テクニカルギタリストの系譜(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ

本日1月23日は、2017年THE ONEの登録、東京ドームBD&CDセットの予約および購入者限定エクスクルーシブイベントOnly the Five Knowsのエントリーが始まった日DEATH。

 

1955年生まれのエディ・ヴァン・ヘイレン(以下エディまたはEVHと表記)は練習の虫である。

ヴァン・ヘイレンのメンバーでもある実兄のアレックス・ヴァン・ヘイレン(D)が、休日の朝デートに出かけるとき、弟のエディはギターの練習をしながら「お兄ちゃん、いってらっしゃい」と言った。

夜になってアレックスがデートから帰ってくると、エディは朝と変わらずギターの練習をしながら「お兄ちゃん、お帰り」と言ったという。

この兄弟と、パサデナ・シティカレッジのバンド仲間で結成されたヴァン・ヘイレンは、1978年2月、「炎の導火線」でデビュー。いきなりビルボード19位、150万枚を売る大ヒットになる。異例なことに、デビュー後わずか4か月の同年6月に来日し、東京、大阪、名古屋、京都の4都市6会場で公演を行い、翌年79年にも日本ツアーが行われた。演奏するエディの姿を見た日本のHRギター小僧は騒然となった。

普通、ギターは左手の指でフレットを押さえ、右手の指またはピックで弾く。

だが、エレキギターでは、大音量で、コンプレッサーやサステイナーを利かせたアンプで、左手の指でフレットを押さえつつ、右手の指でフレットを強く押さえることでも音が出る(ハンマリングオン)。その指を放す瞬間に弦を引っ掛けても音が出る(プリングオフ)。

EVHは、ソロの中で、左手、右手の両方で指板を押さえて連続音を出すというテクニックを見せたのである。

これをライトハンド奏法あるいはタッピング奏法という。

指板のフレット間を削るスキャロップ加工をして、軽いタッチでもフレットを押さえた瞬間に音が出るようにすると、両手の指で指板を押さえるだけでキーボードのように演奏できる。これを特にボス(Both)/両手タッピングという。

左手だけでは、手の大きさや指の長さに限界があるから、せいぜい5~6フレットしか押さえられない。手が小さければ、運指の速さでカバーしなければならない。HR時代の速弾きは手の大きさ、運指の速さ、正確なピッキングが勝負だった。

しかし、右手を使ったタッピング奏法では、指板がキーボードのようになり、低音から高音まで幅広い音階を駆け上がったり、駆け下りたりできる。ギターは6弦から1弦まであるので、音域の広さはキーボードに匹敵する。

ライトハンド/タッピング奏法は、ギター小僧にとって、目から鱗の演奏技法の革命だった。

アラン・ホールズワースの手は大きい。EVHが、テクニシャンとして知られたアラン・ホールズワースの曲をコピーしようとしたとき、左手の指が届かない音を右手で抑えたのがライトハンド奏法の始まりという通説がある。

ホールズワースはこれを否定している。U.K.時代(1977年~78年)、ホールズワースはアメリカツアーに出たが、それは若い人気バンド、ヴァン・ヘイレンの前座だった。そのとき、すでにエディはタッピングを行っていたので、自分の奏法をコピーしたというわけではない、というのだ。

ウィキペディアにはそう書いてあるのだが、よく考えてみると、ニュークリアス、ソフトマシーン時代のホールズワースのフレーズをコピーする際、エディが思わず右手を使ったのかもしれないから、通説とは矛盾しない。

ホールズワース自身がタッピングを使うことは稀であり、基本は大きな手で指板をがっちり押さえ、驚異的な運指と正確なピッキングで弾く。その時「指が届かない音」を、右手の指で押さえるという行為は、ギター小僧にはありがちなのだ。

ホールズワースの凄さは、タッピング奏法ではなく、プログレッシブロックの即興演奏にジャズのモード奏法ないしスケールによるフレージングを導入したことにある。

小学校で習う西洋音階の1オクターブはドレミファソラシドだが、ドからシまで、半音で数えると12の音の中から任意に7つの音を選んだものである。このように1オクターブ内の音をいくつか選んだ音階セットをスケールという。ドから始まる「ドレミファソラシ」はアイオニアン(メジャー)スケールといい、以下、レから始まるドリアン、ミから始まるフリジアン、ファから始まるリディアン、ソから始まるミクソリディアン、ラから始まるエオリアン(ナチュラルマイナー)、シから始まるロクリアンがある。12音の組み合わせや何音で1オクターブを構成するかは自由なので、ポップス系ではメロディックマイナー、ハーモニックマイナー、ブルース系では5音のメジャーペンタトニック、マイナーペンタトニック、演歌ではヨナ抜きスケールがよく使われる。

モード奏法とスケール奏法は似て非なるものである。

もともとスケールとは、バッキングのコードに適合する音のセット=スケールを選んでソロフレーズの素材とすれば、全体が調和して聴こえるという即興演奏の約束ごとだった。

しかし、それに不自由さを感じたミュージシャンがいた。スケールには、それぞれ独特の旋律の雰囲気がある。そこで、コード進行を解体して、キーとスケールだけを決めて即興演奏することにしたのがモード奏法であり、このスタイルがモダンジャズである。

現在のテクニカル系ギタリストのフレージングは、スケール奏法が基本だが、時にモーダル(モード的)に演奏されることもある。ジャズミュージシャンたちが直観的に演っていたことを理論的に整理したのは、1970年代のバークレー音楽院で、今ではMIなど日本の音楽学校で教えられるようになった。

ちなみに、MI講師だった藤岡幹大は、マイナーコードのメタル楽曲にリディアンスケールで“アウト”に聴こえる音を使うとか、ワンコードの「CMIFC」の神ソロではモーダルに弾くとか、変幻自在なフレージングで演奏し、かつそれを教則本にまとめていた。

そして、イギリスのプログレッシブロックの土壌に、モード/スケール奏法を導入した“元祖”が、アラン・ホールズワースだった。

だが、影響力ということでいえば、エディ・ヴァン・ヘイレンの方が大きかっただろう。

タッピング奏法は、メタル系のロックギタリストに瞬く間に広がっていった。70年代後半~80年代に少年時代を過ごしたロックギタリストのほとんどが、ライトハンド奏法を必死でコピーした。ライトハンド奏法を使うと、キーボーディストのようなバッハ音階によるフレーズが弾ける。「Highway Star」のジョン・ロード(Key)のソロの少なくとも一部はライトハンド奏法で弾けるのだ。HR/HMのギターソロは、ペンタトニックとバッハ音階の融合だったので、ライトハンド/タッピングは、メタルギターの標準奏法となった。

また、改造ストラトの使用もEVHを嚆矢とする。

デビュー当時、EVHは、ウェイン・シャーベルのギターショップで、未塗装のストラトのボディとネックに、ハムバッカーのピックアップとフロイド・ローズのトレモロ・ユニットを組み込み、オリジナルデザインの塗装をした"フランケンシュタイン"を使用していた。

このシャーベルの改造ストラトは、80年代のメタルの象徴ともいえるものだった。

後で書くが、1970年代~80年代前半、本家のフェンダーはCBS傘下にあり、廉価なコピー商品の氾濫による経営不振と品質低下がささやかれていた。それで1982年にフジゲンと提携し、神田商会、山野楽器が出資してフェンダージャパンが設立されることになる。

元々ストラトキャスターのトレモロはうまく調整しないとチューニングが狂いやすい弱点があった。チューニングした後、弦を固定してしまうフロイドローズ・トレモロは、激しくアーミングしてもチューニングが狂いにくい。

また、ストラトのシングルコイルは、大音量にした時ノイズを拾いやすい。ハムバッカーはノイズ対策から生まれたので有利であり、EMGなどのアクティブピックアップは、もっとノイズが少ない。

さらにオリジナルのストラトキャスターは21フレットまでしかない。これだと「ヘドバンギャー」のソロの最初の音が出ない。

こうして、ダブルカッタウェイ、ロングスケールで弾きやすいストラトの形状を保ちつつ、フレットを22や24に増やし、トレモロやピックアップ、ナットなど細部を改良したシャーベル、ジャクソン、シェクター、アイバニーズ、ESPなどのギターがテクニカルなメタル・ギタリストの定番となっていったのである。

このように、フレージングそのものの革新はアラン・ホールズワースによってなされたが、タッピングという奏法上の革新、ギターの改造という点で、EVHが後世に与えた影響も非常に大きい。70年代後半、テクニカルギタリストの世界は、フュージョンへ向かう流れと、メタルへ向かう流れが大きく分岐しつつあった。

(つづく)