♰THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA ♰
★今日のベビメタ
本日、3月14日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。
四条通りは、戦乱を避けて京の町から逃げ出そうとする人々でごった返していた。
大八車に家財道具一式を乗せて大声で呼ばわる者、後から来たのに前の詰まった行列に割り込もうとする男。大荷物を背負ったまま人の流れに押しつぶされてふらふらしている子どものような丁稚。赤子を前にくくりつけ、後ろにも背負った上、風呂敷包みを両手に持っているために、はだけた胸を直すこともできない女。
京の町を東西に走る四条通りは、土煙と民衆の人いきれ、怒号と鉄の輪のついた大八車のギィギィ、ガラガラガラという喧噪であふれていた。
伏見城が落ちて毛利勢が入り、それを奪還するために内府徳川家康が東海道を西進しているという噂は、京の民衆をパニック状態に陥れた。
200年も続いた戦国時代は、京都を舞台にした応仁の乱が始まりだった。
京の町は三好三人衆や松永弾正がかわるがわる統治していたが、足利義昭をかついで上洛した織田信長は、それらの小大名や地方の戦国大名をことごとく打ち破り、叡山焼き討ちや本願寺との抗争を経て、宗教勢力をも支配下に置いた。だが、天下統一半ばにして、毛利攻めのため本能寺に滞在していたところを、足下の明智光秀に打ち取られた。その明智光秀を、京都郊外の山崎で討ち取ったのが豊臣秀吉だった。
秀吉は、武士階級の「上」に立つ関白太政大臣=太閤と名乗り、本願寺跡地に巨大な大坂城を作り、天下を治めた。天皇を頂点とする公家社会を政治機構に組み込んだ秀吉にとって、京都は権威の象徴だった。秀吉は晩年に生まれた跡継ぎ、秀頼とその生母である淀君を伏見城に住まわせ、聚楽第を構築して花見を催したりした。
京は、秀吉の治世によって200年ぶりに平和な時代の訪れを謳歌していたのだ。
しかし、2年前に秀吉が亡くなると、にわかに不穏な空気が流れた。兵站や内政を担当してきた石田三成ら奉行衆と、第一線で命を懸けて戦ってきた福島正則ら武闘派とは常に対立してきた。朝鮮出兵の賞罰を巡って取り返しがつかぬほど亀裂が走り、それがついに秀吉の死によって表面化したのである。
元々は織田信長の盟友だった徳川家康は、小牧・長久手の戦いのあと、豊臣秀吉の足下に入り、五大老の一角を占めていたが、朝鮮出兵に参加しないなど、ある種の独立性を保っていた。
伏見稲荷に隣接する伏見城は、五大老としての家康の京都における拠点だった。家康は秀吉亡き後、幼い秀頼の後見人になることによって、豊臣政権での地位を確保していた。
それが、会津征伐で京都を留守にしている間に、石田三成の要請によって上京した毛利輝元らによって攻撃され、占拠された。石田三成らにしてみれば、正統性の証である秀頼母子をまず確保したわけだが、家康にしてみればこれはクーデターでもあった。
秀吉が亡くなった以上、圧倒的な力を持つ家康を排除しようとする奉行衆と、その奉行衆を憎む武闘派と徳川家康が結びつき、両陣営が激突するのは時間の問題だった。
それがついに現実になったのである。
これでまた、京の町が戦火に巻き込まれる。
戦で泣きを見るのはいつも民である。だから、目端の利く者ほど、すばやく京の町を逃げ出す算段を始めたのである。
四条河原で常設小屋興行をしていた出雲阿国と座付き作者の達吉は、ネタ切れとなって蓄電するつもりで四条通りを西に向かい、桂川のほとりで休んでいた。そこへ突如薄紫の光が差し込み、見たこともない鉄の車が現れた。
中から現れたのは、三人の美しい少女と、奇妙な風体をした「神」と称する男たちだった。
彼らはキツネ様のお使いとして降臨した赤ちゃん、つまりこの時代の言葉でいえば「ややこ」であると名乗った。
一晩、移動ツアーバスの中で語り合ったBABYMETALと出雲阿国は意気投合した。
SU-と阿国は、背格好も年頃もよく似ていた。お客さんを煽るやり方、声を遠くまで響かせる方法、節回しなど、共通点も多かった。
また、踊りについて、阿国はYUI、MOAと全く同じ考えを持っていた。つまり、踊りでお客さんに楽曲の意味を伝えることの重要性、練習に練習を重ねて芸の域にまで高める必要性を認識していたのである。
一方、座付き作者の達吉と、KOBAMETAL、神バンド、スタッフも意気投合していた。
とりわけ、達吉が阿国を見出したのと、阿国を世に出そうとして工夫を凝らした話は、KOBAMETALを大いに感激させた。
そうして、バスの中にある2018年のさまざまな道具や機材を説明しているうちに、とうとう、BABYMETALのステージ映像を見せることになった。
「これが、稲荷様のお使い、ややこ様がたの世界…」
巨大な会場で、不思議な映像とともに語られるBABYMETAL誕生の物語。
意味はわからないが、「DEATH!DEATH!」と踊り回る三人と観客。
パイロの炎の中、マントを翻して駆けるSU-METALの雄姿。
「よんよん!」と叫びながら楽しい数字の歌を歌うYUIとMOA。
白塗りの「神々」による超絶的な七弦のたて琴と太鼓による演奏。
そして、三人がキツネ面をかぶって登場する「メギツネ」で、阿国と達吉の興奮は、頂点に達した。
「やはり…ややこ様がたは、お稲荷様のお使いだったのですね」
パラレルワールド仮説では、こんなふうに過去の人に現代の物事を教えちゃうだけで影響を与えてしまうはずだが、まあ、ただの作り話なので、スルーしてください。
次の朝、今度は四条河原の常設小屋で、出雲阿国の舞台を見てみたいということでやってきたのだが、前日伏見城が落ちたことで、京から逃げ出そうとする民衆で、東へ向かう四条通りはごった返していて、小屋のある河原町までとてもたどりつけそうもなかった。
一行が呆然と民衆の動きを見ていると、阿国の目から、大粒の涙がこぼれた。
「阿国さん。どうしたの」
SU-が尋ねた。
「見て」
阿国が指さす方を見ると、ひとりの少女が、親とはぐれて泣いていた。
「私の時もあんなふうだった」
「俺の時もそうだ。戦が起こると一番弱いもんがつらい目に遭う」
達吉が言った。
「戦を終わらせるために戦が必要だ。それはわかる。信長様や太閤様が天下をお取りになったから、京の町は栄えるようになった。それはわかるんだ。でも、戦の始まりはいつだって偉い奴らの角突き合いからだ。戦のない世の中を作るったって、民が居なけりゃ何の意味がある。戦をやるんなら町の外で決着付けてほしいよな」
SU-の目がギラリと光った。
「やりましょう」
「うん」
YUIとMOAがうなずく。
「やるって何を?」
KOBAMETALが不安げに聞き返した。
「決まってるじゃん」
三人が声をそろえて叫んだ。
「BABYMETAL Live in KYOTO 1600!」
四条通りを見たこともない鉄の車が行進し始めた。
嵐山に取って返し、車で四条河原に移動することにしたのである。
車といえば、牛車と大八車しかなかった当時でも、四条通りは片道4車線の道幅を持っていた。もちろん舗装されているわけではないが、ツアーバスと電源車でも通れた。
大勢の人がひしめき合っていたからスピードを出すわけにはいかなかったが、不思議な車が見えると人々は道を開けた。はじめ、人々は西国の大名が新兵器をもって到着したのではないかと思ったようだった。
バスの窓から、出雲阿国と達吉が人々に呼びかけた。
「稲荷様のお使い、ややこ様のご降臨じゃ!」
二人のそばには、親にはぐれて泣いていた子どもたちがいた。
逃げ出そうとしていた人々はあっけにとられ、やがて、ぞろぞろとバスの後についてきた。
四条河原についたときには、その数は数万人に達していた。
常設小屋の扉は取っ払われ、舞台に機材が運び込まれた。
まずは出雲阿国とその一座が前座を務めた。
ヘッドセットを装着して歌い踊る出雲阿国の声と、マイクに拾われた一座の楽器の音は、PAを通して、数万人の大観衆に届いた。これほど大勢の観客が野外ライブを楽しめるなど、当時ではあり得なかった。当たり前だけど。
戦争孤児として育ち、念仏踊りから琵琶法師の物語、猿楽や能の要素をミックスし、天性の美貌と奇抜な衣装で踊り狂う阿国の踊りは、絶望的になった観客の心を揺さぶった。
阿国が大喝采を浴びて舞台を降りると、どこかで聴いたことのあるメロディが鳴り響いた。
「♪きーつーねー、きーつーねー、わたしはめーぎつねー、おんなは女優よ~」
へヴィなリフが繰り返されるなか、白塗りの男たちが舞台に上がってくる。その異様な姿と舞台上に組み立てられたアンプやドラムセットに、京の人々は釘付けになって声も出ない。
そして、舞台袖から、キツネ面をかぶり、黒い着物をきた少女三人がしゃなりしゃなりと出てきた。観客から「ウオー」というどよめきのような声が上がった。
三人は、舞台中央に進み、深々とお辞儀をする。そして焦らすようなしぐさで着物を脱ぐと、全身黒づくめのコスチューム姿となった。その美しさに、伏し拝んでいる老婆もいる。
「♪ダダダ、ダンダンダ、ダン」というイントロのリフに続いて、京の民衆にとって聴きなれた琴の音が響くと、YUI、MOAがキツネ様のポーズをキメる。
そしてキツネサインをして観客を見渡すと、BABYMETAL=ややこ様がキツネ様のお使いであることは瞬時に了解された。
「♪ソレ!ソレ!ソレ!ソレソレソレソレ!」
大音響と三人のダイナミックな踊りに、一瞬あっけにとられた民衆も、そのノリノリの踊りに感情をかき立てられ、一緒になって踊っていた。
「♪おめかしキツネさん」「♪チキチキわっしょい!チキチキわっしょい!」
「♪ツインテなびかせて」「♪ヒラヒラわっしょい!ヒラヒラわっしょい!」
「♪弾けてドロンして」「♪クルクルわっしょい!クルクルわっしょい!」
「♪いざ行け七変化」「♪コンコンコン、ココンコンコンココン!」
「♪ソレ!ソレ!ソレ!ソレソレソレソレ!」
もう数万人の大観衆は、迫りくる戦のことも、先の見えない行く末のことも忘れ、ただただ踊り狂った。
「♪古の乙女たちよ、かりそめの夢に歌う 幾千の時を超えて、今を生きる~」
SU-の歌声が、四条河原に響く。その美声に、慶長5年の京童は酔った。
ブレイク。
「Hey!京都のみなさん!」
こんな煽り、慣れていないはずの民衆も思わず
「イェーイ!」
と思わず叫んでしまう。んなわけないか。
「私たちは、キツネ様のお導きで、今日ここに来ました。あなたたちに会えてとっても幸せです!」
「イェーイ!」
もう、SU-をキツネ様の化身だと疑う者は誰もいない。
「戦が迫っています。でも、ひとつだけお伝えしたいことがあります」
神バンドが「♪ピロピロピロ」とやっているが、観客は固唾をのんでSU-のお告げを聞こうとしていた。
「伏見城は落ちました。でも京都の町は、今度の戦いで戦場にはなりません。戦いは関が原で起こります」
観客がざわつく。
「稲荷様のお告げじゃ。間違いない」
「伏見の城が落ちて、稲荷様が下りてきなさったのじゃ」
SU-は声を張り上げた。
「だから、京の町から逃げ出さないで、ここで、落ち着いて暮らしてください」
「子どもたち、おいで」
SU-が呼びかけると、舞台の上に、親にはぐれた子どもたちが上がってきた。
「名前、言える?」
SU-は子どもに一人ひとりマイクを向け、名前を言わせる。その声を聞いて、半狂乱になった母親が次々と名乗りを上げた。
そうして全部の子どもが親と再会することができた。
「じゃあ、みんな!私が3つ数えたら、キツネ様と一緒に飛びましょう!わかった?」
観客から、「イェーイ!」という声が上がる。
間髪を入れずMOAが、「全ッ然聴こえないよ!」といい、YUIも「まだまだ足らへーん!」と大阪弁を使う。
観客が「イェーイ!!!」という大歓声が上がったのをニッコリ受けたSU-が、
「1、2、123ジャンプ!」
と叫ぶと、観客も「ソレソレソレソレ!」と叫びながら一斉にジャンプを始めた。
生活が平穏なら、人は神など求めない。
神は、辛く苦しい境遇にいて、誰にも頼れない人が最後にすがるものだ。
へヴィメタルも同じだ。
穏やかな暮らしには、軽く楽しい音楽が似合う。
だが、厳しい現実に直面したとき、生きづらくてどうしようもない時、人は、昨日の自分と決別するために、自分を鼓舞するために、へヴィメタルを求める。へヴィメタルにはその力がある。
曲が終わったとき、大村神は、エフェクターボードの端っこ、見慣れないエフェクターがあるのに気づいた。
「あれ、これなんだ?」
「あっ、そのファズ、踏んじゃダメ!」
とローディが叫んだ時には、もう遅かった。
ツアーバスに連結された電源車のケーブルにつながった全ての機材とインカム、ヘッドセットでつながっていたメンバー、スタッフ全員が、薄紫色の光に包まれたかと思うと、数万人の大観衆の目の前で、忽然と消えた。
稲荷様のお使いが四条河原に降臨し、数万人の観客を熱狂させたという噂は、西軍の石田三成にも、東軍の徳川家康にも、その日のうちに届いた。
京の町を逃げ出そうとしていた民衆がぞろぞろと家に帰り、落ち着いているということも。
もし、京の町を戦乱に巻き込んだら、たとえ戦に勝っても、民衆の支持を失う…。
そして、稲荷様の使いが告げたという美濃国不破郡の関が原は、西進する東軍にとっても、迎え撃つ西軍にとっても決戦場としてこれ以上ない地形だった。
1600年9月15日。関ヶ原の戦いが行われ、勝者となった徳川家康は、1603年に江戸幕府を作り、それから約260年間、内戦のない江戸時代が続くことになる。
出雲阿国の踊りは「ややこ踊り」と呼ばれ、江戸時代になると白塗りの歌舞伎に発展していくが、阿国その人と達吉がその後どうなったかは記録がない。どこかで幸せな所帯を持ったのかもしれない。
そして、SU-、YUI、MOAの携帯には、出雲阿国と撮った“ずっ友写真”が保存されていることも、もちろん誰も知らない。
(京都編 了)