世界征服への道のり(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

昨日2月6日は、BABYMETAL関連では、これまで大きなイベントがありませんでした。

本日2月7日は、2014年、BABYMETALの三人がTV朝日「Mステ」に出演、AKB48と初共演した日DEATH。「イジメ、ダメ、ゼッタイ」の出番前、Xジャンプとキツネサインを教え、AKBのメンバーは大笑いしながらやってくれたが、唯一指原莉乃が笑ってなかった説も。

 

レッチリ、メタリカ、ガンズと前座を務めたバンドはいずれもアメリカン・バンド。

このことから、世界征服を目指すMetal Resistance第五章は、アメリカ人メインストリーム・ロックファンを虜にするための米国死闘篇だと考えた。

どうすればアメリカ人はBABYMETALを受け入れるのか。

アメリカ人の多くは、アメリカ的価値観は人類共通で、自国を「世界で最も寛容で、最も進歩した自由の国」だと思っている。

WASP(White Anglo-Saxon Protestant)のエスタブリッシュメント保守層は厳然と存在しているが、もともと移民の国だから、様々な国から来たエスニックな文化を取り入れる気性をもっている。

ただし、妹の旦那も含めて、知り合いのアメリカ人を見ていると、漠然とだが、基準のようなものがあると思う。

それは、その文化なり商品なりのバックグラウンドにある価値観が、アメリカ人の理解できる範囲内にあり、かつ実用的=生活に取り入れやすいことである。

持ち込む側が、「質が下がる」のを嫌い、エスニックな純粋性を強調しすぎると、尊敬はされるが大衆化はしない。

例えば、柔道や空手は、物騒なスラム街で身を守るため(=家族を守るため)に実用的な「護身術」として受け入れられている。身一つで戦えるというのがいいのだ。

しかし剣道は精神性が高く、(勝ってもガッツポーズをしてはいけない)、「サムライ」として尊敬されるが、広まってはいかない。稽古に通うために、数人のグループが竹刀を持って地下鉄に乗っていたら、テロリストとして通報されてしまうだろう。

寿司はヘルシーな食文化として大人気だが、より庶民的なおにぎりは広まらない。ただでさえ警戒するアジア人の料理だが、ネタが外に出ていれば一応何を食べているかがわかる。しかし、おにぎりは、中に何が入っているかわからず不安。実際にアメリカ人に聞いた話だ。

「いやいや、ホットドッグはどうなんだよ」と聞くと、「だからあれはわざと半分見えるようにしているし、第一アメリカのモノだし」というのが答えであった。

価値観が共有でき、実用的である。これがアメリカ社会に異文化を持ち込む際に受け入れられるかどうかの基準である。

ちなみに、これは日本がアメリカ文化を取り入れ、ジャパン・クオリティにしてアメリカに輸出するのとは若干位相が違う話になる。日本車や電化製品やイチローやジャパニメーションのオリジナルはアメリカの方であり、日本で改良されたものが、その品質の高さでアメリカにいわば「逆輸入」されて受け入れられているのだから。

さて、BABYMETALである。

ポップス、ロック、メタルの範疇に入る音楽だから、オリジナルは西洋のものである。だが、日本人が日本語で歌っている以上、異文化でもある。

ロック-メタルは、ブルースを基調とし、自分たちで演奏するバンドという形式の、どちらかといえば男性的な音楽だが、BABYMETALはバンドではなく、カワイイ女の子たちが、歌って踊っている。しかも、ブルーノートがほとんど入らないヨーロッパ的メタルの曲調に、ときおり日本の童謡(さくらさくら=「メギツネ」、こがねむし=「いいね!」)や、ヨーロッパのクラシック(きらきら星byモーツァルト=「ウ・キ・ウ・キ★ミッドナイト」、エリーゼのためにbyベートーベン=「YAVA!」)が入っていたりする。

しかも演奏、歌唱、ダンスは「生」であり、ライブショウの演出やステージングは卓越している!「なんじゃこりゃ?」

いいか悪いかはともかく、BABYMETALは、J-POPアイドル文化とへヴィメタルの「融合」であり、ものすごいジャパン・クオリティの中に和風を組み込んだハイブリッドである。明らかに伝統的なロックバンドではないし、メタルですらないかもしれない。

かといって単なるポップソング、J-POPでもない。踊るからといってK-POPでもない。

結局、Only OneのBABYMETALであるとしか言えない。

 

唐突ですが、ここで重大な発見をお知らせいたします。すでに誰かが言っているかもしれないのだが、KOBAMETALは、純粋なメタルキッズ、ラウド小僧ではなかったのでないか。

確かに、BABYMETALの楽曲やライブ構成には、彼のありったけのメタル関連知識の“オマージュ”が見られる。しかし、実は聖飢魔ⅡやXに惹かれたことに見られるように、ギミックとか、異分野のハイブリッドにこそ、反応していたのではないか。

彼が高校~大学生だったと思われる80年代~90年代のラウド系音楽界の状況は、NWOBHMからLAメタル、UKパンクから西海岸のスラッシュメタル、パンク・ハードコアからポストパンク・グランジへという流れの中にあった。そのテーマを大雑把に言えば「より速く、より過激に~退廃的かつ反社会的に」という流れだ。

大きく分けてメタル系とパンク系に分かれ、近親憎悪的に、血で血を洗う抗争が繰り広げられた。

前者はハードコアの影響が強いスラッシュメタル一派(メタリカ)を除けば、70年代ハードロックの延長であり、よりテクニカル、かつギミックに満ちていて商業的だ。

しかし、後者のパンク→ハードコアに連なるバンドは、もっと暴力的で、反社会性を帯びていた。商業的に成功することを嫌悪し、70年代の思想性を80年代まで引きずっていて、大麻やドラッグだけでなく、極左的な政治活動やレゲエのラスタファリズムとも通底していた。

アメリカほどではないにしろ、日本の大学のサークルでも80年代にはまだ、シンプルで過激なパンク、レゲエこそ「革命の音楽だ」という風潮があった。昨年秋のベビメタロス期間に、ベビメタアニメのシナリオでちょっとだけパロッた無政府主義パンクの代表バンド、クラス(1977-1985)は、自給自足の共同生活、環境保護、商業主義批判がウリだった。

「より速く、過激に」から「内省的・退廃的」に変わったグランジ・ブームの中で、アイドル的人気を得てしまったニルヴァーナ(1987-1994)のカート・コバーンは、プライバシーを失う恐怖におびえ、自己嫌悪して自殺した。純粋だったのだろう。

当時のメタルキッズは、だるいリズムのグランジには抵抗したが、少なくともハードコアとメタルの区別はつかなかった。「速く、重く、パフォーマンスが過激」であれば「すげー」と思っていたからだ。

メタル側にいたライオット(1975-1984)の「NARITA」は三里塚闘争に連帯したものだし、プラズマティックス(1977-1988)のボーカル、おっぱい丸出しの刈上げ姉ちゃんウェンディ・O・ウイリアムスは、のちに環境保護運動家になり、自殺した。(スケベなぼくはLPを買ったのよね)

メタルとハードコアのど真ん中にメタリカが存在していたことも大きい。

メタリカはドラッグ中毒者をテーマにした「Master of Puppets」や、戦場で障害を負った兵士がテーマの「One」でグラミー賞(1990)をとるほどの社会派かつポピュラーな存在でありながら、グランジにも接近していった。

というより、音楽的には、結成当初のスラッシュメタルだって、70年代HR(モーターヘッド)とUKパンク~ハードコア(ダイヤモンドヘッド)の「融合」だったのであり、グランジに接近していったのはグラミー賞前のことで、西海岸三大グランジバンドの一つ、サウンドガーデン(1984-1997)がお気に入りだった。1999年にはサンフランシスコ交響楽団とのコラボ「S&M」をやっている。

つまり、メタリカこそ、元祖メタル・ハイブリッドなのだ。

キッスのコピーである聖飢魔ⅡとハードコアのカリカチュアをやっているようなX-Japanに惹かれていたKOBAMETALは、メタリカのそういう多様性から学んだと思われる節がある。速さ、重さ、過激さに惹かれるだけのピュアメタルキッズ、ラウド小僧ではなかったのだ。

だから、ジャーマンメタルや南米パワーメタルにも、のちに「Nu-Metal」と呼ばれることになる電子楽器やDJ、ラップ、ヒップホップをとり込んだラウドな音楽にも、拒否反応を示すことなく入っていけた。パンクとは一線を画したい、純粋なテクニカルメタルファン(エアロスミスやモトリークルーやガンズはちょっと人気すぎるけど好きだし、エディ・ヴァン・ヘイレンは尊敬するし、イングウェイ・マルムスティーンやキコ・ルーレイロの凄さを言いたくてたまらない人々)や、プログレ崩れ(ドリームシアターやシンフォニック・メタルのファン)ではこうはいかない。

日本の音楽評論家も、リンプビズキット(1994-)やKORN(1992-)やスリップノット(1995-)が出てきたときに、一斉に「メタルじゃない」「ラウドなだけ」と言い募った。

しかし、KOBAMETALはちゃんとこういう「新しいメタル」を聴き、アリだと思っていたのだろう。

それが、BABYMETALの楽曲に生きている。

(つづく。写真は4月にBABYMETALがレッチリの前座で行く、米国ノースカロライナ州シャーロットのショッピングモール内のSUSHIYA JAPAN)