ぼくのRoad of Resistance | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

ぼくは王家再興の軍師である。

初めて仕事の話を書く。

ぼくのキャリアのスタートは、Eゼミナールという塾だった。その創業者だったK代表は、塾の経営者としては異端な発想を持った、当時の言葉で言えばスキゾ型の経営者だった。

開塾と同時に、自塾で使う教材を他塾に販売する教材会社を立ち上げた。良い教材を共同利用して、各々の塾が教材開発にかける手間や時間を省き、その分生徒指導に傾注すれば、業界全体が共存共栄できるという考えからだが、カリキュラムや教材や指導メソッドは門外不出の秘伝であるという当時の塾業界の常識とは180度異なる。

塾や教材会社だけでなく、揶揄されながらも、文化・芸術関係の出版、森の中のホテル、レストランといった生活提案型事業をも展開した。

その発想の原点は、「塾生は“受験生”であるだけでなく、家族とともにあり、日々成長する子どもだ」というところにあった。だから、「合格至上主義」にはならない。仮に志望校の受験に失敗したとしても、子どもがそのことを真摯にとらえ、「次の機会」に飛躍する糧となるなら相応の意味がある。塾が顧客に提供すべき本当の教育サービスは、長い目で子どもの成長をサポートすることだ、というのがK代表の“イズム”だった。

難関中学・高校の合格実績で勝負する塾とはスタンスがまったく違った。当時のEゼミナールには「教務部」がなく、教材やカリキュラムを制作するのは「管理部」、各教室は「運営部」の指導のもとにあった。前にも書いたが、ぼくは大学時代、時代遅れのサヨクっぽくて、フランクフルト学派に連なる「私生活主義批判」の教授のゼミにいたのだが、80年代のバブリーな雰囲気の中で、思いっきり「私生活主義」を経営哲学とするK代表になぜか惹かれて入社した。埼玉県の大教室の副室長になり、やがて、当時走りのDOSパソコンでバッチファイルを書き、データベースソフトやFAX一斉同報ソフトを使って、私立中高や顧客塾へ入試情報を提供する「進学情報センター」を社内に立ち上げた。しかし、店頭公開の直前、33歳のときに、会社がパラノ的官僚体質を強めていくのがイヤで、1993年に上司と言い争いになって辞め、自分で会社を創った。

同時に、パソコン通信のニフティサーブに「塾と予備校のフォーラム」を立ち上げて、全国の塾や予備校の先生方約1万人の会員を集め、初代シスオペとなり、全国でオフ会をやった。これが今でもぼくの仕事上の財産になっている。

自分の会社では、私学が主な顧客で、私立高校が中学校を開設する際のコンサルタントとして、東京都、埼玉県を中心に10校以上の私立中学新設や生徒募集に携わり、“脱偏差値”騒動の中では、特定私学だけでなく、埼玉県私立中学高校協会の顧問として、高校入試制度改革にも関わっていた。

中学受験模試を受験している子どものお母さんたち数百人を集めて、講演会や「母の会」をやっていた時期もあるし、地方局だけどテレビに出て、なぜか吉本芸人と一緒に入試問題の解説をやったこともある。PC用の学校案内ソフトを制作販売したり、教育関係のインターネットサイトを2つ立ち上げたりもした。

詳細はすでに書いたので省くが、それから20年以上が経過し、今年3月、このK代表が新しく作った会社にぼくは入社した。正確には業務委託契約だが、フルタイム以上の労働時間をぼくはこの会社で過ごしている。

元妻とのあれこれで、2年間人生のどん底にいたぼくがこの会社に入ったのは、K代表とともにまた仕事ができる、という喜びもさることながら、K代表一家の現状を知ってしまったことが大きい。

K代表はEゼミナールの創業者だが、数年前に、現在の筆頭株主F氏が株を買い進め、K代表の教え子でぼくの元上司だった取締役たちからも裏切られて、ついに代表権を失ってしまった。

健康上の問題もあってK代表は数年間“浪人”していたが、昨年、今の新会社を立ち上げた。その間、別会社でホテル経営を続けている代表の奥様やお嬢さん、それに“浪人”中に付き従った社員たちがK代表を支えていた。そして新会社が立ち上がったとき、Eゼミナールからも数名、K代表のもとにはせ参じた。今年3月に入社したぼくは、部長クラスとしては新参者である。

だが、ぼくは、教育業界におけるK代表の復権、そしてK代表とともに、21世紀を担う子どもたちのための、新しい民間教育の業態そのものを創り上げる可能性に賭けた。それは、ぼくの30年以上におよぶ教育業界での仕事の集大成となるものだ。

1980年代後半、中高一貫6か年教育が、中学3か年‐高校3か年という前期・後期中等教育の接続制度よりも「良い」という言説が大流行した。いくつかの理由を列挙してみる。

1.中学と高校の教科カリキュラムは一部重複しており、非効率的である。

2.画一的な入試問題で行われる高校入試では、「詰め込み教育」「偏差値による輪切り教育」が行われ、子どもののびのびとした成長が阻害されている。

3.文部省(当時)の学習指導要領やその細目を厳密に守らねばならない公立中高に対して、私立中高は、6か年という長いスパンで、ある程度自由にカリキュラムを組み立てられる。5年間で中高内容を終わらせ、高校3年では大学入試対策に専念できるから有利である。

4.異動の多い公立中高の先生に対して、私立中高は、極端に言えば6年間同じ教員集団に指導を受けることになるので、安定感、信頼感がある。

これらの言説は、“理論派”の塾・予備校講師など(高名な70年代極左セクト出身者もいた)によって喧伝された。第二次ベビーブーム、バブル、中学入試ブームが起こり、塾や出版社が推計で算出する中学受験率〔2月1日実受験者総数+近県1月中入試初日実受験者数×近県中学第一志望率〕は、1都3県全体で20%を超え、都心部では40%を超えて、市場が拡大した。一部難関校だけでなく、中堅校や近県の高校もこぞって中学を開設し、また、需要の拡大に応じて“偏差値だけでない”学校選びが、最盛期には10誌を超えた受験雑誌で展開された。私立中高を勧める学習塾や出版社と私立中高が“共闘”するという形は、この30年間の業界の骨組みになっている。

だがしかし。

少子化と経済格差拡大の中で、この骨組みはもう終わっていないか?

小学校6年生の絶対数も、中学受験率も、年々下がっている。

東京都内の私立中学・高校の半数は、もう何年も定員割れが続いている。学校の定員には2種類ある。その年度に募集する生徒数を示す「募集定員」と、学校が設立されたとき、1学年何人の規模にするかを示す「学則定員」だ。募集定員は、一般的に学則定員より少ない。これが募集要項に記載されるから、募集数を入学数が多少下回っても目立たない。だが、本来学校経営のベースになる「学則定員」から見ると、もっとひどい状況なのだ。創立時に登記された学校の規模が維持できていないということは、極論すればもう存続する社会的ニーズがないのだ。

だが、本当にそうか?

1990年代後半から、生徒数の減少を見越して公立高校の統廃合が進む一方、私立中高6か年教育を真似た「公立中高一貫校」というのが全国各地で作られ、旧ナンバースクールが軒並み中高一貫校、中等教育学校になった。もともと「経済的に恵まれない生徒にも、より良質の教育を」という理念で創られたのだが、ぼくにいわせれば、公立中高には「平等」「公平」な教育を国民に与えるという「義務」があり、より特別な教育需要(例えば宗教)に合わせた私学の教育とは目的がちがうはずだ。だが、私学に似ていて、かつ学費が安いがゆえに、公立中高一貫校の人気は、中学入試ブームが終わっても続いている。これは、明らかに私学のような「特別な教育」を受けさせたいという需要が、潜在的にあるということを示している。

私立中学高校は、教務的にも経営的にも、子どもが減れば減るほどものすごい努力をして、難関大学合格実績を上げているのに、家計が厳しい家庭の子どもは、進学塾に行けないので、そういう教育機会にアクセスすらできない。公立中高一貫校ですら、設置当初から、実際には塾に行かないと「対策」ができず、普通の児童では受からない。しかも中学受験塾では、かつて中3で行われていた「詰め込み教育」が、いまや小5、小6で行われている。

そう、ここが最も大きな問題なのだ。塾と経済格差の問題だ。

塾には、大きく2種類ある。公立高校受験をターゲットにする中堅塾ないしローカル塾と、首都圏や近畿圏をベースにする中学受験進学塾だ。この20年で、前者と後者には大きな違いが生じた。

前者のようなローカル高校受験塾は、20年前には塾生があふれ、いくつもの教室を展開しているところが多かった。ぼくが全国でオフ会をやっていたころ、そうした塾の塾長は鼻高々だった。ところが現在では、生徒数が減少して、ほとんどの塾が規模を縮小したり、フランチャイズチェーン塾に様変わりしたりしている。

後者のような難関中高受験塾は、2000年代に店頭公開、上場をして大手塾になっているところが多い。Eゼミナールも二部上場までいった。しかし、現状は、どんどん減っていく生徒を奪い合い、個別指導やタブレットによる反転学習やビデオ教材などを組み込み、合格実績を競い合っている。子どもが減っているから、塾の月謝、生徒一人当たり単価はどんどん高くなっている。

かつて、経済的に恵まれない家庭でも、公立高校に進み、国立大学に進むことができるという日本の教育制度は、いろいろな批判はあっても、能力のある子どもが、社会的に成功するためのルートとなっていた。

しかし、この30年間で、塾に行かなければ難関私立中高に入れず、難関私立中高に入らなければ難関国立大学に入れないという傾向が定着した。経済的に恵まれない家庭に生まれた子どもは、高額化する塾には行けなくなっている。そして、そのことは、能力があっても大学教育を受けられない子どもが増えているということでもある。大学教育を受けられなかった人と、大学教育を受けた人の生涯賃金の差は、統計によると9000万円にのぼるという。塾業界は、明らかにこうした格差を助長しているのだ。

しかも、実は塾に通っても本当の難関中学・高校・大学に行けるのは、限られた生徒だけだ。偏差値序列がある限り、80%の生徒は、中堅くらいの「学校歴」で終わる。それは30年前当時と変わらない。だが、この20年間、日本経済・社会の変化により、「高学歴・高学校歴=高収入・安定人生のパスポートである」という幻想は、ことごとく打ち破られている。

2000年代初頭の小泉“構造改革”以来、大企業、中堅上場企業のリストラは広く、深く進み、現在、新卒入社社員の30%は3年以内に退職し、その80%は二度と正社員になれない。2015年度の統計によれば大卒で、3年以内の離職率の高い業種ベスト3は、「飲食・宿泊業」(52.3%)、「生活関連サービス業・娯楽」(48.8%)、「教育・学習支援業」(48.5%)、「小売業」(39.8%)・「医療・福祉」(38.8%)など。新卒で入った会社を辞めた高学歴の社員は、同じような職種を求めて転職する。転職サイトはあまたあり、手ぐすね引いて待っているが、紹介される待遇は一段落ちる。それを繰り返した挙句、派遣社員や、非常勤雇用となって「ワーキングプア―」階層へと転落する。

「人間教育」をうたう学習塾、あるいは「考える力を育てる」ことを標榜する塾は意外に多いが、実際には受験問題を解くための解説ないし情報伝達が行われているだけである。難関私立中高一貫校、あるいは各都道府県の公立上位校に合格させるまでが、学習塾の役割であり、そのあと、卒業生がどうなるかは、関心の埒外にあるのが現状の学習塾業界なのであって、それが「学習塾」という商品の“常識”である。そして生徒たちも、保護者も、「それで十分だ」と考えているのである。

だが、学校歴信仰を再生産しているが学習塾は、教え子を、無責任にとても危うい環境に投げ出しているに等しい。

ぼくは、自戒と怒りを込めて、現在の塾や私学の業態を変えたいと思う。

まず、従来の業態にこだわる塾とは、当面競合しない、新しい業態の塾の条件を考えていきたい。

週に数時間受験指導をするのではなく、子どもを安心して24時間預けられる機能、すなわち食堂や宿泊できる部屋をもった施設が必要だ。片親(母子、父子)の家庭は、1988年に子どものいる1643万世帯のうち65.4万世帯(4%)だった。だが2012年には、1209万世帯中91.2万世帯(7.6%)と倍増した。このうち母子家庭になった理由は、1988年に、離婚62%死別29%だったのに、2012年には離婚80%死別7.5%である。ひとり親として子どもを育てている母親の多くが、子どもの養育が原因で、フルタイムで働けない。したがって収入が少なく、当然塾や私学や大学に子どもを行かせることができない。離婚は、子どもには何の関係もないのに、能力のある子どもが、高等教育を受ける機会を奪われているのだ。

塾の役割は、もともとK代表が言っていたように、長い目で子どもの成長をサポートすることにあると、ぼくも思う。日本社会の現状から見れば、そのサポートとは、社会的に、家庭の役割を担うということだ。

現在の日本社会にも、奨学金制度や学童保育という仕組みがある。福岡市などでは、子どもの居場所として、「子ども食堂」という試みを行っている。しかし、そういうサービスはバラバラで、保護者の利便性、ワンストップ性などは全く考慮されていない。例えば、福祉という枠組みの中に位置づけられる学童保育では、「教育」をやってはいけないことになっている。児童養護施設もそうだ。

奨学金制度は「貸与」であり、初任給が減っている現在、返済しきれないケースが続出して、破たん寸前になっている。これに代わる給付型奨学金制度は、財政問題から先送りとなっている。

こうした行政の停滞を待てない需要に応えるのが、まったくの私企業である民間教育機関である。

片親でも、そうでなくても、安心して子どもを預けられ、フルタイムでバリバリ働いて収入を上げられる環境を提供する。場合によっては、疲れた親が子どもと一緒に泊まってもいい。海外出張もできる。長期的にドミトリー的な機能を果たしてもいい。そういう施設が理想だ。ぼくの会社では、建築家や美術家とコラボしつつ、ホテル経営をやっているから、相当高いクオリティでそうした施設を建設することができる。

では、そんな塾で何を教えるのか。

それは、子どもと親が、国際社会で活躍できる能力開発である。

ぼくの会社で、今年の1月から本格的に稼働している小さな教室では、速読聴(400ページの本を30分で読めるようにする)、パズル算数(思考力と論理性を育てる)、Scratchプログラミング(プログラム構文を覚えるのが目的ではなく、構想力、プロデュース力を育てる)、ベビーステップスという英語表現および読解の教科(同じ表現を日本語と英語で交互に読み書きする)などに、小学校1年生から4年生のカリキュラムで取り組んでいる。中学入試は目指さないが、たとえばパズル算数は、ご三家合格実績のある講師が担当し、大学の数学レベルに直結する数理能力を身に着けさせる。月謝は単科8000円台。教室は図書館のように数百冊の本があふれ、学習スペース間に壁のないオープンなログハウス風の作りになっている。宣伝はしないが、ぼくの言っていることは夢物語ではなく、すでに部分的に行われていることなのだ。

体育やサバイバルキャンプ、家庭科や芸術教育のカリキュラム、親・社会人のための能力開発カリキュラムもつけ加えていく予定だが、基本的な考え方は、受験塾ではまったくないのに、海外の大学で学べる能力、国際的に活躍できる自立した個人の能力を身に着けさせるということである。

人口が減っていく日本の教育界で、経済格差が教育格差に結びつく現状は、絶対に変えなければならない。「教育立国」で行くしかないのだ。

こうした塾のプロデュースやディレクションも含め、私学と企業と塾とを結び付け、新しい業態を全国展開する組織を創っていくのがぼくの仕事だ。海外展開も仕込んである。アメリカへ行ったとき、教材を英語化する段取りも、実はつけてきた。先週、先々週は、中国は江蘇省や上海の「要人」を接待して、「乾杯」「乾杯」の日中馬鹿合戦をやった。1週間以上もブログが更新できなかったのも、そのせいでした。すみません。入社以来3か月でやっと準備ができた。

6月20日、ぼくがプロデュースする教育コンソーシアムの発足セミナーが始動する。

募集中の会員は企業、私学、塾の経営者たちだが、個人会員も受け付けている。

これがぼくの道なき道、Road of Resistanceであります。

BABYMETALがそうであるように、ぼくも本気だ。かかってこいやあ!!!