フィリピンという補助線 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日1月24日は、2014年、筋肉少女帯とBABYMETALの2バンライブが、TSUTAYA O-EASTで開催された日DEATH。

 

昨日、メタルネーム引継ぎの儀があり、ぼくも金曜日に届いたBig Teeのスクラッチをこすって出てきた登録番号を使って無事済ませたが、期待されたMetal Resistance Episode Ⅴのスケジュール発表はなかった。

あったのはThe One限定東京ドームBD&CDセット27,000円を購入した方のみエントリーできるエクスクルーシブイベント「The Only Five Knows」(The Oneから選ばれた5人だけが特別参加できるイベント)が4月1日FOX DAYに実施されるというアナウンスだけ。

これは去年もあったのだが、参加者は自分が参加することも、そこで何があったのかも口外厳禁なので、仮に当たったとしても墓場まで持って行かなくてはならない。そんなことは無理だ。

去年は確か誰でもエントリーできたはず。ぼくもしたんだっけかな。それすらも忘れた。

ドームデロは買うが、The One版はいいや。4月12日発売の初回限定版を買うつもり。それでも9,000円だけどね。

しかし。

4月1日までは何もないことが確定。4月はレッチリUSツアー。

いったい、どうなってるんだろうね。今年のベビメタ。

 

本日は全然関係ないフィリピンの話。

BABYMETALの活動期間は時間がおそろしい勢いで流れるため、もう旧聞になったが、1月12日、安倍首相は、フィリピン共和国を訪問した。

中国に対抗して5年間で1兆円のODA供与を手土産にした、外交戦略に基づくものであるが、韓国から帰ってきたぼくは、腑抜けた頭で、2日目の1月13日、安倍首相がドゥテルテ大統領の地元ダバオ(ミンダナオ島)の自宅で朝食を共にしたというニュースを見て、感動してしまった。

前にフィリピンの国民的アイドルグループ「Sex Bomb」や、TV局の芸能人お抱えシステムについて書いたことがあった。

ぼくは1999年からフィリピンと関わりができ、2003年から2014年までは、ほぼ毎年、長い時は1ヶ月以上、フィリピンに滞在していた。留学生関連の仕事もあったし、ラサール大学のそばにコンドミニアムを所有している。今でも日常的にカトリック教会でフィリピン人とタガログ語で話し、ギターでミサの伴奏をしている。1月14日は、目黒教会での在日フィリピン人グループGFGCの新年会におよばれした。

フィリピン人の挨拶に「Kumain ka na ba almusal?」というのがある。アルムサールというのは朝飯という意味で、翻訳すれば「朝飯食ったか?」という言葉である。これは親しい友人に言う言葉で、「ちゃんと生活してるか?」というようなニュアンスがあり、もし食べてないと答えたら「じゃあ、これ、食うか?」といってカバンの中に常備してあるパンかバナナが出てくる。「食えないならしばらく俺んちにくるか?」という相互扶助的な意味合いもある。

マスコミでは、したたかなドゥテルテ流のおもてなしだとかうがった見方をしているが、そうではない。あれは、知恵者がいて、安倍首相の方から「家に行ってもいいか、飯を食わせてくれ」と言ったに違いない。ホテルでの晩餐会より、家で朝飯。

フィリピン人には「飯を食わせろ」と言ったら、自分がどんなに困っていても絶対に食わせなければならないという習慣がある。貧しいユダヤ-カトリック-ムスリム共通の掟だ。

フィリピン人と友達になるのは簡単だ。「Wala akong pera. Naggutom na ako.(金がない。腹減った)」と言って悲しそうな顔をすればいい。必ず飯を食わせてくれる。

「Utang na loob(心の中の借り)」という言葉もある。弱っているときに助けてくれた人には、生涯の絆が生まれる。貧しく弱い人間に同情や共感を示し、手を差し伸べられることが良き大人の条件なのだ。

見栄っ張りな上層階級を除いて、金があることよりも、金がないことの方がプラスになる国。それが世界一楽天的なカトリック国、人間、生きてりゃ何とかなるさ、というフィリピンの最大の魅力だと思う。

そして、フィリピン人の家で一緒に朝食を食べれば、もう「Kapatid(兄弟)」である。しかも夫妻同志で寝室を見せるというのは、相当なものである。

個人的な友人関係が政治的な意味を持つというのはおかしな話だと思うが、それでも大統領就任後初めて、日本国の代表者たる安倍首相が家にまで来て、「朝飯食わせろ」と言ったら、兄弟づきあいするしかない。

もともとは大の親日家で、ダバオ市長時代には日比友好協会の伝手で、日本にスキー旅行に来たこともあるドゥテルテだが、米オバマ前大統領とフィリピン前大統領アキノが大嫌いなため、中国とのてんびん外交をやろうとしていた。それを日米陣営に引き戻した安倍外交、大勝利である。

 

ぼくがフィリピンに頻繁に行くようになった2003年ごろ、フィリピンは公式には反日国だった。

当時、マニラ市内の観光地、フォート・サンチャゴ(スペイン植民地時代の城塞跡)には、鬼のような形相で刀を振り上げた日本兵の銅像が数体あった。

日本占領時代に、パシグ川に面した狭い石造りの城内に、アメリカ軍スパイ容疑のフィリピン人たちを閉じ込めて拷問したという“悪行”を記念したものだった。

また、フェリーで行ける観光地、マニラ湾の入り口にあるコレヒドール島にもびっくりした。

日本軍に敗れて撤退する米軍司令官のマッカーサーが「I shall Return」と言った歴史的な米軍要塞跡として、体験型ミュージアムとなっていて、時間になると要塞の中に館内放送でサイレンが鳴り響き、日本軍の戦闘爆撃の音が鳴り響き、無念のマッカーサーが名セリフを吐いて撤退していく様子が体験できる。そして、レイテ沖決戦後、オーストラリアから反攻してきたマッカーサーが日本軍を追い落とし、フィリピンを解放(Liberate)したことが誇らしげに語られる。そういう施設であった。けっこうなショックを受けてフィリピンの高校歴史教科書を読んでみると、日本軍は侵略者(Invader)であって、アメリカ軍は解放軍(Liberation Army)扱いである。つまり、今から十数年前まで、日本はフィリピンにおいて、「悪」であるという反日教育がなされていたのだ。

そういえば、日本の教科書にも、戦時中のフィリピン人抗日組織「フクバラハップ団」というのが書いてあったな。そう思って調べてみると、「Hukbong Bayan Laban sa Hapon」(日本に対し戦う人々)というタガログ語の略で、これが戦後、非合法化されると、ルソン島の山岳地帯に潜伏して、武装闘争を行った。一時完全制圧されるが、1969年に中国共産党の支援を受けたフィリピン共産党CPPの軍組織NPA(新人民軍)となり、現在まで続く、抗日→反日=親中の反政府ゲリラ組織となった。

ちなみにコレヒドール島のすぐ近くには、1970年代に元日本兵小野田さんが発見されたルバング島がある。ぼくにはキャメルのアルバム「O Nude」、中でもプロレスラー前田日明の入場テーマ「キャプチュード」の印象が強い。

当時はまだバブル期の余韻が残っていて、日本=ジャパゆきさん、買春ツアーのイメージも強烈だった。

だが、通算滞在時間が増えて、出会った人と話していると、日本=悪というイメージは、フィリピン政府公式見解および教科書に載っていることであって、もう60年も前の話。観光や仕事で来る日本人はみな優しいし、まじめだし、嫌う人はいないという話をしばしば聞いた。

英語で話しているうちは、カモられている感が半端じゃなかったが、タガログ語で話せるようになってからは、スクワッターから、タクシーの運転手、市役所の小役人、教会関係者、私立大学経営者まで、いろんな人と話をして、なるほど日本人は、アメリカ人の次、アジア人の中では一番敬愛されていると実感した。

ぼくが関わるようになってから、大統領はエストラダ→アロヨ→アキノ→ドゥテルテと変わっていくのだが、アロヨ政権(2001-2010)では芸能ビザの発給基準が厳しくなり、EPA協定が結ばれ、日本のフィリピンクラブから「タレント」がいなくなり、今残っている「パブ」は日本人と結婚した在日フィリピン人のおばちゃんばかりとなった。

アロヨは、朴槿恵と同じく、終戦直後の大統領の娘で、政権の私物化、情報リークスキャンダルに揺れた。だが、長期政権であり、在任中にフォート・サンチャゴからいつのまにか日本兵像が撤去された。

次のアキノ(息子)大統領(2010-2016)のときは、教育体系がそれまでの6・4制から、日本式の6・3・3制に改められ、中国の脅威に対抗して沿岸警備艇を贈与することなどを含めて、日本政府と良好な関係になった。ぼく自身も代々木で、来日した大統領と一緒に写真をとったことがある。

2011年には、それまで「解放軍」とされていたアメリカと、「侵略者」とされていた日本が、戦前から戦後にかけてフィリピン近代化に果たした役割について再検討する(『America’s Informal Empires』Anvil Publishing Inc.、日本語版『アメリカの影のもとで――日本とフィリピン』、法政大学出版局、藤原喜一著)がベストセラーになったりもした。

この頃になると、日本人=スケベのイメージは残っているが、かつての「アジア侵略国家日本=悪」論はリアリティをなくし、経済力や技術力だけでなく、日本は文化的に尊敬すべき国という雰囲気が強まっていった。

今はもう、どうでもいいっちゃよくなったのであるが、当時のぼくは、早期引退して、フィリピンで学校か食堂でも開く計画だった。2010年には、プライベートでやった慈善事業がなぜか評価されて、かたじけなくも日本の皇族名を冠した勲章をもらったこともあり、日本とフィリピンの懸け橋になるつもりになっていた。

それを仕事上のトラブルと離婚とで全部見失ってしまったので、2014年から2015年まで、人生最大の暗闇に落ち込んだ。

だが、BABYMETALが、日本人であることの意味を思い出させてくれたのである。

ソウル以降、韓国のことを考え続けている。

フィリピンと韓国には共通点がある。

第二次世界大戦中、日本が占領したアジアの国であること。家族主義で身内びいきであり、政治家の汚職が絶えないこと。かつては軍事独裁政権で、政治家が暗殺されたし、感情を露わにする国民気質は、時に民衆デモで政治家を引きずり下ろす。車はわれ先にと争い、クラクションがうるさい。

違うところもある。

韓国は寒いが、フィリピンは暑い。韓国は長く続いた王朝があり、儒教の伝統が強いが、フィリピンは統一王国になったことがなく、スペインの植民地でカトリック国であること。韓国は恨の文化だが、フィリピンはBahala na(なんとかなるさ)の文化であること。韓国は家父長制で男性優位社会だが、フィリピンは男がだらしなく、女性が強い。

フィリピンは反日であることをやめたが、韓国にもそんな日がくることがあるだろうか。