ベビメタ嫌い(5) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日、4月5日は、2016年、米CBS「The Late Show with Stephen Colbert」に出演し、生演奏で「ギミチョコ!」を披露した日DEATH。

 

欧米のメタルヘッズの多くは、内勤か営業か現場かはともかく、企業や店舗や工場の被雇用者(ないし失業者)であり、ラップやヒップホップを好んで聴く層ではないが、富裕層でもない。

もっとも統計上はそうなるとはいえ、さまざまな音楽が、さまざまな階層で消費されているわけで、大企業の経営者がメタルファンであってもいいし、その秘書がジャズを聴いていても、一向にかまわない。

しかし、メタルが高尚な芸術作品ではなく、ある種のフラストレーションのはけ口となる大衆文化、音楽商品の一つだということは間違いないだろう。

だから、歌詞は需要に応えるために、悲惨な境遇への呪詛だったり、アジテーションのような社会批判だったり、現実逃避的な空想王国戦士のファンタジーだったり、血みどろの悪魔劇だったり、一転して「きれいなネエちゃんを引っ掛けてハイウェイをぶっ飛ばそうぜ」的な刹那主義だったりする。

アイアン・メイデン、ジューダスプリーストといったバンドには派手なギミックがつきものだし、デスメタルのジャケットは死体や流血シーンで彩られ、ブラックメタルのメンバーは白塗りがデフォルトである。プログレッシブメタルやシンフォニックメタルのライブでは、スモークがたかれ、幻想的な演出がなされる。

演奏のスゴさという特徴以外に、メタルにはお約束や演出が多く、要するに「中二病」の一面があることは否めない。

バカにしているのではない。

「Legend-S-洗礼の儀」に至るLegendシリーズを見れば分かるように、BABYMETALだって多分にそういうプロジェクトだ。そして虚実皮膜のごとく、ギミックの中に三人の少女の過酷な努力と挑戦と成長があり、その内実となる超絶的な演奏力、歌唱力、パフォーマンスというリアルがある。

ただ、大事なことは、BABYMETALの発するメッセージが、あくまでもポジティブだということである。

異形のマスクをかぶり、凄まじい演奏力とシアトリカルなステージで、フェスを主宰して世界各国を巡業し、現代のメタル界をリードするSlipknotに、「EVERYTHING ENDS」という曲がある。(『IOWA』2001年所収)

―引用-

You are wrong, fucked, and overrated.

I think I’m gonna be sick and it’s your fault.

This is the end of EVERYTHING

You are the end of EVERYTHING

I haven’t slept since I woke up

And found my whole life was a lie, mother fucking

This is the end of EVERYTHING

You are the end of EVERYTHING

―引用終わり-

お前が悪い。クソッタレ、尊大にしやがって

俺が病気になりそうなのも、お前のせいだ

これですべてが終わりだ

お前はすべての終わりだ

起きてから全然眠れない

全ての俺の人生は嘘だった、近親相関野郎

これですべてが終わりだ

お前はすべての終わりだ

(意訳:jaytc)

すさまじい現状への怒りと呪詛。だが、意味こそ真逆だが、この歌詞の構成は、BABYMETALの「THE ONE」そっくりではないか?

「EVERYTHING」に対して「THE ONE」。

「This is the end of EVERYTHING」に対して「Tell me why you know that this is the end of world」。

「You are the end of EVERYTHING」に対して「You are THE ONE forever you’re THE ONLY ONE」。

まるで、「THE ONE」は、「EVERYTHING ENDS」へのアンサーソングのように見える。

日本でも欧米でも、一部のメタルエリートさんたちは、メタルは現状を否定して、反権力、反体制でなければならないと思い込んでいる。

それはどちらかというとパンク、ハードコアの系譜なのだが、メタルの帝王METALLICAが、ハードコアの影響を受けて社会批判的なスタンスをとったから、メタルの「正統」はそうでなくてはならないと思い込んだのかもしれない。

ぼくはMETALLICAの歌詞には、ラブクラフトのクトゥルー神話や、サイバーパンクのSF作品から着想したと思われる幻想的なイメージが一杯含まれてると思うんだけど、そういうとまた目くじら立てる奴がいるよね。

どうしてもBABYMETALは好きになれないというメタルエリートさんの頭の中は、この「正統」信仰でいっぱいなのではないか。

特に日本では、言論界や教育界にロック=洋楽=進歩的=WGIP=反戦=反権力=反資本主義=反自民党=反天皇制という連想ゲームが強力に残っているから、ポジティブな歌詞はロックじゃない、カッコ悪いと思い込む習性がある。

反日とまでは言わないけれど、BABYMETAL=「アイドル」や芸能界が持つ、最終的に天皇にたどり着く日本文化の伝統みたいなのを直観的に嫌悪しているふしもある。

これが、BABYMETALを認めたくない「感情」の主たる理由であるとぼくは思う。

しかし、それはハッキリ言って、メタルや音楽とすら関係ないサヨク小児病的な「思想の殻」に過ぎない。

血みどろの暴力幻想に浸って、「この世の終わりだ!」と絶叫するデスメタル&ブラックメタルや、「戦え!戦え!悪の王を打ち倒すまで!」と叫ぶパワーメタルでフラストレーションが解消され、スッキリするなら、それはそれでいい。これぞメタルの効用である。「BMD」や「ROR」だってこれだ。

しかし、長い間、メタルを聴き続けてきても、自己憐憫や現実逃避に終始して、相変わらず現状への呪詛を繰り返しているなら、変わる必要があるのは、体制や政治や社会ではなく、君の方ではないのか。

職場の居心地が悪いなら、君が会社を作ればいい。

政治に問題があると思うなら、君が政治家になればいい。

好みの音楽がないなら、君がやればいい。

それを世間が受け入れてくれるか、君の思いが実現するかどうかにこそ、本当の闘いがある。そうやって闘っている人はいっぱいいる。

日本は、北朝鮮や中華人民共和国のような社会主義独裁国家じゃない。

文化的統合の象徴としての天皇を戴きながら、政治的実権は持たせない。主権は国民にあり、基本的人権と政治的自由と経済的自由を保障する民主主義国が日本である。

インターネットも自由に使える。職業選択の自由も、会社を作る自由も、政治家に立候補する自由もある。

法律に違反しなければ、不当に逮捕されたり、罰せられたりすることもない。

もちろん生まれつきの格差や不平等もあるし、法制や行政の不備や矛盾もまだまだある。

だが、誤ったことは、手続きを踏んでいけば、いつか変えられる。

君次第なのだ。君が変われば、世界の見え方が変わるのだ。

だからBABYMETALは、謎めいた「紙芝居」で、終わりは始まりであり、絶望の中に希望の光があると言っているのだ。

「Road of Resistance」のサビで、SU-は「♪進め!答えはここにある」と歌う。

「ここ」とは君自身、君の今いる環境そのものを指す。「答え」は今、ここ、君自身の中にある。国や社会や主義主張のような抽象的で、はるか遠い場所にあるわけではない。

もちろんこれは、ぼくの勝手なBABYMETALの解釈であって、全てのメイトさんがそう思っているというわけではないだろう。

だが、ポジティブな歌詞はメタルじゃないというのはチガウと思う。

こういう論理展開をすると、必ず出る反論に、「そんな思想的なことじゃなくて、ベビメタがバンドじゃないから認めないんだ」というのがある。

しかしね、これこそ、言い訳のための言い訳なんですよ。

神バンドの演奏が凄いことは認める。SU-METALの歌唱力も認める。YUIとMOAのダンスが過酷なことも認めよう。「BABYMETAL DEATH」や「紅月-アカツキ-」や「イジメ、ダメ、ゼッタイ」や「悪夢のロンド」や「Road of Resistance」や「KARATE」や「THE ONE」は、楽曲としてよくできていると思う。

別に戦後GHQが日本を弱体化するために行ったWar Guilt Information Programの洗脳に縛られてるわけじゃないし、メタルに反権力を求めてるわけでもない。天皇制に反対でもない。METALLICA至上主義者じゃないし、ギミックも楽しめる。ポジティブな歌詞のパワーメタルだって好きだ。

だとしたら、BABYMETALを認めない理由なんてないはずなのである。

にも関わらず、「バンドじゃないから」という理由で拒否するというのは、今列挙したどこかで嘘をついてるからだ。本当にBABYMETALが素晴らしいと思うなら、バンドという形態をとっていないことは、どうでもいいことになるはずなのだ。

ちなみに、バンド=オリジナリティと思い込むのは、音楽産業のしくみをよく知らない人のナイーヴな妄想にすぎない。

アルバイトしながら、ライブハウスを借りて演奏活動をしているアマチュアバンドならいざ知らず、メジャーレーベルからデビューし、全国展開、世界進出するほどのバンドは、レーベルとの契約によって、プロデューサーのディレクションに従うことを義務づけられ、歌詞の内容、曲調、編曲、ファッションから言動まで、ほとんど自由にならなくなる。若いバンドに選択の自由があるとすれば、契約書にサインするか否かだけである。

1970年代までのバンドや、自主流通クラスのバンドには手作り感があったかもしれない。

しかし、1980年代以降、巨大化したメジャーレーベルでは、コストをかけてプロモーションして「売る」以上、「売れなければ困る」ので、マーケットでのニッチやポジショニングも含めて、「売れる曲」を作らせ、「売れるアーティスト」として演出することを考える。

無名バンドは、そのプランに合致する「素材」に過ぎないから、契約金を渡してガチガチに縛る。それでも売れるかどうかは時の運である。

つまり、バンド形式のアーティストだって、メジャーレーベルのプロダクト=商品なのだ。

具体例は挙げないが、ビジュアル系バンドの中には、演奏力がおぼつかないのに、プロモーションとサポートミュージシャンのおかげでメジャーになって売れたバンドもあった。

バンドが完全な自由を得られるのは、メジャーレーベルで売れ、知名度を得たうえで売れなくなり、契約を切られて数年後に再結成したときかもしれない。だが、そこでもオールドファンは、メジャーレーベルに演出されて売れていた頃の楽曲やバンドのイメージを求める。

要するに、「バンドである」ことに幻想を抱くのはあまりにもナイーヴである。

バンドのメンバーは変遷していくし、オリジナリティとは結局フロントメンバーの個性+楽曲、プロモーションのユニークさではないか。それならBABYMETALだって同じだ。

「バンドじゃない」ことを以ってBABYMETALを認めないというのは、現実にはあり得ない幻想に過ぎず、本当は他のところにキライな理由があるに違いないのだ。

BABYMETALの演奏も、歌唱力も、楽曲も、ライブ演出も評価できないというのは見る目・聴く耳がないという告白に過ぎず、それを認めた上でなおキライだというならWGIPや反権力=カッコいいという「思想の殻」に閉じ込められているという告白に過ぎないのだ。

その上で、「ああ、そうだよ。おれは革命戦士だから、反権力思想を体現したバンドしか認めない。そもそもアジアを侵略した天皇制の日本は大嫌いだし、ビッチのアイドルなんて消えてなくなればいい。BABYMETALなんてクソ食らえ!」という人がいれば、それはそれであっぱれである。

「アジアを侵略した天皇制の日本」のところを「ネオコンとエスタブリッシュメントに支配されたアメリカ帝国主義」に置き換えれば、レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンになる。

困ったことに、ぼくはレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンも大好きなのだが。

(つづく)