ガジェット(4) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日、3月30日は、過去、BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

もし、ぼくが1997年~2007年に10代の若者だったら、インターネットにおけるmp3ファイルシェア文化をきっと支持したに違いない。RNSというリーク集団をヒーローとして尊敬し、オインク・ピンクパレスのコミュニティに参加して、パソコンやモバイルmp3プレイヤーに楽曲ファイルを詰め込んで毎日音楽を聴いていただろう。

リークサイトが壊滅し、パソコン、スマホ、ネット代の他に月額10ドルの音楽配信サービスシステムに移行していく過程には、たぶん怒りや失望を感じたと思う。

宮崎県幸島のニホンザルを餌付けして観察していると、群れの中で、若い猿が芋を海水につけて食い始めた。砂を洗い落すことができ、塩味がついておいしいのだろう。大人の猿は最初それを冷ややかに見ていたが、やがてそれは群れ全体に広がり、その行為は幸島の猿の群れに代々受け継がれる文化となった。

京都大学霊長類研究所の今西錦司らが1950年代に報告したこの「芋洗い行動」の事例は、猿もまた文化を作り世代を超えて伝承していくという貴重な実例となった。

さらにライアル・ワトソンは、このレポートをもとに、『生命潮流』(1979年)の中で「100匹目の猿」として取り上げた。

1匹の若い猿が始めた行為は、まず同世代の若い猿に広がったが、ある閾値(ワトソンは100匹目としている)を超えると、一気に群れ全体に広がった。新しい行動が全体化するには一定の閾値を超えることが必要なのだ。それだけでなく、幸島で「芋洗い行動」が閾値を超えると、不思議なことに遠く離れた大分県高崎山のニホンザルの群れにも伝わったというのだ。しかし、この後段はライアル・ワトソンによる創作だった。確認してみると高崎山の猿は「芋洗い行動」などしていなかった。

だが、新しい行動や文化が若者から始まるというのは真理だろう。お金がない若者が思いついて始めた行為は、まず若者に受け入れられ、やがて、ある閾値を超えると一気に人類全体に広がり、新しい文化となる。

若者が始めた文化は、常識に凝り固まった大人には奇妙に映る。だが、それこそ若者の特権であり、それを頭から否定したら、人類の進歩は止まってしまう。

小さい頃から大人の言うことを素直によく聞くお金持ちの家の「いい子ちゃん」は、親に敷かれたレールから外れたら最後、自分で生きていくことができなくなる。その身分を捨てるほど何かにのめり込まない限り、何も生み出せない。

貧しい家庭に生まれ、創意工夫して人生を切り拓かねばならない苦境にいるのは、若者にとっては逆に幸運なことだと思わねばならぬ。

ドルビーNRシステムも、カセットテープという限られた容量の記録媒体で、いかに高音質を実現するかという厳しいテーマに挑んだからこそ生まれたものだ。

そしてそれは、音響心理学という「人間にとって音とは何か」という人間性の本質を追究したところに突破口があった。mp3規格もまた、ドイツテレコムの通信速度が、CD規格の12分の1しかないという条件から生み出された。

現在、携帯会社や音楽配信サービスには、若者向けの各種割引がある。

だがかつて、スペインとポルトガルが、ローマ教皇の承認を受けて世界を分割したトルデシリャス条約・サラゴサ条約のように、現代のぼくらは、世界を分割して寡占しているグローバル企業の、文字通り「網」の目に絡めとられ、なけなしのお金を少しずつ搾り取られているような閉塞感さえある。

唯一残されているのは、定額聴き放題のなかで、どのアーティストを支持するかという消費者としての選択権のみだ。だが、それもビッグデータ化され、アーティストの楽曲制作=商品開発に利用される。

でもね、なんかチガウ、やっぱちょっとチガウ…。

そもそも音楽はそんな「科学的マーケティング」とは根本的にチガウはずなのだ。

少なくともBABYMETALは、「お前らこんなの好きなんだろ」と、制作者側がほくそ笑むようなマーケットインの手法で作られた「商品」なんかではない。

メタル愛に突き動かされ、「アイドルとメタルの融合」という「一か八か」(2012年10月31日日経トレンディネットのインタビュー)の大勝負に出たKOBAMETALの情熱と、キツネ様に魅入られた三人の女の子たちのエネルギーの総量に、ぼくらは“本物”を感じ、心動いたのだ。

2017年12月のLegend-S-洗礼の儀@広島で、BABYMETAL運営は、金キツネ世代のチケット代を2,000円とし、ぼくら大人は20,000円を支払った。

おそらくKOBAMETALも、中高生時代には、ラジカセで楽曲を録りまくり、ダビングして友達と交換しまくったに違いない。若い頃、いかに安く音楽を聴けるかを追究した体験を持つ者だけが、お金のない若者を思いやることができる。

これまでBABYMETALはチケットやグッズが高価で、「大人買い」するアーティストだった。金キツネ世代=若者を優遇し、ライブを見てくれれば、きっと同世代のBABYMETALの語り部となってくれる。その役割を託したのだと思う。

ガジェットが変わっても、音楽を愛する若者はいつの時代にもいた。

そして、ネットに取り込まれているような環境でも、結局、愛され、継承されるのは“本物”の音楽だけだとぼくは思う。

3大メジャーすべての社長を歴任した音楽産業のレジェンド、SME会長ダグ・モリスの座右の銘は、「ローカル・ヒットなどというものはない」という言葉である。

これは、ある地域の若者に熱狂的に支持されている曲は、全米でヒットする可能性があり、プロモーションする価値があるという意味であり、プロモーターがヒット曲やアーティストを作ることはできないのだから、注意深くリスナーの動向を観察して、大ヒットの芽を見逃さないことだという教訓である。

一見マーケットインのように見えて、実は、 “本物”を人工的に作ることはできないと達観したことが、ダグ・モリスの成功を生み出したのだ。

“本物”は、やむに已まれぬ衝動に突き動かされたアーティストからしか生まれない。そして、それを直観的に見抜き、選ぶのはリスナーの特権である。

ガジェットやメディアやマーケティング手法が変わっても、本当に好きなアーティストや楽曲を見い出し、夢中になって追いかける楽しさは永遠に変わらない。

それは若者や、かつて若者だった頃の気持ちを忘れない者だけが味わえる人間臭い営みなのである。

(この項終わり)