音楽をタダにした男たち(6) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日、3月23日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

SU-が生まれた1997年から、アミューズ第2回スターキッズオーディションで準グランプリを受賞した2007年までの10年間は、MCAがユニバーサル・ミュージック・グループと改名し、ポリグラムを買収し、BMGを買収するまでの10年間でもあった。

そしてその10年間は、ノースカロライナ州キングスマウンテンのCD工場に務める黒人労働者デル・グローバーにとって、ユニバーサル系のレーベルに所属するすべての人気アーティストのアルバムが、目の前の製造ラインを流れてくる10年間でもあった。彼は延べ2000タイトルにおよぶCDをリリース前に盗み出し、CDショップの店頭にならぶ数週間前に、リーク集団RNSに無料のmp3ファイルとしてアップロードし続けた。

もし、彼がいなかったら、ユニバーサル所属の人気アーティストの最新アルバムがmp3ファイルとしてインターネットにアップされることはなかっただろうし、ファイルシェア・シーンで、RNSが謎に包まれた最強のリーク集団と目され、キャッチアップ競争が起こることによって、無数のmp3音楽ファイルがネットにあふれる事態も生まれなかっただろう。

そして、それら無数の音楽ファイルをオープンシェアするサービスであるナップスターやピンクパレスも存在できなかっただろう。

ナップスターはA&Mとの裁判に敗れ2001年7月に閉鎖されたが、直前に大量のファイルを駆け込みダウンロードしたユーザーが大勢いた。

それらのファイルをPCからコピーしてプレイすることのできるお洒落なiPodは爆発的に売れ、パソコン市場で数%のシェアしかなかったアップルの業績を大幅に向上させた。

その原資を使って、スティーヴ・ジョブスはiPhoneやiPadを開発することになる。

もちろん、ブランデンブルグとフラウンホーファー研究所によるmp3の発明や、ダグ・モリスによるユニバーサル・ミュージック・グループによる老舗レーベルの統合と所属アーティストの寡占化、キングスマウンテン工場へのCD製造集中がなければ、デルが「ADEG」というハンドルネームを持つRNSの謎のリークヒーローになることはできなかった。

しかし、mp3が、音楽圧縮ファイルのデファクトスタンダードとしてゆるぎない地位を確立したのは、間違いなくデル・グローバーのおかげだ。

マイクロソフトはWindowsの音楽圧縮ファイルとしてmp3を標準搭載したが、フラウンホーファー研究所に莫大なロイヤリティを支払い続けるのを避けるため、すぐにWMAという規格を開発し、Windowsメディアプレイヤーに搭載した。だが、ネットからダウンロードできる音楽ファイルは圧倒的にmp3が多かった。

ブランデンブルグは、mp3よりも音質が良く、不正コピーができないAACという規格をRIAAに売り込んだが、サポートしたのは有料のiTunesであり、一定数の楽曲が集まるまで標準とは言えなかった。その他、mp3以外の音楽圧縮ファイル規格はいくつも存在したが、ネットからダウンロードできる音楽ファイルの大半はmp3ファイルだった。

それは、デル・グローバーの自宅のパソコンのエンコーダーがmp3だったからだ。

そこで作られたファイルがネットを席巻したために、mp3がネット標準の音楽ファイルになったのだ。

デルがmp3を選んだことで、デルは歴史に選ばれ、自分の目の前の製造ラインに、ユニバーサル所属の人気アーティストのCDが流れてくるという事態に直面した。そして、彼はその歴史的使命を果たす。つまり、10年間にわたって、のべ数千枚におよぶユニバーサル所属の人気アーティストのCDを盗み出したのである。

手口はこうだ。

キングスマウンテンの労働者は、工場内にコンピュータやCDプレイヤーを持ち込むことを禁じられている。

プレスされたCDはラインの上で1枚1枚ヴィデオカメラによって追跡され、パッケージに貼られた製造番号と、出荷前にストックされたトータルの製造枚数が毎日照合される。

労働者は仕事を終えて工場から出る際、アットランダムに選ばれ、金属探知機による身体検査を受ける。完璧な防犯体制に見えた。

だが、それには穴があった。プレスされたCDはラインを通り、歌詞カードの書かれたリーフレットとともにケースに入れられ、包装される。mp3ファイルが出回っていたので、14ドルもするユニバーサル・アーティストのCDパッケージは豪華になる傾向にあった。

その包装ラインの主任だったのがデル・グローバーだった。

ラインを通ってきたCDをケースに入れる前、ディスクに欠損があれば、それはラインの脇にあるゴミ箱に捨てられる。完成品の製造番号はシールとしてパッケージに貼られるから、その前に取り除かれたディスクは、チェックの対象外だった。ごみ箱の中身は「不良品」なので、捨てられたディスクの枚数などチェックされず焼却処分された。

さらに、労働者をチェックする身体検査もいいかげんで、例えば靴の中の金属板やベルトのバックル、アクセサリーなどに反応するが、それが労働者のファッションの一部ならば何も咎められることはない。

デル・グローバーは、カントリーやメタル好きの労働者が、巨大なチャンピオンベルトのようなバックルをしているのに気付き、CDが収まるサイズのバックルを装着した。

そして、ラインを流れてくる人気アーティストのアルバムの1枚を、欠陥ディスクであるかのようにゴミ箱に捨て、終業前の掃除の際にタオルや手袋の中にゴミ箱から取り出したCDを隠してロッカールームに行き、シャツの下にたくし込み、バックルに隠して工場を出た。金属探知機でチェックされても、警備担当者は、デルがいつもつけているベルトのバックルとしか認識しなかった。デル・グローバーは、職場では長年勤続している真面目な中間管理職と見られていた。

2007年9月13日早朝。

仕事を終えて帰宅しようとしたデルは、駐車場に止めてあった自分の車の回りに、数人の男たちが集まっているのに気づいた。FBIの捜査官と地元の警察官だった。

RIAAの委託を受けて、FBIはファイルシェア・シーン、とりわけトップサイトであるRNSのメンバーを特定しようと捜査を続けていた。

実は、その数か月前の2007年1月、2万曲をリークしてきたRNSは、慎重なカリの決断によって解散していた。違法コピーサイトが次々に摘発され、捜査の手が自分たちにも及ぶ予兆があったためだ。

リーク集団RNSの名前はインターネット世界のファイルシェア・シーンに轟いていた。利益団体でない以上、これ以上リスクを冒す必要はない。

デル・グローバーは、リーダーであるカリの配慮で、ほとんどRNSのコア・メンバーと接触していなかった。カリの本名も正体も知らなかった。

だが、解散から数ヶ月、匿名とはいえネットで称賛される快感が忘れられず、カリもデルも、RNSを縮小し精鋭にした別の組織を立ち上げようと考えていた。

2007年7月、カニエ・ウェストの「グラデュエーション」と50セントの「カーティス」が、9月11日に発売される予定であることが公表され、ライバルだったラップスターのどちらがより売れるかが話題になっていた。もちろん両者ともユニバーサル所属のアーティストであり、ダグ・モリスの仕掛けだった。

どちらかをリークして、どちらかを隠しておけば、CDの売り上げでは隠しておいた方が勝つ。デルは、生殺与奪の権を握っていた。50セントが気に入っていたデルは、「グラデュエーション」を8月中にOSCという別のサイトにリークし、「カーティス」を9月4日にリークした。

驚いたことに、先にリークされた「グラデュエーション」は100万枚を売り上げ、「カーティス」は60万枚だった。

そして、これがRNSでのデルの最後の仕事だった。

前年中にFBIはRNSの暗号化された通信履歴を入手し、5年がかりで一人の古いメンバーを突き止めていた。インターネットのシェア文化について、もっとも過激な主張をしていたニューヨーク在住のメンバーだった。2007年になって、彼のパソコンに残っていたチャットログから、これまで絶対に表に出ることのなかった「ADEG」ことデル・グローバーの存在が突き止められてしまったのだ。

デルは逮捕され、FBIによる家宅捜索で「グラデュエーション」のコピーが発見された。そこへ、カリから安否を気遣う電話がかかってきた。万事休す。

裁判で、デルは有罪となったが、デルが初めて会ったアディル・R・カシームという本名のロサンゼルス在住のIT技術者は、RNSのリーダー「カリ」であることを否認し続け、証拠不十分で無罪となった。

デル・グローバーは2010年3月から6月までのたった3か月間だけ服役し、現在、ノースカロライナ州シェルビーで、トラックのフロントグリルを取り付ける工場で16時間も働き、副業でPCデバイスやスマホの修理を請け負いながら、子どもたちを育てている。

(つづく)