★今日のベビメタ
本日2月15日は、BABYMETAL関連ではこれまで大きなイベントのなかった日DEATH。
BABYMETALの師匠、韓国ソウルで前座を務めたMETALLICAの全米ツアー日程が発表された。5月10日の東海岸ボルチモアを皮切りに、8月16日シアトル近郊のエドモントンまで、3カ月間にわたる。注目の前座(Special Guest)は昨年、いくつかのフェスでBABYMETALと重なっていたAvenged Sevenfold。レッチリの後、そのままアメリカに居残ってメタリカの前座を務めるのではないかという憶測は外れた。
今日から連載するお題は、BABYMETALの楽曲の歌詞について。
BABYMETALが他のメタルバンドと大きく異なっているところは数えればきりがない。主なポイントをあげるなら、次のようになるだろう。
・フロントマンが女性3人組のアイドルであり、従来のメタルにはなかった“ダンス”をしながら歌うというスタイル。
・アイドルだけに「親目線」で成長を追っていくことができるということ。
・自作自演のバンドではなく、有能なプロデューサーのもと、J-POPのプロ作曲家・編曲家が鋭い感性と高度な技術によって、ロック、メタル、その他の音楽的要素を巧みに織り込んで(“オマージュ”)楽曲を作っているということ。
・SU-、YUI、MOAもまた、アイドルとはいえ、幼い頃からの鍛錬によって、傑出した歌唱、ダンスを身につけたプロであり、その根性とステージ度胸はベテランをも凌駕すること。
・神バンドは、音楽学校の講師を務めるほどの高度な演奏技術の持主ばかりだが、単なるバックバンドを超えて、BABYMETALの三人とともに世界で戦うガッツにあふれている。
などなど。
典型的なメタルバンドとは違うが、そのユニークさとクオリティは、いったんBABYMETALのライブを見てしまうと、他のバンドがすべて色褪せて見えるほどである。
ここまでは世界中のThe Oneなら共通認識といえるだろう。
だが、海外のファンにはなかなか理解してもらえないことがある。
それは、日本語で書かれたBABYMETALの楽曲の歌詞の特異性である。
―――引用―――
涙こぼれても(押忍!)立ち向かってゆこうぜ
ひたすらセイヤソイヤ戦うんだ 拳をもっと心をもっと
全部全部研ぎ澄まして Woo woo woo
まだまだセイヤソイヤ戦うんだ 悲しくなって立ち上がれなくなっても(押忍!押忍!)
(「KARATE」(Copyright©2016トイズファクトリー)
―――引用終わり―――
凄い歌詞だ。
立ち上がれないほどのダメージを食らっても、泣きながらでも、心と体を鍛え上げ、ひたすら戦え、というのだ。
「押忍!」とは武道家の掛け声だが、意味は「修行のため、すべてを耐え忍びます」というもの。
これぞ日本のド根性。おしん魂。
知識や情報や技術や戦略なしに、やたら精神性を強調するのはナンセンスだが、一方で、すべてのものごとは「何が何でもやり抜く」というド根性なしに達成できないのは、人間の真実である。
日本という国や国民は、世界の多くの国の人々から敬愛されている。
それは、アジアで初めて国家政策として西欧文明を学んで近代化を成し遂げ、中国、ロシア、アメリカ、イギリスと戦い、結果的に、アジアを西欧列強の植民地の軛から解放したという世界史的事実や、敗戦後の高度経済成長、80年代からのハイテク日本といった事象だけが理由なのではない。
21世紀に入ってから、日本に寄せられる関心(経産省は「クールジャパン」と呼ぶが)は、モノづくりの技術だけではなく、デザインや食文化、サービス、さらにはその背景にある日本人の精神性にまで及んでいる。
「天知る地知る己知る」「お天道様が見てる」といったことわざにみられるように、嘘や不正を嫌い、約束を守る誠実さ、誰もやらないなら俺がやるといった困難に立ち向かう知恵と勇気、災害時でも品位を守りお互いに助け合おうとする倫理観、過ぎ去ったことは「水に流す」やさしさ、集団の総意を大切にする「和」の精神、人を差し置いて前に出ることを控える謙虚さ、そして最後にモノをいう「ド根性」を併せ持っている日本人の国民性そのものが、今、世界的にもっとも注目を浴びるコンテンツとなっているのだ。
確かに、集団の規律に従わないものに「出る杭は打たれる」的な意地悪をすることもある。
全員の平等を重視するあまり「横並び」意識が強いのも日本人の悪いところだ。少し前まで、日本は酔っ払い天国だったし、自殺を禁じる教えが徹底していないため、自殺率も高い。
税金が高く、高福祉国家のはずなのに、縦割り行政と複雑な福祉政策によって、小ずるく不労所得を得る者がいる一方、その恩恵を受けられない人々も増えている。
日本に住んでいれば、そうした悪いところも見えてくるのだが、それでも他国に比べて、日本は総じて「いい国」だと思う。
こうした日本および日本人を生みだした要因は何か。
それは教育である。
日本の教育には批判が多い。政治論議は苦手でも、「最近の若者は…」という酒場談義になるとみんな参加してきて、最後は「教育が悪い」という結論になることが多い。
ぼくは教師ではないが、塾や学校のコンサルタントという職業で飯を食ってきたから、そういう場で苦笑してしまうことが多い。教育に関する個人的な意見の多くが、現場や客観的なデータや本質的な問題を考慮しない単なる「持論」に過ぎないからだ。しかし、政治家の多くもその「持論」に基づいて「教育改革」をやりたがり、えてして「教育改革に熱心」な政治家が人気を集め、当選したりするから始末が悪い。その結果、複雑怪奇な「教育改革」が行われ、その成果の客観データを用いた検証もないままに、次の政治家がまた「教育改革」をやる。1990年代から2010年代までの「ゆとり教育」(新しい学力観、絶対評価、推薦入試etc.)で、どれほど日本の教育がゆがめられたか。
ひとつだけ例を挙げると、「日本は画一的な教育、入試制度だからダメだ」というのがある。
明治の学制発布以来、日本は国費で全都道府県に大学を作り、公立の高校、中学、小学校を作り、全国民がナショナルカリキュラム(学習指導要領と国定教科書)を一律に学ぶという教育体制を作り上げた。そして「教育は国民の義務であり権利である」「遅刻、欠席はいけない」「勉強には出身、門地、地縁、血縁、財産は関係ない」「能力ある生徒には、安価な進学経路を保証する」「入試はナショナルカリキュラム(学校で習った範囲)から出題する」「合否は試験の得点で決まる。縁故、コネは効かない」という、世界でも稀に見る公正・平等な仕組みを構築した。
これが、現代日本人の「時間を守る」「公正・平等を旨とする」「生真面目に努力すれば報われる」「集団の規律を守る」「列に並び、順番を守る」という性格を作り上げ、「金持ちのボンボンでも勉強しない馬鹿は優遇しない」という資本主義社会における社会的再配分、スタートラインにおける平等を保障してきた。卒業式で歌われる「蛍の光」は、「灯火がないような貧しい家でも、夏は蛍の光、冬は窓の雪明りで勉強する」という情景を描いたものだ。これが日本の教育の原点である。
日本が、アジアの国々に先んじて近代化を達成でき、戦後の困難な時期にも高度経済成長ができたのは、倫理観が強く、勤勉で、集団で団結して事に当たるという国民性があったからだ。その意味で「画一的な教育」や「画一的な入試」は、日本の国力を高める上で、総じて大きくプラスに働いてきたのだ。
もちろん、その結果としての「学校歴社会」や、「独創性に欠ける」といった面、冷戦構造のイデオロギーを引きずる教職員組合、「教育改革」のせいで書類づくりに追われる教師など、日本の教育にまだまだ問題点、改善しなければならない点があるのは事実だ。
しかし、ナショナルカリキュラムに基づいて平等・公正に教育を行うという骨格は、絶対に変えてはならないし、世界中のお手本になるものだと思う。
BABYMETALは、さくら学院という「学校」を模したアイドルユニットから派生した。
そして、「校訓」どおり、世界で活躍するスーパーレディとして、まだ10代なのに世界各国でライブツアーを行い、現地のファンを熱狂させている。しかも日本語で、日本的な価値観を訴えている。そのこと自体、「ロック魂」がさらに強まった「メタル魂」、すなわち筋金入りのド根性だといえる。
そして、その歌詞には、これまでのHR/HMのギミックに満ちたものとは一線を画す、日本的価値観、それもアイドルらしく、立ち上がってポジティブに生きようぜ!というメッセージが含まれている。
(つづく)