★今日のベビメタ
本日3月10日は、BABYMETAL関連では、過去に大きなイベントのなかった日DEATH。
だがしかし。
2012年以降のライブにおいて、BABYMETALは観客に衝撃を与え、熱狂させる本物のクオリティを備えていた。
なぜ、「ロックやりてえ!」というわけではなかった三人が、そこまでのパフォーマンスを行い得たのだろう。
2012年は、キバオブアキバとのスプリットシングル「君とアニメが見たい」のリリース(3月7日)や、タワレコ15分一本勝負(4月6日)、第2回アイドル横丁祭り(4月8日)など、BABYMETALは単独ユニットとしての活動が増えていく。
5月の2012年度転入式では、SU-がさくら学院生徒会長となり、前年度からMIKIKO師に厳しく指導されていた「お金を取って見せる」プロとしての自覚が強まった。
6月には単独ユニットとしてのインディーズデビューとなる「ヘドバンギャー!!!」の先行MVが公開されることになった。
撮影に臨んで、曲と向き合い、過酷な練習に臨んだ三人のモチベーションはズバリ、「お客さんを笑顔にする」というアイドル倫理だろう。
もちろん楽曲は、KOBAMETALがNARASAKIらアーティストたちと魂を入れて作り上げたものだ。メンバー、スタッフ、それぞれの「思い」が、7月のヘドバ行脚の難波ROCKETS、愛知ell.SIZEおよび目黒鹿鳴館「LEGEND~コルセット祭り」(昼・夜)のライブで、クラウドサーフィンも起こったという観客の熱狂を生んだのである。
その「思い」は、バンドを始めた若者の衝動にも現れるものだが、もっと深く長く持続するものであって、いわば人間の魂に関わっているものではないか。
それが「ロック魂」だ。
ぼくは、この「ロック魂」というものは、人間の本能に組み込まれていると思う。
過酷な環境や悲惨な境遇にあっても諦めず、知恵と力をふりしぼり、「なんとしても生き延びてやる!絶対にやり遂げるぜ!かかってこいやー!」というガッツ。サルの雄叫び、命のきらめき。
それをティピカルに表現した音楽が、現代においては、アメリカ黒人ブルースから発展していったロックという音楽だと思う。だが、ロック魂はロック音楽にしか発現しないというものでもない。
“成り上がり”の野心を抱いて目の前の仕事を頑張っている人は、矢沢永吉的なロックだろうし、人に評価されなくてもやむに已まれぬ衝動に突き動かされて作品を作り続ける芸術家もロックだろう。世界で活躍することを夢見て日々トレーニングに明け暮れるスポーツ選手もロックだし、社会正義や信仰のために極寒の冬の朝でも街頭に立ち続ける政治家や説教者もロックだと思う。
現在の地位に安住せず、馬鹿にされるような地味な仕事でも、孤独な生活でも、信念を貫き通す生き方。それがロックだと思う。やってることのいい悪いや好き嫌いは別にして。
だから、音楽そのもののジャンルではなく、音楽に取り組む姿勢にこそロック魂が現れる。
BABYMETALは、「初期衝動」からメタルを始めたのではない。KOBAMETALに与えられた「キツネ様に召喚されたメタルの使徒」「アイドル界のダークヒロイン」という嘘臭い「設定」を懸命に体現しようとするその姿勢こそロックであり、その最上級としてのメタルなのだ。
だが、BABYMETALには、まだ学ぶべきことがある。それは人生、ということだ。
レッチリ、メタリカ、ガンズはバンド歴30年、KOЯNは20年を超える。
内紛、薬物、スキャンダル、メンバーの脱退や死や大病。家族。そうしたものをすべて乗り越えて、今もなおバンドを継続させているのが、これらの大物バンドだろう。
ガンズ大阪公演の最後に演奏された「Paradise City」は、アメリカ西海岸でバンドが始まった頃、「ここではないどこか、緑豊かでカワイイ女の子たちがウジャウジャいる町」への憧れを歌った曲だった。そして、彼らは旅立ち、世界中を巡業して34年が経過した。
そして紆余曲折の果てに、スラッシュ(G)とダフ(B)が復帰して大阪でこの曲が歌われたとき、Paradise Cityとは、バンドが若い頃を過ごした、もう二度と戻れないあの懐かしい町だった・・・青い鳥のように、ぼくには聞こえた。
ロック魂は、若い頃のギラギラした野心にだけ宿るのではない。苦渋に満ちた人生遍歴の中で、時には見失い、気づいて取り戻し、懸命に保ち続けようとしなければならない、プライドとかアイデンティティとかの別名なのかもしれない。
BABYETALは、キツネ様のお告げ=さくら学院―チームベビメタの「先生」方に従って、懸命に楽曲とパフォーマンスに取り組んできた。そのロック魂とパフォーマンスの精度は、ベビメタはメタルじゃないという評論家やファンの保守的な固定概念を力づくで粉砕してきた。
だが、いつかは自分たち自身の頭で、ロックとは、メタルとは何か、自分たちにしかできない表現とは何かを、考えなければならない時が来る。たとえこれまでの奇跡的なバランスが一時的に崩れたとしても、長い人生をアーティストとして生きていくなら、一度ならずぶち当たり、乗り越えねばならない壁だ。
SU-は今年12月に20歳になるし、YUI、MOAは高校を卒業し、進学しなければ社会人になる。大学進学を選んだとしてもモラトリアム期間はあっという間に過ぎる。
その意味で、Metal Resistance第5章「米国死闘篇」は、大物バンドに帯同して、その生き様やたたずまい、そして風雪に耐えてきた「ロック魂」を学び、継承する旅になるだろう。
全然関係ないと思われるかもしれないが、これはカトリックの「幼児洗礼」に似ている。
カトリックでは、「人間として為すべきこと」とのイエスの言葉に従って、カトリック信徒の親は、赤ちゃんが1歳になると幼児洗礼を施す。だが、それは自分の意志ではないので、子どもは10歳になるとあらためて教義を学び、教会のコミュニティに認められて初めて「初聖体」を授けられるようになる。さらに、思春期に教義の学習を続け、自らの意志でカトリックであることを選び取った者だけが「堅信」という秘跡を受ける。「洗礼」は教区司祭によって水で、「堅信」は司教の按手(三位一体の聖霊の火に相当する)によって清められるという儀式だ。成人してから洗礼を受けた人も同じで、信徒として何年か過ごした後に、あらためて自分の意志で「堅信」を受ける必要があるのだ。ぼくは2004年4月に洗礼を受け、2005年11月に堅信を受けた。いい加減な信徒になってしまいましたが。
キツネ様のイニシエーションはどうなっているかはわからないが、BABYMETALは幼い頃にメタルの洗礼を受け、メタルの使徒としてすでに世界中で大活躍してきた。
だが、「先生」としてのKOBAMETALは、SU-にとって10代最後の年、YUI、MOAは高校生活最後の年となる今年2017年、自らの意志でメタルの表現者として生きていく確信をつかませるという課題を三人に与えているのではないか。
BABYMETALの「幼年期」は東京ドームで完成した。本当の表現者として、より大きな舞台に立つなら、ロック魂の本質をつかむ必要がある。それが大物バンドと一定期間を共に過ごすサポートツアーの目的なのだと思う。
従来のファン層だけでなく、大物バンドのファンに存在を強く印象づけ、新たなメイト層を開拓していくことができるし、同時に、今年公開されるであろうアニメを通じて、アメリカでの知名度は向上するだろう。
日本で「修行」の成果を見せるのは、早くてSU-が20歳=成人となる12月の聖誕祭凱旋公演もしくは、3rdアルバムリリース後となるのではないか。
もちろん、今年のサポートツアーを通して、大物バンドの生態や人生観に嫌気がさして、メンバーの誰かが「やっぱり無理」となる可能性もある。その意味では、地味だが、BABYMETAL史にとっては非常に重要な年になると思う。
P.S.4月17日、レッチリUSAツアーサポート4日目、また妹が在住するノースカロライナ州シャーロットですが、チケットは確保しました。
仕事のスケジュール調整がまだなので、行けなくなる可能性も残っているのですが、なんとかがんばって「修行」を見届けてきたいと思います。