見解が変わることはなかった。

ぼくは、2チャンネルに一度も書き込んだことがないから、ネトウヨではない。

インターネットの発達は、それまで政府やマスコミが独占していた情報を、一般市民が誰でも検証可能になるという事態を生んだ。

日米政府間で同意された戦後体制の「常識」も例外ではない。日本は「侵略戦争」を行ったのであり、米軍は日本に民主主義を根付かせる「解放軍」であったという「戦後の常識」も、現在では、歴史的事実に基づく検証の対象となっている。

例えば、「日本軍性奴隷を裁く国際戦犯法廷」で、2001年に「天皇裕仁及び日本国は、強姦および性奴隷制度について人道に対する罪で有罪」とするオランダでの判決が下りたことも、事実とは異なる大新聞社の自虐的なねつ造記事にもとづくものであり、反日イデオロギーによって、自国政府への求心力を確保しようとするいくつかの外国による宣伝戦に対して、日本政府及び外務省が有効な手段を講じなかった結果であるということが、鮮明になってきた。

沖縄戦の惨禍についても、ぼくらは「悪いのは日本軍」「沖縄を捨て石にした」と教えられてきたが、実はそうではなく、アメリカ軍が、戦後の対ソ優位を企図して、1946年からの大規模な関東上陸作戦を計画しており、その前哨戦として沖縄を占領しようとしたのだということが明らかになった。日本軍は、沖縄を守ろうとして、虎の子の戦艦大和を派遣し、鹿児島の知覧基地からの特攻を含む必死の猛反撃を行い、民間人である沖縄県民も、軍に協力して戦ったのだということが明らかになってきた。その尊い犠牲の上に、戦後の日本は存立し得たのである。

日本は、広島・長崎の原爆投下を契機として敗戦した。

にもかかわらず、敗戦後、当の投下国の大統領が、「国連」で「原子力の平和利用」を演説したことをもって、日本は原発を国策化し、サブカルチャーでは、事実として、ヒーローの多くが、原子力=科学の力によって誕生した。

前回あげた加藤典洋によれば、当時アメリカから広島の被爆者組織に働きかけがあり、被爆者や遺族の方々も、大江健三郎ら、いわゆる左翼陣営に属する人たちも、絶対悪としての原爆から、人類の英知としての原発へという価値観の転換に「希望」を見出し、賛同したという。

その希望こそ、ゴジラの暗さに対して、鉄腕アトムの”明るさ”(前掲書、「ゴジラとアトム~一対のゆくえ」)にあらわれているという。

ぼくもまた、そういう「科学の子」であるヒーローたちを、なんにも考えずに愛し、科学技術立国日本に生まれたことになんとなく「誇り」を抱いて生きてきたのである。

(つづく)