世界征服とは何か(4) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ

本日2月14日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

レニ・リーフェンシュタールが監督したベルリン・オリンピックの映画『オリンピア』(日本語タイトル:民族の祭典)は、初めて移動カメラを本格的に使用し、俯瞰とアップ、スローモーションを効果的に使った芸術性の高い作品だった。リーフェンシュタールは、スポーツの記録映画にもかかわらず、思い通りの映像が撮れなかったときは、後日選手を集めて撮り直し、今でいうヤラセさえ行った。

その映像技術と表現センスは、映像作品として画期的であり、沢木耕太郎はリーフェンシュタールを訪ねて、その詳細をリポートした「オリンピア:ナチスの森」を上梓している。

さらに1934年のニュルンベルグでの第6回ナチス党大会を映画化した『意志の勝利』は、ヒトラーの乗った飛行機が空港に到着するところ、大会を準備する参加者の姿を描くところから始まり、6日間の大会のハイライトをドラマチックに描いた。

リーフェンシュタールは、撮影のために会場の至るところにレールを敷き、クレーンを設置した。移動カメラでヒトラーの演説の模様を様々な角度から撮影し、感動する参加者や党幹部の顔をアップにし、ナチス突撃隊、親衛隊の一糸乱れぬ行進で高揚感を演出するなど、記録映画ではなくひとつの「物語」となった映像作品だった。その映像美は、国際的にも高く評価され、1935年ヴェネチアビエンナーレの金メダル、1937年パリ万博のグランプリを獲得した。

ウィキペディアによれば、ミック・ジャガーは、『意志の勝利』を繰り返し見て、ライブの参考にしたという。

確かにリーフェンシュタールの映像は素晴らしく、20万人の参加者の一体感、高揚感は、もし自分がそこに居たら飲み込まれて感動してしまっただろうと思うほどである。

画家を志していたヒトラーは、美しい映像とドラマチックな演出で大衆の心を動かす、映像作家としての彼女の才能を正しく見抜いていたのである。

1923年11月のミュンヘン一揆に失敗した後、ヒトラーはナチスの目標を、クーデターではなく、選挙で政権を獲得することに切り替えた。暴力集団のイメージを脱し、大衆にアピールするために、共産党や社会民主党などの左翼政党が用いる大衆教化=プロパガンダの手法を採用することとした。

その際の原則は、ヒトラーが「我が闘争」で示していた。

・テーマや標語をしぼる

・あまり知性を要求しない

・大衆の情緒的感受性を狙う

・細部に立ち入らない

・同じことを何千回と繰り返す

具体的な公約や緻密な政策の裏づけの有無は、大衆にとってわかりにくく、些末な議論を巻き起こすだけである。

そうではなく、ただ「ドイツ民族の屈辱を晴らす」「ヴェルサイユ体制打破」「すべてユダヤ人が悪い」「ヒトラーこそ指導者に相応しい」という単純なスローガンを繰り返し、「信じさせること」。それがヒトラーが直観的に見抜いた大衆宣伝の原則だった。

そして、この「知性を要求せず感情に訴える」原則はまんまと功を奏した。

1933年、首相に就任した後、ヒトラーは国民啓蒙・宣伝省を新設し、ナチスの宣伝担当だったゲッベルスが大臣に就任した。そして「国民受信機」という名前のラジオを大量生産させ、76マルクで販売した。

当時市販ラジオの価格は200~400マルクが相場だったので、多くのドイツ国民が「国民受信機」を購入した。そして国民啓蒙・宣伝省は、ナチスのプロパガンダ番組や国防軍戦況報道だけでなく、音楽番組、ラジオドラマなどの娯楽も提供した。国民は一日中この放送を聴き、思考と感情を支配されていった。

第一次大戦で敗戦国となったドイツだが、もともと科学、工業、文化、経済的なポテンシャルをもつ資本主義国だった。勤勉な国民性と国際社会の支援により、1920年代のドイツは復興すべくして復興したのである。1929年の世界大恐慌で、再びドイツ経済が立ち行かなくなり、街に失業者があふれると、ヒトラーとナチスの単純なプロパガンダがドイツ人にとって「救い」に見えた。だから1930年、1932年の選挙で、ナチスが躍進したのである。

そして政権を奪取すると、ヒトラーとナチスは、世界で初めてマスメディアを使った情報操作を行い、大恐慌が起こるまでヴェルサイユ体制が緩和され、ドイツが復興途中にあったことを無視して、「ドイツ民族の屈辱を晴らしたのは、すべて自分たちのおかげだ」とアピールした。

他に情報ソースのない大衆はそれを信じてしまったのである。

ヒトラーが人類史に貢献したことがあるとすれば、マスメディアを通じて大衆心理を操作できることを示したことに尽きるだろう。その目的が「ドイツ民族の生存圏の拡大」と「他民族の根絶」でなければの話だが。

だからマスメディアは怖い。

第二次世界大戦後、ラジオに代わってテレビがマスメディアの主役となった。

テレビは映像なので、大衆に与える影響も大きいが、情報量が多いため、放送局や出演者の意図しない情報まで伝わってしまうこともあり、情報操作はより難易度が高い。

さらに、他ならぬナチスドイツの経験を踏まえ、戦後のマスメディアには一部の独裁国家を除いて「不偏不党」「公正」でなければならないという倫理規定が設けられているし、スタッフの中にも、マスメディアの怖さを自覚している方は多いはずである。

しかし、放送局が倫理規定や自制心をかなぐり捨てて、大衆を一定の方向に導くことは可能だ。マスメディアによる情報操作の恐ろしさは厳然と存在するのだ。

マスメディアが意図的に、破滅をもたらすプロパガンダを流すようになったとき、ぼくら大衆がそれに騙されないようにするにはどうしたらいいのか。

ヒトラーが述べたプロパガンダの原則、すなわち「知性を要求しない」「細部に立ち入らない」「情緒に訴える」の逆を行けばよいのだ。

つまり、大衆は「知性を磨くこと」「細部をきちんと検証すること」「感情的にならずに冷静に判断すること」である。

それこそが、自分の「思想」を実現するために、大衆を心理的に操作しようとする扇動者のもっとも嫌がることなのである。

その意味で、最近のワイドショーで、芸能人のゴシップならまだしも、重要な政治問題や国際情勢の話題を取りあげ、その問題について基礎知識もなく、深く考えてもいないコメディアンやアイドルが情緒的なコメントをするのは、見るに堪えない。

さらにいえば、テレビ討論番組で、人がしゃべっているのを途中でさえぎるマナーの悪さも胸糞が悪くなる。

人が話しているときに、さえぎってはいけないというのは、討論どころか、日常会話のマナーだったはずだ。だが、80年代後半にスタートした某深夜番組で、某司会者が自ら出演者の発言をさえぎって議論を自分の思う方向に導くというスタイルを始めたので、そうされた出演者も、苛立って他の人がしゃべっているのを大声でさえぎり、かぶせるように発言するようになった。

若い人たちは、あれが討論とか会話のやり方だと思っているのかもしれないが、あれは、見ている者の感情を掻き立てて視聴率を稼ぐ「言論人の乱闘」を見せるのが目的で、他人の意見をちゃんと聞くという民主主義の正しいマナーとは真逆のものだ。このことはちゃんと言っておきたい。

要するに、今の日本のテレビで「政治」を扱う番組では、本当の主権者である視聴者は、知性をもった細部の検証ができない。出演者や司会者が「思想」を感情的にぶつけ合っているだけだ。

ぼくの考えでは、「思想」と「政治」とは正反対のものである。

「思想」とは個人の世界観や人生の意味である。どんな「思想」を持つことも自由であるが、それによって他者に迷惑をかけることは許されない。

「政治」とは一人ひとり違う「思想」をもったみんなが、平和に共存していくための仕組みやそのための技術のことである。

たった一人の「思想」をみんなに押しつけ、それ以外を許さないのは「政治」ではない。ただのガキの我儘である。

ヒトラーの「思想」はドイツ「民族」が他の民族に抜きんでて優れており、他民族を支配、根絶することにより、ドイツ「民族」だけが最終勝者として生き残る、というものだった。

こんな「思想」に賛同するわけにはいかないが、ヒトラーがただの落ちぶれたオジサンで、酒場で息巻いているだけなら、実害はなかった。

こんな「思想」を持つオジサンが、単純なプロパガンダで議会の多数派を握り、さらにマスメディアを使って大衆の心理を操作し、実際に軍隊を動かして他国を侵略し、他の「民族」を大量虐殺できてしまったところが、ナチズムの恐ろしさなのだと思う。

「民族」と「国」は違う。「思想」と「政治」は違う。

これらをしっかりと区別し、知性をもって細部を検証し、冷静に判断する…。

それが、強烈な個性を持った「思想家」があらわれ、マスメディアを駆使したプロパガンダを展開したとしても、対抗しうる大衆の心得なのではないか。

(つづく)