ガジェット(2) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日、3月28日は、過去、BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

調べてみたら、ジョン・レノンが殺されたのは、1980年12月8日(月)22時50分(EST)で、日本時間だと12月9日(火)12時50分だから、ホントに平日にアルバイトしていたのかなあという疑問が湧いてくるし、最新オーディオ機器である光ディスク―DACのデモは、客集めのために土日にやっていたはずだから、記憶が脳内で都合よく書き換えられているのだと思う。よくある話だ(^^♪

だが、2011年3月11日の東日本大震災の時の記憶と同じく、ジョン・レノンが殺されたというニュースをあのオーディオ店でバイト中に聞いた衝撃シーンは、今でも鮮やかに蘇ってくる。

CDが発売されたのは2年後の1982年で、のちにユニバーサルに統合されるポリグラムでCDの量産が始まり、日本では、のちにソニー・ミュージックエンタテインメントに統合されるCBSソニー、EPICソニー、日本コロムビアから、ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』をはじめとして60タイトルが発売となった。

光学読み取り部+DAC一体型のコンポとしてのCDプレイヤーが発売されたのもこの年で、普及版でもシステムコンポ1セットと同額の20万円近くしたと思うが、その2年後、1984年にはもうCDウォークマン(ディスクマン)の初代が発売になっている。

多少のズレはあるにしても、ジョン・レノンが亡くなり、ビートルズが永遠に再結成されなくなったのと、音楽がデジタル化されたのは、ほぼ同時期に起こった出来事なのである。

そしてこれと重なるように、日本では、へヴィメタル・ムーヴメントが起こる。

1980年にアイドルバンドLAZYとしてデビューした樋口宗孝、高崎晃らは、へヴィメタル宣言をし、翌年LOUDNESSと改名。80年代後半には世界進出し、Billboard 200にランクインするまでになる。

やや遅れて1982年に学生バンドとして結成された聖飢魔Ⅱがデビューしたのが1985年で、翌1986年には2ndアルバム『The End of The Century』とシングル『蝋人形の館』が発売され、オリコン5位を獲得する。この頃、テレビに出ていた聖飢魔Ⅱを見て、メタルに目覚めたのが、当時小学生だったKOBAMETALだった。

のちのBABYMETALのプロデューサー、キツネ様の代理人KOBAMETALの成長に合わせるかのように、1980年代に音楽のデジタル化と、へヴィメタルブームが同時進行したわけだ。

もうひとつ、1980年を境に大きく変わったものがある。それは、ステレオ装置のポータブル化ということであった。

1979年に発売されたソニーのウォークマンは、ステレオを屋外に持ち出したという意味で、画期的なガジェットだった。ウォークマンで音楽を聴きながら外を歩いてみると、見慣れた風景が全く違って見えた。

それまで、音楽は生演奏か、スピーカーを通して、みんなで共に聴くものであった。イヤホンやヘッドフォンというものもあったが、それは大きな音を出せない深夜とか、細かい音を集中して聴くための補助装置であった。

しかし、ウォークマンというガジェットは、屋外でヘッドフォンをつけて、目の前に広がる現実風景のBGMとして音楽を聴くという新しい体験をもたらした。

それは、音楽を聴くという行為がパーソナルな体験になったということでもある。

ウォークマンのヘッドフォンは、外からはシャカシャカいう音が聞こえるだけだが、本人の耳には大音量のステレオサウンドの音世界が響いている。他人が心の中で何を考えているかは読めないのと同じく、ヘッドフォンを付けた人がどんな音楽を聴いているのかわからなかった。同じ風景を、異なる音楽をBGMにしている人が同時に見ているという奇妙な現象が起こった。いうならば音楽の内面化である。

1979年~80年代初頭、へヴィメタルに先行して流行していたのは、テクノやアンビエントミュージックだった。

イエロー・マジック・オーケストラ、クラフトワーク、DEVO、ブライアン・イーノ、ヴァンゲリス、アート・オブ・ノイズといったアーティストの曲は、ウォークマンというガジェットに実にピッタリだった。

またも余談だが、1980年という年は、1970 -71年ごろ、「ドリフの8時だよ全員集合!」の裏番組として放映されていたイギリスのドラマ『謎の円盤UFO』の舞台、近未来だった。

そのドラマでは1980年には宇宙からのインヴェーダーが地球を侵略しに来ていた。だがUFOの存在を一般人に知られるとパニックが起こるため、地球防衛軍を率いるシャドーという組織は、表向きはロンドンの映画会社という設定になっていた。街中に新兵器を持ち出し、異星人との戦闘があっても、「映画の撮影だろ」と思われて好都合だからである。月面には前線基地があり、宇宙空間ではインターセプターという迎撃機を使ってUFOを撃退していた。

もちろん、『謎の円盤UFO』は、本当にただのドラマだったわけで、1980年にも、2018年にも異星人の乗ったUFOが地球を侵略などしていないわけだが。

それはさておき、このドラマのシャドー本部や月面基地などの舞台装置やコスチュームは、いかにも70年代の「未来!」という感じの無機質なデザインなのだが、野外ロケのシーンは、当然ながら本物のロンドンの市街地や郊外の風景だった。だが、そこに「異星人と戦闘中」という「設定」を乗せると、あら不思議、物語の舞台装置のように思えてくるのだ。

1980年の東京のビル街を、ウォークマンでYMOやDEVOやイーノやヴァンゲリスの曲を聴きながら歩くと、あたかも目の前の光景が未来都市であるかのように見えてきた。何か物語の登場人物になったような気になってくる。

それがとても面白かった。

前回書いたようにCDが広まっていた1987年に、直立不動のニホンザルが、ヘッドフォンで音楽を聴き、「ウォークマンは進化した。人はどうだ」というキャッチコピーのCMが一世を風靡した。追随した他社製のものも含めて、ポータブルカセットステレオプレイヤーというガジェットは、ポータブルCDプレイヤーと並行して1980年代後半まで命脈を保った。

つまり、1980年を境にして、LPはCDになり、家で座って聴くものだったステレオが、屋外に持ち出されるようになって音楽が内面化し、ビートルズが消え去り、ロックはハードロックやプログレを経てパンクやへヴィメタルやテクノへと多様化していったわけである。

ぼくはBDを見るときはホームシアター装置を使うし、音楽をどっぷり聴きたいときは真空管アンプをコアにしたステレオ装置を使うが、それは休日ゆっくりしたいときだけだ。

現在ぼくが音楽に触れる機会の大半は、スマホ+ヘッドフォンというガジェットである。

この形態は、音楽がデジタル化し、ウォークマンという発明がなければ実現しなかった。その原点は1980年頃にあるのだ。

ちなみに、ぼくは毎朝、最寄り駅の改札を出るときにスマホをタップして、仕事場までの5分間、「BABYMETAL DEATH」を聴きながら出社する。事務所のドアを開けた瞬間、「♪BABY、METAL、DEA-----TH!」で曲が終わり、「♪キーン」と“結界”が張られたところで仕事を始める。そんなことはもちろん、職場の誰も知らない。

(つづく)