音楽をタダにした男たち(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日、3月19日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

1967年、ローリーレコードというレーベルでプロデューサーをしていたダグ・モリスは、メリーランド州のカンバーランドという町のレコード店が、「リトルビット・オー・ソウル」という7インチシングル曲を200枚もオーダーしているのに気づいた。アーティストは、ローリーに所属していたミュージック・エクスプロージョンというバンドだった。調べてみると、ミュージック・エクスプロージョンはオハイオ州出身で、カンバーランドの町とは全く関係がなかった。

典型的な田舎町で流行るなら、おそらく全米のどこでもヒットするはずだ。そう考えたダグは、他の経営陣を説得して、全米でプロモーションした。その年の終わりには、「リトルビット・オー・ソウル」はビルボードの2位にまで上がり、100万枚の大ヒットとなった。

1974年、モリスは自分が設立したビッグツリーというレーベルを、名門アトランティックレコードに売却する。

アトランティックは、1947年の設立以来、レイ・チャールズ、ジェームズ・ブラウンなどR&B系のミュージシャンを輩出し、1967年にワーナー・ブラザース傘下に入ってからも、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングを結成させ、クリーム、レッドツェッペリン、ローリングストーンズなど、名だたるロックバンドが所属していた。モリスは、アトランティック創業者で名プロデューサーのアーメット・アーティガンの部下となり、ポップス部門でスティーヴィー・ニックスらのプロデュースを担当した。

1989年、ワーナー・ブラザースがタイムと合併してタイム・ワーナーとなると、モリスはアーティガンの後釜として、アトランティック、ワーナー・ブラザース、エレクトラという国内レーベルすべての責任者になった。

「ローカルなヒット曲などない」という信条とともに、モリスが座右の銘にしていたのは、「音楽トレンドを理解することは、すなわち黒人文化を理解すること」という、師アーティガンの教えだった。

モリスは、カリフォルニアのインタースコープという過激な黒人のギャングスターラップを扱うレーベルに出資し、プロデューサーと親友関係になった。1992年にロサンゼルス暴動が起こったように、当時、都市部の黒人スラム街は荒れていた。そこで聴かれていたのがスヌープ・ドッグ、ドクター・ドレー、2パックといった黒人ラッパーだったが、あまりにも過激なため、大手レーベルは手を出さなかった。モリスはインタースコープを通じて彼らと契約を結んだ。ワーナーが大々的にプロモーションすると、彼らは大ヒットを次々に飛ばし、モリスのポジションを押し上げるとともに、ワーナーに巨大な利益をもたらした。

しかし、過激な歌詞と、歌詞に留まらず、実際に傷害事件を起こしてしまうなど、黒人ラッパーたちの不品行が米国議会で問題になり、ワーナーはインタースコープ・レーベルを切り捨て、モリスも解雇してしまう。

モリスを拾ったのは、フランス人が経営する飲料メーカー、シーグラムで、二代目経営者はエンタテインメント業界好きで、ユニバーサル・ピクチャーズとMCAレコードを所有していた。“ヒットメーカー”ダグ・モリスは、再度資金豊富なプロデューサーとして、旧知のインタースコープ・レーベルと契約し、エミネム、ジェイZ、カニエ・ウェストら白人も含めたラッパーの他に、マリリン・マンソンやリンプ・ビズキットといったメタルアーティストの大ヒットを次々に生み出した。

MCAレコードは、ユニバーサル・ミュージックと改名し、次々とレーベルを買収する。レーベルを傘下に収めることは契約アーティストを獲得することである。

親会社のシーグラムは1998年に飲料部門を売却、ユニバーサル・ミュージックは、その原資を使って、ポリグラム(A&M、ポリドール、マーキュリー)を買収する。さらにインタースコープ以外にもゲフィン、アイランド、デフジャム、モータウンといったロック、R&Bからヴァーヴ、インパルス、キャピトル、ブルーノートなどのジャズレーベル、デッカ、グラモフォン、フィリップスなどクラシックの名門レーベルなど、2003年までに音楽市場の6割にも達する世界最大のレーベルホルダー=メジャーレコード会社となった。

1998年に買収したポリグラムの資産には、ノースカロライナ州キングスマウンテンのCD製造工場も含まれていた。

世界最大のレコード会社が次々にリリースする人気アーティストのCDが、常時製造ラインを流れていた。そして、そのラインの傍らには、mp3ファイルをリリース前にアップロードしてしまう「シーン」の最源流、最重要人物となったデル・グローバーがいた。

(つづく)