ブルータルの研究(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

THE ONE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

★今日のベビメタ

本日2月27日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

ウィキペディアによれば、「デスメタルはスラッシュメタルから派生し、“死”や“死体”や“地獄”などを歌詞のテーマとしたジャンル」であり、「グラインドコアは、デスメタルと音楽的に近い関係にあるが、ハードコアをルーツとするため、破滅的ではなく、社会への不満などをテーマに置いている点で異なる」のだそうだ。

「音楽的に近い」というのは、楽器構成や音の作り方や歌唱法や頻出コード進行やリズムのことをいうのだろうが、それがほとんど同じで、歌詞のテーマが異なると違うジャンルになってしまうというのはいかがなものか。バンド自身はそこまで細かいジャンルの定義など意に介さず、自分たちの思いどおりにやっているだけだろう。デスメタルバンドだって、社会への違和感や憎悪や怨念を表現しているのであり、そもそも、いったい誰が何をもって「これは社会批判的歌詞、これは破滅的歌詞」と線引きするというのだろう。

音楽評論という営為には、知識が不可欠だが、物書きである以上、それよりも人間性に対する深い洞察力と読者に感動を与える文章力が必要なはずだ。細かい差異をもってジャンル分けすることで何か言ったような気になるのは、ただのディレッタントに過ぎない。

そういえば、メタル嫌いでBABYMETALを「日本の恥、世も末」と言ったピーター・バラカンとかいう「元音楽評論家」がいたなあ。

テーマがブルータルなので、ぼくの文章も攻撃的になっているかも。

ブルータルな音楽を聴くと、恐怖や憎悪や怒りの感情が高まり、破壊衝動や暴力衝動が刺激される。だからといって、それが「テロ」につながるというのは大きな誤解である。

世界中で「自爆テロ」を繰り返す人たちは、IS(イスラム国)やアルカーイダなど「イスラム過激派」の構成員か、その思想に共鳴した信徒=ムスリムであるといわれる。

神の啓示である『コーラン』や、唯一の使徒ムハンマドの言行録『ハディース』を原典の字義どおりに解釈して、「騒乱がなくなるまで戦え。そして宗教すべてが神のものとなるまで(戦え)」(第8章39節)とか、「不信仰者と出会った時はその首を打ち切れ」(第47章4節)という神の御言葉を忠実に実行するのが「イスラム過激派」の特徴である。

イスラム法を厳格に適用すれば、人間は神に仕える奴隷(アブドゥーラ)として、質素・清廉に生きなければならないから、飲酒、喫煙、ダンス、芸術といった現世の享楽は認められない。

音楽も例外ではなく、神を讃える「ナシード」と呼ばれるアカペラしか認められず、楽器演奏を伴う世俗的な商業音楽は、原則禁止とされる。

ブルータルなデスメタルやブラックメタルは反キリストだから、恐ろしいテロ実行犯のBGMにピッタリだと思うかもしれないが、真逆である。悪魔はキリスト教にとっても、イスラム教にとっても「敵」なのだ。

アリアナ・グランデのライブが行われたマンチェスター・アリーナや、ラスベガスの野外ライブ会場でテロ事件が起きたのは偶然ではない。

ホテルに大量の銃器を持ち込んだ後者の犯人は裕福な不動産業者だったが、6か月前にイスラム教に改宗していたとされる。

命を捧げて不信仰者を殺すジハードは最高の善行なので、それまでの悪行が帳消しにされる。それまで、ちっとも真面目なムスリムでなかった奴が自爆テロを起こす心理的メカニズムはこうして説明される。

詳しくは飯山陽氏の『イスラム教の論理』(新潮新書752)を一読されたい。

自爆テロ=殉教攻撃の実行犯の頭の中に鳴り響いているのは、決してデスメタルやブラックメタルではなく、神への愛を歌う「ナシード」なのである。

ちょっと寄り道してしまったが、ブルータルな音楽が、「テロリスト」にふさわしく、暴力を助長する音楽だというのは大間違いであることがお分かりいただけるだろう。

ではブルータルな音楽の価値とは何か。

ぼくの考えでは、それは人間性の中に潜む暴力や憎悪や死の衝動=「悪」と向き合うことである。大音量の音楽と汗まみれのモッシュの中で、浄化・昇華されることである。

ぼくはイスラム教と同じ天地創造の神を信じるカトリック信徒であり、イエスが「しかし、私は言っておく。汝の敵を愛せ」(マタイ5章38-48節、ルカ6章24-34節)と教えたことも知っている。だが、人間がそう簡単に優しくふるまえることなどできないこともまた、知っている。

実際、カトリックは十字軍という名の中東地域への侵略の主犯だったし、大航海時代には南アメリカ、東南アジア、アフリカ植民地化の先兵となった。近世でもヨーロッパにおけるユダヤ人差別の元締めであり、第二次世界大戦ではナチスに協力した疑いさえある。

宗教は神に与えられたものかもしれないが、それを運用する人間には、深い深い闇がある。

妬み、怒り、憎悪、怨念、破壊、暴力、殺意、破滅といった「悪」もまた、人間性に備わった一面なのだと思う。それがない人間などいない。だからこそ、それを自覚して向き合うことが重要なのだ。

ぼくの場合、大音量のブルータルな音楽を聴くことで、日常生活の中で無意識あるいは意識的に抑圧しているそうした衝動が意識の表面に浮かび上がってくるが、しばらくその中に心身を浸していると、感情が発散され、不思議なことに、抑圧していた衝動が解放=デトックスされるのを感じる。

この「悪の安全弁」のような能力や機能は、人間の脳に生まれつき備わっているみたいなのだ。これも「普遍音楽文法」のなせるわざかもしれない。

具体例を挙げよう。

「BABYMETAL DEATH」のコードは、B♭mである。

mがつくことからわかるように、コードは短調である。悲しい感情を掻き立てるコード。

「紙芝居」が終わって、「♪ダダダダダダダン、ダダダダダダダン」とMETALLICAの「ONE」の間奏部みたいな、銃撃音を思わせる音から始まるが、このときのギターの音が、B♭である。

ノーマルチューニングの6弦ギターの最低音は6弦開放のEで、B♭は6弦6フレットになる。これでもいいが1オクターブ高くなってしまい、「BMD」の迫力は出ない。

ノーマルチューニングの7弦ギターの最低音は7弦開放のBだが、B♭はそれよりさらに半音低い。なので、7弦ギターの7弦を半音ダウンチューニングするのが正解である。

つまり、この曲は、まずキーからして悲しく重い低音なのである。

しかしまあ、水戸黄門の「♪人生楽ありゃ苦もあるさ~」(正式タイトルは「あゝ人生に涙あり」)がCmだから、そのまま2フレット下げれば「BMD」になる。

しかし、「BMD」が「水戸黄門」と全く違うのは、「「♪ダダダダダダダン、ダダダダダダダン…」とやっていく中で、3つめの「ダダダダダダダン」の後半が、B♭ではなく、半音上のBになってまた戻ることである。

話を分かりやすくするために「水戸黄門」もB♭mだとすると、「♪(B♭m)人生楽ありゃ(G#)苦もある(B♭m)さ」となる。このG#は、平行長調のⅤにあたるから、いったん下がってまた進むという歌詞の内容を的確に表現している。

ところが、「BMD」では、B♭mのまま、ルート音のB♭だけが半音上がってBになり、またもとのB♭mに戻るという動きになる。

悲しい感情を惹起するマイナーコードの中で、ルートが半音だけ上がるというのは、急に不安な感じ、焦燥感が高まるような感じを与える。

しかもイントロは、このリフに重ねて、「♪F→D#→F#→F、A→A#→F#→F」というギターのトレモロ奏法によるメロディが流れる。一見してF#→FとかA→A#とかF#→Fとか、半音進行が多いことに気づく。メロディらしい展開がなく、半音刻みで不安感が高まったり下がったりする感じ。

バックには、「♪ダダダダダダダン」のリズムに合わせて、早口のグロウルで「BABYMEATL DEATH…」というSEも流れる。

こうして、いやがおうにも不安な感じ、怖いことが始まる感じが高まっていく。

(つづく)