テクニカルギタリストの系譜(4) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ

本日1月25日は、2017年、Guns N’ RosesのSupport Actとして、神奈川・横浜アリーナに出演した日DEATH。

 

リッチー・ブラックモアが脱退したあとの1975年、ディープ・パープルには、初めてアメリカ人のトミー・ボーリン(G)が加入。「Come Taste the Band」をリリースするが、1年と持たずに第4期ディープ・パープルは解散してしまう。

それから8年後の1984年、レインボーを空中分解させ、リッチー・ブラックモア、イアン・ギラン(V)、ロジャー・グローバー(B)はじめ第二期のメンバーがリユニオンして、ディープ・パープルが再結成される。

だが、リッチーの人間関係はやっぱり難しく、イアン・ギランが脱退すれば、リッチーが残り、リッチーが脱退すればイアン・ギランが再加入するといった紆余曲折を経て、1993年12月、リッチーがツアー直前に再脱退したため、ジョー・サトリアーニが急きょサポートギタリストとして参加する。

ジョー・サトリアーニは、リッチー・ブラックモアの10歳年下、エディ・ヴァン・ヘイレンと1つ違いの1956年生まれだが、スキンヘッドから「ギターの亀仙人」と呼ばれるほど、卓越した演奏技術を持っていた。

1987年にリリースしたインストゥルメンタルアルバム「Surfing With The Alien」がビルボード200の29位に入りブレイク。今聴くと相当メタルっぽいが、当時はインストゥルメンタル・ロック、ジャズ・フュージョンのジャンルで評価された。

生い立ちはほとんど公表されていないので、どういう経緯でそこまでギターが上手くなったのかはわからない。18歳だった1973年頃には、ニューヨーク州ロードアイランドの楽器店で「講師」(おそらく楽器店に多いアルバイトの自称Instructor)を務めていた。

そこへやってきたのが、5ドルで友人から買った日本製のテスコの赤いギターと弦のセットを持ってやってきた5歳年下のスティーヴ・ヴァイ、当時13歳だった。

ジョー・サトリアーニ自身も、初めて手にしたギターは日本製のグヤトーンだった。

5歳違いの師弟は練習に明け暮れ、「スティーヴは5ドルで買ったとかいうとんでもない安物ギターと、3年前に買っておいたという弦を1セット手に持ってやってきた。お互い、まだもの凄く低いレベルにいたんだよ(笑)。でもその後、今考えても彼は素晴らしく上達が早かった。日増しに…というよりも、1時間毎に上達している感じだったな。」(ジョー談)という関係だった。

ジョー・サトリアーニは、その10年後の1983年頃にはカリフォルニアに居て、やはり楽器店でインストラクターをやっているとき、メタリカに加入する直前、BABYMETALとずっ友写真を撮る30年前、当時20歳のカーク・ハメットにもギターを教えている。

ちょうどその頃、スウェーデンからイングヴェイ・マルムスティーンが渡米し、元レインボーのグラハム・ボネット(V)が結成したアルカトラズに加入。クラシック音楽の音階で驚異的な速弾きを見せ大ブレイクする。

その後、メタルの中に、クラシックの要素を取り入れたネオクラシカルというジャンルができ、タッピングとともに、速弾き競争が始まる。

現在、クリス・インペリテリが「世界最速」とされるが、イングヴェイ・マルムスティーンがアルカトラズを脱退した後、オーディションで後任に選ばれたのは、クリス・インペリテリではなく、ジョー・サトリアーニの“弟子”のスティーヴ・ヴァイだった。

スティーヴ・ヴァイは、師匠の薫陶を受けた後、音楽科高校で楽理を学び、ボストンのバークリー音楽大学に進んだ。バークリーで採譜の技術を習得し、在学中に奇人ギタリスト、フランク・ザッパのバンドの採譜役として雇われ、のちにギタリストとして、ザッパが演奏不可能なパートを弾くImpossible Guitaristのパートを担当。

ヴァイは1984年、ギターはもちろん、ドラムプログラミング、パーカッション、ピアノ、キーボード、シンセサイザー、ベース、コーラスまで担当した初のソロアルバム「Flex-Able」をリリースして注目される。当時このアルバムはプログレッシブ・メタルのアルバムとして評価された。そして、この年、元レインボーのグラハム・ボネット(V)のバンド、アルカトラズにイングウェイ・マルムスティーンの後任として加入する。

1985年には、ヴァン・ヘイレンを脱退したデヴィッド・リー・ロス(V)のバンドに加入。

さらに1989年には、元ディープ・パープルのデヴィッド・カヴァーデイル(V)が結成したホワイトスネイクにエイドリアン・ヴァンデンバーグ(G)の代役として加入した。

翌1990年に発表されたソロアルバム「パッション・アンド・ウォーフェア」は、師匠同様インストゥルメンタルアルバムでありながらビルボード18位を記録し、ホワイトスネイクのワールドツアー終了後はソロ、セッション、サポート活動に専念している。

一方、“師匠”のジョー・サトリアーニは、前述したように1987年にソロアルバムで大ヒットを飛ばし、1992年にも「The Extremist-極-」で、天才ギタリストとしての評価を不動のものとしたあと、ライブツアー直前に脱退したリッチー・ブラックモアの代役として1993年12月から1994年7月までディープ・パープルのサポートギタリストとなる。なお、後任の第8期ディープ・パープルのギタリストはスティーブ・モーズに固定した。

ジョー・サトリアーニは、その後ソロ活動に専念するが、1996年からはテクニカル系の著名ギタリストを招いてセッションするライブツアーG3をスタート。

”弟子“のスティーヴ・ヴァイ、エリック・ジョンソン、イングヴェイ・マルムスティーン、ジョン・ペトルーシ(ドリーム・シアター)、ロバート・フリップ(キング・クリムゾン)、ポール・ギルバート(Mr.Big)、スティーブ・モーズ(ディープ・パープル)、スティーブ・ルカサー(TOTO)、ウリ・ジョン・ロート(スコーピオンズ)、マイケル・シェンカー(元スコーピオンズ、マイケル・シェンカーグループ)らと競演している。

2005年のG3来日公演では、マーティ・フリードマン(元メガデス)、DAITA、ビリー・シーン(BOHが尊敬するMr. Bigのベーシスト)らと競演した。

2009年からは、元ヴァン・ヘイレンのサミー・ヘイガー(V)、マイケル・アンソニー(B)、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのチャド・スミス(D)と3ピースユニット、チキンフットを結成して活動している。

このように、ジョー・サトリアーニとスティーヴ・ヴァイは、フュージョンにも対応できるし、プログレッシブロック、ハードロック、へヴィメタルまで演奏できる幅広いテクニックを持っていた。

メタル系のタッピング奏法や速弾き技術と、ジャズ・フュージョン系のモード/スケール奏法、ジェフ・ベック流のトレモロアーム奏法、ボリューム奏法などの演奏技術を再統合し、ジャズ系のフュージョンギタリストとは違った、新しいテクニカルロックギタリスト像を提示したのが、この二人だと思う。

その背景にあるのは、バークリー音楽大学などで進められた、ジャズのモード理論、ギターのスケール奏法の体系化であり、“師匠”ジョー・サトリアーニと“弟子”スティーヴ・ヴァイが、1980年代初頭にロードアイランドでやっていたのも、そういう理論と技術の体系化ではなかったか。

現在、音楽学校でギター科があるところは、必ずそうした理論と実習がカリキュラムに組み込まれている。ESPが1995年に経営権を取得したロサンゼルス・ハリウッドのMI(ミュージシャンズインスティテュート)の日本の分校として展開するMIジャパンのGIT科がその代表といえよう。

一昔前まで、ジャズの楽理やフュージョンの演奏技術を学ぶには、バークリー音楽大学など、”本場”アメリカの音楽学校に留学しなければならなかった。「バークリー帰り」といえば、ちょっとしたブランドで、ミュージシャンに箔がついた。

しかし現在では、そうした理論および技術体系を身につけたギタリストが日本にも大勢いて、音楽科の専門学校やMIジャパンなどの講師になっている。

そのMIで学び、卓越した技術を身につけて講師にまでなったのが、藤岡幹大、大村孝佳である。メタルが好きになって、好きなギタリストのコピーから始めた少年も、こうした学校で体系的な教育を受け、必死で練習すれば、プロになれるかは別だが、フュージョンからメタルまで自在に弾きこなすことができるようになる。今や、ちゃんと譜面が読めて、コードやメロディを聴けば、相対音感によりスケール内の音を即興演奏できる日本人ギタリストが大勢誕生しているのである。

よくいわれるように、日本人は新しいものをゼロから生み出すのは苦手かもしれないが、体系化された知識を学ぶことが上手い。その体系を改良し、発展させ、緻密化するのはもっと上手い。

日本人ロックギタリストが世界の頂点に立つ可能性は十分にある。欧米で知られていないだけなのだ。その筆頭が藤岡幹大ではなかったか。返す返すも、悔しい。

なお、4月23日(月)にクラブチッタ川崎で、藤岡幹大追悼ライブが行われることが決定した。チケットはローソンチケット、e-Plusなどで2月17日(土)からの発売。

詳細はhttp://clubcitta.co.jp/detail/1825.html

(つづく)