音楽をタダにした男たち(5) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日、3月22日は、2014年、米Billboad200で1stアルバム「BABYMETAL」が187位にチャートインした日DEATH。日本人14組目、最年少記録でした。

 

EMIがまだユニバーサルに合併されず4大メジャーの一角だった2000年、CD売り上げは史上最高を記録し、平均的なアメリカ人は年に70ドルをCD購入に使っていた。

ダグ・モリスは、ユニバーサルのCDの価値を落とさないよう、レコードショップに圧力をかけ14ドルというアルバム単価をキープしていた。

しかし一方、mp3ファイルを配信/共有する無料音楽サイトがいくつも立ち上がり、その代表格であるNapsterには2000万人のユーザーがつき、1分間には1万4000曲のファイルがダウンロードされていた。

RIAA(全米レコード協会)は、2000年2月、グラミー賞授賞式の翌日に、各レーベルの幹部を集め、ナップスターから発売前の楽曲を無料でダウンロードして見せ、その危険性をアピールして対策を練り始めた。

問題の解決方法は、2つあった。ひとつはナップスターとmp3プレイヤー会社、さらには無料で音楽をダウンロードしたユーザーを訴えること。

RIAAは、1990年代からmp3プレイヤーを発売していたダイヤモンド・マルチメディア社を訴え、A&Mは他のレーベルと連名で、ナップスター社を訴えた。

ダイヤモンド社は勝訴し、ナップスターは2001年7月に閉鎖された。

もうひとつは、ナップスターに代わる有料ストリーミングサイトを立ち上げることだった。

ソニー系のBMGはナップスター社と共同で有料音楽配信サイトを立ち上げることをぶち上げ、ユニバーサルは、ブルーマスター・ドットコム、ゲットミュージック、アーティストディレクト、インタートラストテクノロジーズ、リプレイTV、エリットモ・ドットコム、プレスプレイなどの多額の投資をしたが、それらはほとんど生き残らなかった。

同じ2000年6月、これまで様々な企業、レーベルを買収してきたユニバーサルの親会社シーグラムは、飲料部門とエンタテインメント部門を分割して別々の会社に売却した。

ユニバーサルはフランスの水道会社ヴィヴェンディの子会社となり、ダグ・モリスは、またもフランス人の上司に仕えることになったが、業界を知り抜いているのは彼だけだったため、ダグ・モリスはユニバーサルの実質的な支配者となり、2001年から10年間、音楽業界で最高の高給取りとなった。

だが、音楽で、モリスよりも多くの富を稼いでいたのは、mp3の発明者、カールハインツ・ブランデンブルグだった。

ブランデンブルグは、mp3音楽ファイルの違法コピー、無料配布サイトには反対していたが、mp3プレイヤーやドットコムビジネス、周辺機器を製造する会社からはロイヤリティを取っていた。その中にはmp3を標準の音楽ファイル規格としたマイクロソフトもあった。全世界のWindows PCにmp3が標準搭載されたことで、フラウンホーファー研究所は音楽を聴かないユーザーからもロイヤリティを取ることになった。毎年1億ドルのロイヤリティの「かなりの割合」をブランデンブルグは報酬として受け取っていた。

ブランデンブルグは、RIAA(全米音楽協会)に対して、コピー防止機能付きの音楽圧縮ファイルや、より音質の高いAAC規格を提案し、有料の音楽配信サイトを作るよう働きかけていたが、それを採用したのは、アップル社だった。

2001年、mp3プレイヤーの発売元ダイヤモンド社がRIAAに勝訴したことを受けて、iPodとiTunesのサービスがスタートした。

CD売り上げが過去最高となったこと、ユニバーサルがヴィヴェンディに売却されたこと、フラウンホーファー研究所が1億ドルのロイヤリティを受け取り、ブランデンブルグがその「かなりの割合」を報酬として受け取ったこと、ナップスターが敗訴したこと、mp3プレイヤーの製造元がRIAAに勝訴し、アップル社がiPodを発売したこと。

そのすべては、いわゆるインターネットバブルの最盛期だった2000年~2001年にかけて起こったのである。

これで世界は大きく変わった。

1999年にYUI、MOAが生まれ、BABYMETALがこの世に降臨する準備を整えるかのように。

(つづく)