女性ロックスターBABYMETAL(4) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日3月16日は、2016年、MTV JAPANが4月30日(土)に30分のBABYMETALインタビュー番組を放送すると発表した日DEATH。

 

ジェンダー論を音楽学に導入したスーザン・マクレアリは、マドンナが1980年代に音楽評論家やシリアスなロックファンの「問題外」だったダンスを導入することによって、音楽産業のジェンダー構造を打破したと評した。

アメリカ文学研究者の大和田俊之は、Perfumeは、1980年代のYMOを引き継ぎ、テクノオリエンタリズムの視線で日本に憧れるジャパノファイルの受け皿であり、同じく幼少期から活動を始め野性味/動物っぽさ/人間性を強調したアメリカの女性三人組、ビヨンセを擁したデスティニーチャイルドと対照的であるとした。

そしてぼくは、BABYMETALがジャパノファイル以外の層、欧米のメタル市場に大きなファンベースを築けたのは、Perfumeとは逆に、生歌・生ダンス・生演奏のライブバンドであったこと、そして高速ネット環境を利用して、日本のアイドル特有の「親目線」で「成長」を追っていける「子ども」であったことが要因ではないかと考えた。

「子ども」であることは、ジェンダーの枠外である。

BABYMETALにおいては、Kawaiiはきゃりーぱみゅぱみゅのような文化的なアイコンというより「子どもであることの記号」であった。

中高年男性ファンは、BABYMETALにセクシーさや女性らしさを投影したりはしない。

一部YMYの方々はゆいちゃんを異性愛の対象として見ているのかもしれないが、それとても三次元というより二次元の対象である気がする。

SU-についていわれる「男前」だとか、MOAについていわれる「ショーマンシップ」も、異性愛というよりはキャラクターとして見ている感が強い。そして、何より三人の小顔、プロポーションの良さは、アニメのキャラクターと同等である。東京大学大学院の田中純(思想史)によれば、あのコスチュームは「戦闘少女」の「鎧」である。とても人間の異性として見ることはできない。ま、これはおじさんの感慨に近いが。

つまり、同じ三人組ガールズユニットとして考えた場合、デスティニーチャイルド(ビヨンセ)に求められた人間性/野性味という要素と、Perfumeが表象する人工的/テクノオリエンタリズムという要素の両方を、BABYMETALは併せ持っている。

「アイドルとメタルの融合」というのはそういうことではないか。

テクノオリエンタリズムの日本から来た、人工的で完成度が高いプロダクトなのに、野性味あふれる大音量の生歌・生ダンス・生演奏のライブバンドであり、かつ「アイドル」のもう一つの要素である「親目線」で追っていける「子ども」としての未完成な物語性をもっている。それが「国を超え、言葉の壁を超え、世代の壁を超え」て、さらに「ジェンダーの壁を越えて」世界中に支持・共感を生む原動力になったのである。

もし、ジェンダー論の入る余地があるとすれば、男臭く保守的だった最後のジェンダー租界、メタルヘッド村を、美少女戦士であるBABYMETALが堂々と屈服させていくという痛快さも、そこにはあるということではないか。

しかし、それはいわばすでに実証済みの事柄である。

本当の問題は、これから先のことだ。

今は「子ども」であるBABYMETALだが、ジェンダーは女性だから、必ず「大人の女性」となっていく。

そのときにこそ「親目線」で「成長を見守る」というアイドル構造が力を発揮すると思う。

なぜなら、「子ども」であれば男性ファンも女性ファンも関係なく、大人になっても「わが子」は「子ども」だからである。現在のファンが年をとり、三人が押しも押されもせぬ大スターになった頃には、そのイメージに惹きつけられる若いファン層がつくだろう。世代を超えたファンの広がりが確保できる。何度も書いてきたが、この「アイドルへの親目線」は、アーティストにとってきわめて強力なツールなのだ。

アイドルの「設定」について、ぼくは、今昔物語の平中にさかのぼることができると述べた。「成長を見せる」というスターの作り方も、実は日本の伝統文化に由来するとぼくは考えている。

歌舞伎役者がそれだ。

今年の二月大歌舞伎で、現六代目中村勘九郎の息子、三代目中村勘太郎(5歳)、二代目中村長三郎(3歳)が初舞台を踏んだ。

六代目中村勘九郎自身も、1987年に、弟中村七之助とともに、5歳と3歳で初舞台を踏んだ。父は、故人となってしまった十九代目中村勘三郎(五代目中村勘九郎)である。

その五代目中村勘九郎も1959年に5歳で、父十八代目中村勘三郎を後見として、初舞台を踏んでいる。

つまり、幼くしてデビューし、父のもとで修業を積み、やがて父の名跡を継いでいくという「成長の見せ方」をしていくのが歌舞伎である。こうして、中村家、市川家といった「梨園」と呼ばれる家系が連綿と続いていく。

歌舞伎は伝統芸能であるが、それが伝統たり得たのは、子どもの頃にデビューさせ、父のファンに「成長を見せ」て、顧客リストを引き継ぎながら新しいファン層を獲得していくという、よくできたビジネスモデルの下支えがあったからだ。

アイドルはすべて「初代」であり、10代後半の一番カワイイ時期にデビューするのがふつうだから単純には比較できないが、未完成なままデビューさせ、「成長を見せる」という手法は、モーニング娘。でTV東京「浅草橋ヤング洋品店」を舞台に萌芽し、AKB48では選抜をめぐる戦いとしてドキュメンタリーDVDや総選挙という形式をとり、ももクロではUストリームとライブでのサプライズ発表という形で、ファンを巻き込んでいく有効な方法論となった。

さくら学院は、最初から「成長期限定」と銘打ち、公開授業や学院祭が「成長を見せる」場になっている。ところがアミューズでは、せっかくの高校生以降をフォローせず、さくら学院はインディーズのままにとどまっている。卒業生の中でもっともその恩恵を受けたのがBABYMETALとなった中元すず香、水野由結、菊池最愛なのである。

前にも書いたが、アメリカで、子どもの頃からの成長を見せつつ大スターとなったのが、マイケル・ジャクソンだった。

しかし、「親目線」で成長を見守るスター形成システムの本場は日本である。

BABYMETALはPerfumeのように全面的にテクノオリエンタリズムに依拠しなかったが、日本的なスター養成システムの方法論を、生歌・生ダンス・生演奏の本場メタル市場に適用したことによって広範なファンを勝ち得た。

しかし、父の名跡を継ぐ歌舞伎と違って、目指すべき「大人になった姿」は明確ではない。BABYMETALが「世界征服」をなし遂げたアカツキに、目指すべき偉大な女性ロックスター像とはどのようなものになるのか。

(つづく)