♰THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA ♰
★今日のベビメタ
本日、3月13日は、2016年、NHK総合で4月4日に「MJ presents BABYMETALスペシャル(仮)」放送が行われることが発表され、2017年には、AMDデジタルコンテンツオブジイヤー2016で、BABYMETALが優秀賞に輝き、KOBAMETALがスーツ姿で受賞した日DEATH。審査員特別賞は振付のMIKIKO師でした。
●1600年・京
「して、ややこ様がたは、なぜここにいらしたのです?」
出雲阿国が尋ねた。
「ややこ様って?」
MOAが不思議そうに尋ねた。
「あなた方は、ベビ…メタ…赤ちゃん、ややこ、と名乗られました」
「ああ。だからややこ様、ね」
「ややこしいね」
YUIがツッコむ。
「それが…私たちにもわからないんです」
SU-が答えた。
「1600年の京都だって?」
ツアーバスの中からBOHが出てきた。
「おお!禿(かむろ)」
達吉が素っ頓狂な声を出した。
BOHに続いて、ぞろぞろと神バンドの面々が下りてくる。
「へー、ホントにタイムスリップしちゃったんだ」
「電線、ねえもんな」
「ホントだ」
「携帯も通じねえよ」
「この方たちは?」
「神バンドの方々です」
「神様!やはりややこ様方は、稲荷様のお使いだったのですね。ひとりお坊様がいらっしゃいますが」
「誰が坊主じゃ」
「わかりました」
阿国がきっぱりと言った。
「ややこ様方は、稲荷様のお導きで、私に新しい踊りを教えてくださるためにいらしたのでありましょう」
「確かに私たちはメタルダンスユニットだけど…」
SU-は口ごもる。
「ぜひ!私たちに、新しい踊りをお教えください」
阿国は食い下がる。
「でも…戻れなくなっちゃうんじゃ…」
YUIが心配そうにつぶやいた。
「そうだな。タイムスリップなどという超常現象をあっさり受け入れている自分にも驚くが、パラレルワールドのSFでは、過去を改変してしまうと、別の時間軸に分岐してしまい、元の世界に戻れなくなってしまう。例えば、自分のお父さんを殺してしまうと、自分が生まれる未来には永遠に戻れなくなるということだ」
「ビフが大統領になっちゃうバック・トゥ・ザ・フューチャー2ね」
KOBAMETALが説明すると、すぐにSU-が反応した。
「実際、トランプが大統領になっちゃったしね」
「さすがデロリアンの女王」
MOAとYUIが拍手した。
「つまり、桃山時代の出雲の阿国さんにメタルダンスを教えたら、歌舞伎のスタイルが変わってしまうかもしれない。そうしたら日本文化が変わってしまい、ぼくらは永遠に未来に戻れなくなる…」
「ていうか、どうやったら未来に戻れるの?」
「ていうか、どうしてタイムスリップしちゃったわけ?」
YUIとMOAがほぼ同時に叫んだ。
電源車の中からタイムスリップの原因を作ったローディがはい出してきた。
「ひどいですよ。電源車の中にぼくだけ置いてきぼりなんて」
「おいおい、そんなこと言ってる場合か。回りを見てみろ。お前のタイムマシンのせいで桃山時代に来ちまったんだぞ」
「やっぱり。」
「やっぱりってなんだよ!」
ローディがため息をつくと、全員がツッコんだ。
「ファズっていうのは、ギターの電気信号を歪ませる回路なんですけど、そこに野外ライブに使うくらい大きな電圧をかけて電磁場を作ると、スピーカーから出る空気振動が過大になって、時間の歪みに変換されるんですよ」
「ふむふむ…って全然わかんないけど」
MOAが一人で乗りツッコんだ。ローディは続ける。
「スピーカーの空気振動が伝わる電磁場の中のモノは、いっしょに歪んで時空を飛んじゃうってことだと思うんですよ。パラメータをいじれば歪みの量がコントロールできるんで、たぶん思い通りの時間・空間に飛べるんじゃないかと」
「でかした!チームベビメタはグラミー賞を取る前に、ノーベル賞が取れるぞ。今日からお前をドクと呼ぶ」
KOBAMETALが叫んだ。
「で、2018年のシャーロットに戻れるパラメータはわかっているんだろうな」
「いや、それがまだ試行錯誤中でして」
「なんだと。じゃあ、戻れないじゃないか」
「あのう…。お取込み中すみませんが、新しい踊りを教えていただくことはできないんでしょうか」
出雲阿国が言った。
「…。それをやると、私たち、未来へ戻れなくなっちゃうかもしれないの」
「そうですか」
阿国と達吉はがっくりと肩を落とした。
「ごめんなさい…。」
SU-はすまなそうに目を伏せた。
「でも、せっかくだから、今日はこのバスに泊まっていきなよ。阿国歌舞伎のこと、もっと教えて」
MOAがいった。
「稲荷様のお使いのお申し付けとあれば、ぜひ」
阿国の瞳が輝いた。
5大老の一人である会津の上杉景勝と対立していた徳川家康は、伏見城で豊臣秀頼と淀君に面会した後、会津征伐に出立した。だが、その間に、奉行筆頭となっていた石田三成は「内府違い状」を豊家恩顧の大名に送り付け、これに応じた毛利輝元、宇喜多秀家、小早川秀秋らが大坂城に入り、家康配下の鳥居元忠が留守役を任せられていた伏見城への攻撃を開始した。
一方、徳川家康は、下野国小山で、会津征伐に参加していた福島正則、山内一豊、黒田長政ら諸将を集めて評定を開き、三成らの「別心」をとがめて、反転することを決定。会津征伐の指揮権を息子の徳川秀忠に委ね、自ら西進を開始した。先遣隊の井伊直政、本多忠勝らは東海道をひた走り、岐阜城を攻撃し始めた。
すでに東西両軍の激突は始まっていた。つい数か月前、内府徳川家康が伺候した幼い秀頼と淀君がいる伏見城が毛利勢の手に落ちたことは、5大老体制が石田三成、毛利勢の西軍と、徳川家康、福島正則らの東軍に分裂し、戦いのメルクマールが京の町の帰趨にかかることを意味した。京の民衆は再び戦火に巻き込まれる恐怖のどん底に叩き込まれた。
(つづく)