ロック魂(1) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日3月9日は、2015年、第7回CDショップ大賞に1stアルバム「BABYMETAL」が選出された日DEATH。

 

KOЯNのサポート、反響が大きいですねえ。

「せっかくThe Oneに入ったのに国内の限定ライブがないのでは何のメリットもない」とのお嘆きもわからないではないが、まだ5月や7月以降のスケジュールは決まっていないので、どこかで帳尻を合わせてくれるんじゃないかな。それにThe Oneはアメリカやヨーロッパにもいて、「BABYMETALがニューメキシコに来る!」と歓喜している地元メイトさんもいるようだ。

問題は6月20日ですね。水野由結の誕生日なので、YUIMETAL聖誕祭in USAが実現するのか?とYMYのメイトさんたちが盛り上がっている。

当日ライブが行われるカリフォルニア州サンディエゴ郊外のチュラビスタ(City of Chula Vista)は、サンディエゴ湾に面した風光明媚な町で、小田原市の姉妹都市。日本人も多く在住しているとのこと。市内最大の雇用者は教育区(公立学校設置者)というデータから、サンディエゴへ働きに行く人たちのベッドタウンだということがわかる。かつて全米一の産地だったレモン祭りとか薔薇祭りとかもあるらしい。住み良さそうですね。ただし、2009年のフォーブス誌では、「アメリカでもっとも退屈な町」のひとつに選出されたらしい。

BABYMETALの単独ライブではなく、あくまでもKOЯNの前座をやるというだけだから、ステージ上でYUIだけ特別に何かするということはないだろう。出番が終わった後、遠征チーム内でお祝いするくらいか。でも、ジョナサンが名産の薔薇を持ってステージ上のYUIに手渡すというシーンも想像できなくもないなあ。

 

本日のお題は「ロック魂」。

BABYMETALがアイドルかメタルかはともかく、レッチリ、メタリカ、ガンズ、KOЯNと、大物ロックバンドのサポートをやっていく「修行」の大きなテーマは、「ロックとは何か」を知る旅なのではないかと考えた。

KOBAMETALは、小学校5年生のYUI、MOA、中学1年生のSU-に、自分の好みであったメタルをやらせた。

SU-のさくら学院卒業とともに解散する可能性もあった時期、KOBAMETALは、

――引用――

「BABYMETALがどうなって行くのかは10月に始まった『I,D,Z~LEGEND』シリーズのライブで明かされていく予定だ。どちらにせよ、将来的に見て良い経験になればと願っている。」(2012年10月31日日経トレンディのインタビュー)

-引用終わり―

と述べている。最後の「願っている」にホロリと来る。さくら学院の「先生」テイストをKOBAMETALもまた、持っているのだ。

当時、三人は、アイドルをめざしてアミューズに入ったキッズタレントだったが、その実、“アイドル戦国時代”という言葉も知らなかったはずである。

モーニング娘。の最大のヒット曲「ラブマシーン」の大ヒットはYUI、MOAの生まれた1999年。AKB48が結成されたのが2005年、SU-がスカラーシップを得てASHに入学する前年である。ももクロが結成され、代々木公園や飯田橋ラムラで路上ライブをやっていたのが2008年。2009年にはAKB48第1回選抜総選挙が実施され、シングル「RIVER」が、14枚目にして初のオリコン1位となる。この年、ももクロは、川上マネージャーの運転するバンで全国車中泊ツアーをやり、有安杏果が加入した。

2010年には、AKB48が「ポニーテールとシュシュ」「へヴィローテーション」の大ヒットで、巨大勢力“アイドル”となり、ももクロはメジャーデビュー曲「行くぜっ!怪盗少女」(3位)をリリースし、全国区になっていった。

そしてこの2010年、さくら学院が開校し、ももクロとともに第1回TIFに出演した。

株式会社アミューズの社員で、キッズ事業部担当となっていたプロデューサー小林啓氏は、こうした業界の状況をよく知っていただろう。重音部として結成されたBABYMETALは、単なる「部活」ではなく、「遠征」と称して単独ライブ出演(2011年10月タワレコ新宿店)もさせていたから、最後発のアイドルを売り出す方策として、幼い三人にメタルをやらせることについて、「イチかバチか」ではあっても、やはり重い責任感を持っていたと思う。「メタルに引き込む以上は、KOBAMETALとして最後まで引っ張って行く」と決意していたのではないか。

それが、継続か解散かをメンバーに問うていた時期のインタビューで、「将来的に見て良い経験になればと願っている。」という言葉に現れたのだと思う。

一方、子どもだったメンバーは、プロデューサーの指導に素直に従った。

第1回さくら学院祭直前の公式ブログにSU-はこう書いている。

――引用――

「クラブ活動の秘密情報★☆」「今回、このライブで新しいユニット(部活?)を披露します。今まで私が全くやったことのない新しい音楽の世界です。『こういうのをやらせてみたい』と聞いたときは、正直、えっ!と思いました。でも今は楽しんでやっています。どんなのだと思いますか。部員もあっと驚くくらいかわゆいですよ。最初の仮歌を聴いたときに「かわいい~♪」って思った曲が、アレンジで全く別の曲になったと思ったら…ダンスがついてまた雰囲気が変わって…1つの曲がアレンジやダンスでどんどん変身していったので、ライブ当日までにどんな風になるのか?今から、すっごく楽しみです」

(さくら学院日誌2010年11月26日付)

-引用終わり―

最初の仮歌の段階では、メタルのリフがついておらず「かわいい~♪」アイドルソングだったという重大情報も含まれており、KOBAMETALのこだわりによるPantera風のメタル・リフがつき、YUI、MOAという当時最年少の「あっと驚くくらいかわゆい」部員が入って、MIKIKO師による振り付けがついて、今あるあの「ド・キ・ド・キ☆モーニング」になっていったことがわかる。

2014年のNHK「BABYMETAL現象」では、メタルのメの字も知らなかった当時を振り返ってSU-は、「でも、太鼓がドコドコ鳴って、踊るのが楽しくて、これからどうなっていくのか楽しみになった。」と言っている。

まあ、「ロックやりてえ!」という「初期衝動」は、少なくともデビュー時のBABYMETALにはなかったということだ。

だからといってKOBAMETALは、幼いメンバーに直接、かつ強制的にメタルを教えたわけではない。それは、彼がインタビューでことあるごとに「メンバーの自主性を尊重している」と言っていることからわかる。だが、メロイックサインとか、ヘドバンとかモッシュとか、「メタル世界の常識」のようなものは教えたようだ。

実際、2013年9月のインタビューで、KOBAMETALは、次のように語っている。

――引用――

「でもBABYMETALはリアリティ重視というよりはディズニーランドだと思ってるんです。ミッキーの耳をつけた瞬間にその世界観に入れるみたいな、メタルもある種のファンタジーだと思ってるんですよ。BABYMETALのライブに行ったら、その世界に入り込んでストーリーを楽しむ。会場を出たら現実に戻るんだけど、また行きたいなと思わせる。そういう現実と非現実の間を行ったり来たりするようなところに持っていきたいなっていうのはあるかもしれません。

―じゃあ、自分たちの世界観をより研ぎ澄ましていくみたいな。

はい。ほかの人たちをあまり気にしてないんですよね。BABYMETALのコンセプトに“オンリーワン”というキーワードがあるんですけど、そこをきわめていきたいっていうか。モノマネされるような存在になれればいいなって。最近、アイドルシーンでもメタルっぽいことを取り入れた「BABYMETALみたい」っていわれてる人が増えてるらしくて、それはそれで感慨深くて。けしからん、もっとやれって(笑)。」

(音楽主義nexus060、2013年9月)

http://www.nexus-web.net/ongakusyugi/pdf/060.pdf

-引用終わり―

BABYMETALのメンバーには、「メタルはディズニーランドみたいなファンタジーの世界なんだ」というふうにイメージさせたのだろう。だからライブの始まりは「In a Heavy Metal Galaxy far, far away…」なのだ。

シリアスな「メタルのお勉強」としては、直接ではなく、聴くべきメタルバンド80組の代表作を「ヘドバン」Vol.1にリストアップしたりした。

その結果、BABYMETALがメタル誌、音楽関係者からインタビューを受けるようになったとき、好きなバンドを聞かれて、メタリカ、アイアンメイデン、ジューダスプリースト、スレイヤー、カンニバルコープス、リンプビズキットなどの名前を、「さん」づけで挙げるようになり、メタルゴッドJP伊藤政則を「メタリカさんのマスターですからね。どっかのスナックのマスターのことなのかとかね、近所のおじさんたちみたいなそんな感じしましたね」と苦笑させた。(2014年12月30日NHKFM「メタルゴッドJP」)

こういう「メタル界の常識」の習得は、さくら学院の「賢くなれるシリーズ」の感覚に近く、「初期衝動」に連なるロックやパンクやメタルへの思い入れはほとんど感じられない。

(つづく)