ガジェット(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日、3月27日は、過去、BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

先日、iPhone用のBluetoothイヤホンを購入した。

これまで屋外で音楽を聴く場合は、有線タイプのヘッドフォンか、iPhone付属のイヤホンを使っていたのだが、だいぶ安くなったし、電気店で見かけるうち、ちょいと魔がさしてワイヤレスを買ってしまった。

今からもう10数年前、まだiPhoneがなかった頃、ぼくはNokiaの6630を使っていた。

当時はパタンと閉じる携帯電話、今でいうガラケーが主流だったのに、6630は画面こそ小さいが、前方後円墳のような形がユニークなオープンタイプで、10キーやら、ちっちゃなボタンがいっぱいついてはいたが、機能としてはスマートフォンみたいにいろんなソフトをダウンロードして使えた。たぶんスマートフォンの走りだったように思う。後継機種の6680はiPhoneみたいな四角形だった。

当時Nokiaをサポートしていたのは、日本ではVodafonだったので、ぼくのキャリアは未だにSoftbankである。

6630のアプリにはmp3プレイヤーもあって、パソコンに取り込んだmp3ファイルをSDカードに入れて数百曲持ち歩けた。付属のイヤホンは特殊なコネクターで、他の機種と互換性はなかったが、いい音をしていた。

当時は、東南アジアに頻繁に行っていたので、ショッピングモールやマーケットに行けば、いくらでも6630、6680用のアクセサリがあったし、ネット上にリークされた著名アーティストのアルバムをmp3にしたCDや、ジャンル別コンピレーションmp3ファイルCDが、1枚100円くらいで売られていた。

もちろん、今年3月に『誰が音楽をタダにした?』を読むまで、ぼくはデル・グローバーというノースカロライナ州の黒人労働者が、せっせとユニバーサル所属アーティストの最新アルバムを盗み出してリークしていたことなど知らなかったわけだが。

そういう海賊版CDの楽曲をCDスロットからパソコン経由でSDカードにコピーして、6630に実装して聴けた。iPodでやれることは、すべて6630でやれた。

Bluetoothも使えた。対応機種がほとんどなかった中で、Nokia用のワイヤレスイヤホンがあったので買ってみた。だが、当時のものはモノラルで音質も悪く、通話もできなかったのですぐに使わなくなった。だから、iPhoneにしてからも、Bluetoothイヤホンになかなか食指が動かなかったのだ。

そんなわけで、6630/6680があまりに便利だったため、ぼく自身は、iPodを持たなかったが、初代かiPod miniを買って、長女にプレゼントした記憶がある。

iTunesは、有料音楽配信サイトだと思い込んでいたので、ぼく自身がiPhoneに切り替えるまで縁がなかった。iPhoneのバックアップをiTunesでやるというのは、けっこうな違和感があった。

現在のiPhone+ワイヤレスイヤホンを最新とすると、2000年代前半は、6630/6680のmp3プレイヤー+付属イヤホンが、ぼくの屋外音楽用ガジェットだった。

6630に出会う前、1990年代はCDウォークマンを使っていた。

正確に言えばSony製ではなく、Kenwood製のポータブルCDステレオプレイヤー。

CDというフォーマットそのものが、「劣化しない」「ノイズがない」という「神話」の元で、アナログLPを完全に置き換わった時代だ。

CDとほぼ同サイズの四角いプレイヤーに、軽量ヘッドフォンを組み合わせたCDウォークマンは、1979年に発売された「ウォークマン」(カセット)の後継機種で、「ディスクマン」と呼ばれていた。1987年にニホンザルがヘッドフォンをつけて、直立不動で音楽を聴くウォークマンのCMが話題となったから、当時は、カセット版とCD版が並行していたわけだ。カセット版同様、CDウォークマンにもいろんなメーカーが参入した。

当時、結婚して下町に新居を構え、学習塾の本社まで電車通勤していたので、車中のお供に、後発で、ブレ対策や音質に定評のあった丸っこいKenwood製を購入したのだ。

もちろん、CD1枚しか入らないので、鞄の中にいつも数枚のCDを持ち歩くことになった。

ちょっと大げさだけど、CDというものが世に出る前夜に、ぼくは立ち会っている。

1980年、大学生だったぼくは、あるステレオメーカーの販促員としてオーディオ専門店に勤務していた。東京にあるメーカーの本社で、聴覚試験を受けて、アルバイトとして採用されたのだ。

派遣されたオーディオ店の店員のフリをして、来店した客に展示商品の説明をしつつ、さりげなくそのメーカーの「システムコンポ」を勧めて買わせるという、忍者のようなミッションだった。

当時は、昭和40年代のお金持ちの家庭にあったような一体型のステレオじゃなくて、プリメインアンプ、レコードプレイヤー、チューナー、スピーカーといった、別々に組み合わせられる「コンポーネント」を、メーカーがステレオラック付きで最初からセットにした、結局一体型と同じ「システムコンポ」という商品があった。家電販売店にはステレオコーナーというのがあって、パイオニア、トリオ、オンキョー、サンスイ、DENON(日本コロムビア)、ダイヤトーン(三菱)、テクニクス(松下)、オーレックス(東芝)なんていうメーカーの「システムコンポ」がずらりと並べられていて、テレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機と同様、一家に1セットそろえるべきものとして、しのぎを削っていたのだ。

(当時の憧れ、サンスイAU707プリメインアンプ)

オーディオでは後発だったそのメーカーは、販売店の人件費を負担しながら、自社製品の販促にも使うという一石二鳥を考えたのだろう。

授業のない日や土日にオーディオ店に勤務し、月末にレポートを本社に送る決まりになっていた。時給は、他のアルバイトより多少良かったと思う。

その店は地方随一の専門店で、JBL4343Bとかタンノイのオートグラフとかマッキントッシュとかマークレビンソンとかの「名器」が試聴できるブースもあったし、ベテラン店員さんの中には、糸で駆動するターンテーブルにSMEのトーンアームとオルトフォンのカートリッジを付け、錘の位置や、カートリッジの取り付け角度、針圧などの微調整をして、魔法のように美しい音を出す職人さんもいた。

ぼくは良い音を聴くのが楽しくて、試聴室に入り浸り、派遣元のメーカーの製品は、定評のあったスピーカー以外、ほとんど売れなかった。

そのオーディオ店に、ある日DAC(デジタルアナログコンバーター)というのがやってきて、技術者が光ディスクによるデジタル・オーディオのデモンストレーションを始めた。

フィリップスとソニーが共同で「光オーディオディスク」の研究をしていて、理論上雑音が皆無なデジタル・オーディオこそ、未来のオーディオだということであった。

だが、ベテランの職人店員さんは、「音がキンキンしている」とか「不自然だ」というようなことを言っていた。

そして、ぼくの記憶の中では、そんなことを言い合っていた時、不意に店内のラジオから、「ジョン・レノンが射殺された」というニュースが飛び込んできたのだった。

(つづく)