テクニカルギタリストの系譜(1) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ

2017年、Guns N’ RosesのSupport Actとして、神戸・ワールド記念ホールに出演した日DEATH。

 

2015年にカリフォルニアで結成された4人組プログレ・インストバンドCHONが、昨秋来日し、東京、大阪、京都、名古屋のライブハウスで公演し、朝霧ジャム2017にも出演した。

超絶的なギターとドラムスの技巧、複雑な曲構成と変拍子で、ボーカルのほとんどないインストゥルメンタル音楽を奏でるマスロック(Math、数学的?)というジャンルは、比較的最近できたものだが、その源流はプログレッシブロックとミニマルミュージックである。

日本では、BABYMETALをいち早く称賛した“わが軍”でもあるピエール中野(D)が所属する凛として時雨、あぶらだこなどがマスロックの代表的バンドとされる。

CHONは平均年齢24歳の若いバンドだが、2015年に1stアルバム「Grow」、2017年に2ndアルバム「Homey」をリリース。マスロックの雄Animals as Leadersと二度にわたる全米ツアーを行うなど、知名度を上げている。

Mario Camarena (G)、 Erick Hansel (G)のギタリスト二人は、Ibanezの7弦ギターを使って、超人的な左手の運指と正確なピッキングによる速弾き、アームを握りつつ微妙なメロディを奏でる奏法、両手タッピング、ハーモニクスなどの技巧を見せる。

マスロックのバンドの中には、エフェクターを使って、メロディすらはっきりしない前衛的・実験的な技法を中心にするものや、クリーントーンでミニマルなフレーズを延々と繰り返すバンドもあるが、CHONは、ややクランチ気味~ディストーションまでのロックっぽいギタートーンで、フュージョンといってもいいメロディアスな楽曲展開を聴かせ、ジェフ・ベックやアラン・ホールズワースといったロック/フュージョンテクニカル系ギタリストの影響を随所に感じさせる。

この系譜は、ハードロックからメタルへ行かず、プログレからフュージョンへとシフトしていったギタリストの流れに位置し、藤岡幹大神に連なるものと同じだ。もし、1980年代にCHONがデビューしたら、間違いなくフュージョンバンドと呼ばれていただろう。

それが、今ミニマルミュージックと融合して、マス(数学)ロックと呼ばれている。評論家によるバンドのジャンル分けというのは、ホントによくわからない。

確かに、藤岡幹大は、仮バンドの「仮音源-Demo-」に関する『ヤング・ギター』のインタビューで、2曲目の「Chuku」について、こう語っている。

―引用-

藤岡:酔っぱらってる時に適当に弾いたのをスマホのボイスメモで録音していて、後から聴き直して良かったパターンを使う…みたいな感じでした。そうしたらたまたま、本当は13拍子なんだけどドラムのパターンによっては4拍子にも聴こえちゃう…みたいな曲になりましたね。

YG:申し訳ないですけど、4拍子には全く聴こえないです(笑)。13拍子というのは、「6+6+1」みたいな数え方ですか?

藤岡:どうだったかな? 僕は「1、2、3、1、2、123」って数えてます。レコーディングの時もクリックをそう打ち込んで。3/4拍子、2/4拍子、3/8拍子が順に来るような形と言うのが正しいんですかね。」

―引用終わり-

さらに4拍子だが、藤岡のパートだけ19音フレーズになっている1曲目の「Common time’s Logic」については、

―引用-

藤岡:これはもう、最初から数字ありきで作ったアイデアですね。19音というのは、まず4音フレーズを1回、その後に3音フレーズを5回という形。最初は4音をパターンのどこに入れ込むか決まっていなくて、パソコンで打ち込んで聴いてみた時、1番それっぽく聴こえたのが今の形なんです。

―引用終わり-

と述べている。楽譜では、小節と拍によって、4/4拍子とか、6/8拍子とか、分数を用いて表すし、音階を原音から数えて3音(目)とか5音(目)とか7音(目)というように表し、その音の入ったコードを7thコードとか9thコードと言ったりするので、「数学」的ではある。

Mathロックとは、そういう「理論的」「数学的」なロックだ、という意味なのだろうか。

であれば、仮バンドも、アメリカで売り出されるときにはマスロックとみなされることになっただろう。

このインタビューで、藤岡幹大は、「こういう数学的な発想は、’80年代のキング・クリムゾン辺りから影響を受けた部分もあると思います。」とも述べている。

1960年代~70年代のイギリスには、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス、ユーライア・ヒープ、ザ・フーなどのハードロックバンドがしのぎを削っていたが、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、EL&Pといったプログレッシブロックのバンドも数多く誕生した。

ざっとおさらいをしておこう。

1967年、シド・バレット(V、G)を中心として結成されたのがピンク・フロイド。

シングル「アーノルド・レーン」でデビューし、全英20位のヒットとなる。続くセカンド・シングル「シー・エミリー・プレイ」は全英6位のヒットとなり、バンドは好スタートを切るが、1968年、LSDの過剰摂取により、シド・バレットが脱退、その代わりにデヴィッド・ギルモア(G)が加入。

シングルリリースをやめ、2ndアルバム「神秘」(68年)、3rdアルバム「ウマグマ」(69年)と即興演奏よりもアルバム作品としての完成度を高め、「原子心母」(70年)は全英1位となった。1973年にリリースされた「狂気」は、ビルボード200で第1位となって以降、全世界5000万枚を売り、「炎」「ザ・ウォール」と並び、プログレといえばピンク・フロイドと言われるほどの存在となった。

1969年、マイケル・ジャイルズ(D)、ロバート・フリップ(G)、グレッグ・レイク(B)、イアン・マクドナルド(サックス、フルート、メロトロン)らによって第一期のメンバーが固まったのがキング・クリムゾン。

リリースしたアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」がいきなり全英アルバムチャート5位となる大ヒットとなる。

だが、イアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズは、同年末に脱退。

グレッグ・レイクも脱退し、翌1970年キース・エマーソン(K)、カール・パーマー(D)とともにEL&Pを結成。

EL&Pは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を3ピースのバンドで表現し、セカンドアルバム「タルカス」では、シンセサイザーを導入してトップ・プログレバンドとなった。

一方、キング・クリムゾンには、ジョン・ウェットン(V、B)と元イエスのビル・ブルフォード(D)が移籍して、「太陽と戦慄」など3枚のアルバムをリリースして第二期黄金時代を迎えるが、1975年に活動を休止する。

1969年に「イエス・ファースト・アルバム - Yes』でデビューしたのがイエス。

1970年にスティーブ・ハウ(G)、1971年にリック・ウェイクマン(Key)が加入し、4thアルバム「こわれもの – Fragile」(1971年)、5thアルバム『危機 - Close to the Edge』(1972年)が大ヒットし、プログレッシブロックバンドとしての地位を固めた。だがその直後、ビル・ブルフォード(D)が脱退してキング・クリムゾンに移籍。リック・ウェイクマン(Key)もバンドを脱退しソロとなる。

1969年、ピーター・ガブリエル(V)を中心に「創世記」でデビューしたジェネシスは、1970年にスティーブ・ハケット(G)、フィル・コリンズ(D)が加入し、3作目にあたる「怪奇骨董音楽箱」(1971年)で、プログレッシブロックバンドとしての地位を固めた。

ピーター・ガブリエル、スティーブ・ハケット脱退後は、リードボーカルとなったフィル・コリンズがAOR色を強め、1986年の「インヴィジブル・タッチ」は世界的な大ヒットとなった。

1976年、元キング・クリムゾンのジョン・ウェットン(V、B)と、元イエス~キング・クリムゾンのビル・ブルフォード(D)は、元イエスのリック・ウェイクマン(K)を誘ってキーボードトリオを結成しようとしたが契約上の問題で果たせなかった。そこでブルフォードが誘ったのが、1946年生まれで2017年に亡くなったアラン・ホールズワース(G)である。今頃、藤岡幹大と天国でセッションをしているかもしれない。

この三人を核として、即興演奏をコンセプトとしたU.K.が結成されるが、音楽性の違いからブルフォードとホールズワースは1年後に脱退し、フュージョンバンド、ブルフォードを結成する。

1980年、活動停止状態になっていたイエスのスティーブ・ハウ(G)が、ジョン・ウェットン(V、B、元キング・クリムゾン~U.K.)、カール・パーマー(D、元EL&P)とともに結成したのがエイジアで、デビュー作「詠時感〜時へのロマン」(1982年)は、全米8週連続1位、全世界で1500万枚を売り上げるヒットとなった。

このように1960年代後半に結成されたイギリスのプログレッシブロックバンドは、70年代~80年代に世界的な大ヒットを飛ばし、音楽的な影響力を現代にまで残している。

その中で、藤岡幹大がインタビューで語った「80年代のキング・クリムゾン」というのは、当然壮大なプログレ楽曲の「クリムゾン・キングの宮殿」ではなく、即興演奏にこだわったロバート・フリップや、U.K.のアラン・ホールズワースのプレイを指しているだろう。

1981年、キング・クリムゾンのギタリスト、ロバート・フリップは、かつてのメンバーでプログレバンド、イエスに移籍していたビル・ブルフォード(D)を迎え入れ、「ディシプリン」という名のプロジェクトを開始した。

ニューウェーブ(パンク)の影響を受けたプロジェクトとされ、古いファンからは「キング・クリムゾンがトーキング・ヘッズ化した」と批判されたが、今「ディシプリン」を聴くと、ボーカルレスで、変拍子とクリーントーンのギターが延々とフレーズを繰り返す前衛的な演奏で、間違いなくマスロックの元祖である。

つまり、プログレッシブ=前衛ロックといっても、ピンク・フロイドやイエス、エイジアはコンセプトにもとづいて緻密な構成を持つ楽曲を作っていくが、キング・クリムゾンは、ロバート・フリップがリーダーとなってからは、一定のコンセプトのもとに行う即興的な演奏から楽曲が作られるというバンド=演奏者の集まりだった。

ロバート・フリップ自身は超絶技巧の持ち主ではなかったから、「ディシプリン」は、ミニマルミュージックに収斂していった。

しかし、その変拍子やクリーントーンのフレーズを積みかさねていく手法は、アラン・ホールズワースという演奏者を得ると、ジャズ的なコードの多用や速弾き、タッピング、ハーモニクス奏法、アームをメロディの一部とする奏法によって、全体的な印象はロックっぽいフュージョンになる。

 それは、アメリカ西海岸のスタジオミュージシャン、ラリー・カールトンやリー・リトナーらによるジャズっぽいフュージョンとは一味も二味も違う。彼らが使うセミアコのギブソンES335にはアームが無いし、大音量でサステインを利かせた音でないと、タッピング奏法ができない。ロック系フュージョンのテクニックは多彩なのだ。

1984年に行われた日本公演「Tokyo Dream」のインタビューで、赤いシャーベルのストラトタイプにアーニーボールを張ったアラン・ホールズワースは、自分の音楽性を聞かれて「一言でいうのは難しい。ロックがルーツになってるけど、かなりジャズ的だからね。ただしトラディショナルなジャズとも違うものだから。ジャズの連中にいわせると少しロック的に過ぎると言われるし、ロックの連中にはジャズ的すぎるらしいんだ。その辺が演ってるぼくらにも頭の痛いところさ」と答えている。

続けてギタープレイの変遷について聞かれたホールズワースは、具体的なことを語らず「かなり変わったと思うよ。2年前の自分のプレイを聴くのがつらいくらいさ」とだけ答えた。

自分のプレイを理論的に解説し、教則本まで書いてしまう藤岡幹大と違って、アラン・ホールズワースは口下手な印象を受ける。おそらく、ロバート・フリップが切り拓いたプログレッシブロック=即興演奏という土壌に、ジャズのモード的なフレージングを持ち込んでやっているうちに、ロック的フュージョンが出来上がってきたのだ。

そして、アラン・ホールズワースが即興で使ったタッピング奏法をへヴィメタルに導入したのが、彼を「師匠」とあがめるエディ・ヴァン・ヘイレンだった。

(つづく)