世界征服とは何か(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ

本日2月13日は、2013年、TV埼玉「Hot Wave」に出演した日DEATH。

 

「民族」ないし「人種」を人間の価値尺度とし、他の「民族」ないし「人種」を差別、圧迫、排斥、絶滅させようとすること。これがレイシズム(Racism)の定義であり、そういう思想を持つ人をレイシスト(Racist)という。

ユダヤ人をヤハウェの神の言葉である『タナハ(旧約聖書)』を信じる宗教共同体として見ず「劣等人種」だと決めつけるとか、多様な民族がいるアフリカ系の人々を一括りに「黒人」と呼び、粗野で知能が低いと思い込むとか、ドイツ人や日本人は生まれつき好戦的だとか、朝鮮人は自分勝手で約束を守らないとか、ネガティブな「○○人は××である」式の考え方はすべてレイシズムだと思う。

逆に「ユダヤ人は知能指数が高い」「黒人は運動能力やリズム感に優れている」「ドイツ人や日本人はキッチリしている」「朝鮮人はバイタリティがある」といったポジティブな「○○人は××である」式の考え方も、害はないが眉唾だとぼくは思っている。

以前も書いたが、ぼくはその人が所属する「民族」や「集団」だけで、その人の性格を判断することはしない。個人はたまたまその「民族」や「集団」に生まれついたり、所属したりしただけであって、その内部には様々な人がいて、考え方の違いがあったり、対立したりしている。

政治や文化や社会に関する考え方をめぐって、相互に批判するということはあるべきであって、その際、その人が知らず知らずのうちに刷り込まれた「民族」や「集団」特有の思考のクセを指摘することは自由だと思う。例えば一神教の排他性とか、中華思想とか、儒教の影響とか、異質なものを排除するムラ意識とか。それをお互い冷静に指摘し、受け止め合うことは、レイシズムではなく、議論の土台である。

「○○人だから××だ」と声高に言うだけでは、問答無用、ただのレッテル貼りであって、議論にならない。

とりわけ、政治に「○○人だから××だ」という考え方を持ち込んではいけない。

「国」「国家」とは、国民同士の内戦を無くし、外国の侵略から国民を守り、経済活動を潤滑に行い、平和と安定と繁栄をもたらすためのしくみである。

そのことは、ジャレド・ダイヤモンドの『昨日までの世界』(日経BP文庫)で、人類が狩猟採集小集団(バンド)→部族集住→首長制社会→国家と発展してきたことをご紹介した。原始社会=平和な社会という素朴なイメージとは裏腹に、年/人口あたりの戦死者の数は、人類社会が発展するにしたがって少なくなってきたのである。

しかし、それは、平和と安定と繁栄を保証する「国」を創ろうという先人の努力の上に成し遂げられたものである。

ヒトラーの目的は全く違った。

ハフナーによれば、ヒトラーにとって「国」とは、「ドイツ民族」が、他の「民族」や「人種」を根絶する戦争を仕掛けるための道具でしかなかった。

だから、1933年に首相になるとすぐに「全権委任法」を可決し、ワイマール憲法に縛られずに自由に立法できるようにし、国会放火事件をでっち上げ、共産党をはじめ、他の政党の活動を禁止してしまった。ヒンデンブルグ大統領を差し置いて、ヒトラーが「総統=国家元首」となると、閣議すら行われなくなり、全ての政策はヒトラーの発案、命令によって行なわれるようになった。

名案が浮かばないとヒトラーは何日も判断を保留するから、行政機構はガタガタになった。

ヒトラーは、後継者も定めず、自分がいなくなったあとの国の在り方を何一つ決めなかった。

つまり、ヒトラーは国をよくするための法律の改正や行政の仕組みづくりを行う「政治家」ではなく、国を解体し、自分の思想を実現するためのマシーンにしてしまったのである。

その意味で、テロ等防止法や平和安全法制、憲法改正などの法整備、国家戦略特区制度による“岩盤規制”改革など、自らが政権を去ったあとも続く「国の仕組みづくり」に邁進する安倍晋三首相が「ヒトラーみたいだ」というのは、的を外しているとぼくは思う。

また、北朝鮮の金正恩が、核兵器を開発してアメリカや日本を恫喝したり、平昌オリンピックで南北宥和をアピールしてみせているのも、戦争を起こして韓国人や日本人やアメリカ人を根絶することが目的ではなく、朝鮮労働党独裁政権=金王朝の体制存続を目的としているだけだということを考えれば、ヒトラーとは比べものにならない。

しかし、なぜこのように政治家としては無能なヒトラーが国の再建に成功し、ヨーロッパに覇権を広げられたのか。

議会制民主主義や議院内閣制は、意思決定や立法―行政手続きが煩雑で、独裁政権の方が、効率がいいのだという議論がある。ヒトラー独裁のナチスドイツが、イギリスやフランスなどの「民主主義」国家を圧倒したのは、それが理由だと言われることもある。

だが、このことについて、ハフナーは国内的にも外交的にも、ヒトラーの相手が「弱すぎた」ためだと説明している。

1923年、ヴェルサイユ条約による莫大な賠償金の支払いが滞ったことにより、フランス軍がルール地方を占領し、これに憤激したドイツ人に反フランスの機運が高まった。

ヒトラーによるミュンヘン一揆もこれを機に起こったものである。

イギリスとアメリカはフランスに対して自重を求め、1924年にアメリカのクーリッジ大統領が派遣した副大統領ドーズによって、ルール占領の解消と、賠償金支払い方式の緩和、インフレ対策のための金本位制の新貨幣の発行と、公債発行を骨子とした「ドーズ案」が提案され、フランス政府も渋々受諾した。

さらに1930年には、アメリカRCAの創立者、ゼネラルエレクトリックの会長で、ドーズ委員会の一員でもあったオーウェン・D・ヤングによる「ヤング案」が合意され、ドイツが支払うべき賠償金自体の大幅な減額、緩和がなされた。

ヴェルサイユ条約で戦勝国がドイツに要求した総額1320億金マルクにおよぶ賠償金は、元々日本も含めた連合国が負担した戦費の補償であったが、それを貸し付けたのは国際金融資本だった。復讐心から莫大な賠償金を要求しても、ドイツ経済が立ち行かなくなれば、角を矯めて牛を殺すことになってしまう。賠償金の支払いを減額、緩和する措置によって、ドイツ経済の立て直しを図るのが先決である。

ドイツ経済再建のために起債されたドーズ公債を引き受けたのはロンドンのイングランド銀行とニューヨークのJPモルガンだった。

政権奪取前のナチスは「ヤング案」に猛反対していたが、国民投票では94.5%の圧倒的多数で批准された。

1932年6月には日本の提案でローザンヌ会議が行われた。それまでにドイツは賠償金総額(1320億金マルク)の8分の1を支払済みだったので、戦勝国は残りの8分の7を放棄し、ドイツは残り30億金マルク支払えばいいことになった。

しかし、1933年にヒトラーが首相になると、ヴェルサイユ条約自体の破棄が宣言され、ローザンヌ会議の協定も反故になり、賠償金は1マルクも支払われなくなった。

つまり、ドイツに対するヴェルサイユ体制の「重し」のうち、少なくとも賠償金の大半が減額、緩和されたのは、ヒトラーの功績ではなく、国際社会や金融資本の合意だったのである。

ヒトラーがヴェルサイユ条約の破棄を宣言するまでもなく、国際社会はドイツ経済の再建を支援していたのであり、アウトバーンの建設を始めとした公共事業も、雇用を生み、インフラを充実させ、経済を立て直す方策として、国際社会の支援を得て、米国資本を元に行われたものだった。

そもそもドイツは第一次世界大戦の一方の雄となるほどの科学技術力や経済力を持った先進国だった。

近世以降、ドイツは自動車工業、医学、化学などの科学技術分野でも、音楽、文学、哲学、映画などの文化的領域でも、ヨーロッパの中心だった。ベンツやBMWやポルシェやゾリンゲンやアスピリンはドイツの製品だし、医学用語は日本では少し前までドイツ語だった。

アインシュタインもフォン・ブラウンも、ベートーベンもワグナーも、ゲーテもヘッセも、ニーチェもハイデガーも、フリッツ・ラングもイングリッド・バーグマンもドイツ人だった。

第一次大戦で放棄したドイツの海外植民地はごくわずかであり、石油さえ確保すれば、鉄鉱石などの資源から販路となる市場まで、ヨーロッパだけで経済圏が成立する。戦争が終わって交易が自由になり、毎年の予算から莫大な賠償金を支払うという足かせが取れれば、ドイツが再び経済発展するのは当然であった。それは第二次大戦後の西ドイツ、現在のドイツを見てもわかる。

ヒトラーが掲げた再軍備も、軍需産業が国家による一大公共事業であることを考えれば、雇用を生み、大いに経済発展に寄与した。

ナチスドイツの科学力というが、この時代は科学技術の発展期であり、近世以来の伝統を持つドイツの各大学に優秀な科学者、研究者が育っていたというだけに過ぎない。

つまり、ヒトラーやナチスが、天才的な手法でヴェルサイユ体制をぶち壊し、奇跡的な経済復興を成し遂げ、当時の水準をはるかに超えた科学技術で最強の軍隊を作り上げたというのは、単なる都市伝説に過ぎない。

ドイツの科学者には、アインシュタインをはじめ多くのユダヤ人がいた。また、ユダヤ人金融資本の発祥の地はドイツだった。

しかしヒトラーは、ドイツの科学力や経済力の源泉となっていたユダヤ人を「寄生虫」と呼んで迫害した。それによってドイツという国の発展を最初から閉ざしてしまった。

むしろヒトラーとナチスこそ、経済発展、文化振興のポテンシャルをようやく回復した1930年代というタイミングに運よく居合わせ、「民族浄化」と「ドイツ民族の生存圏の拡大」という自らの奇怪な思想を実現するために利用した「寄生虫」だったのである。

(つづく)