校長の薫陶 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ

本日1月15日は、2016年、2nd アルバムのタイトルが「Metal Resistance」と発表された日DEATH。

 

先日、年末に放送された「ガキの使いやあらへんで 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時」(日テレ)で、エディ・マーフィーに扮した浜田雅功の黒塗りに対して、「黒人を笑いものにする人種差別だ」とする抗議が寄せられているというニュースがあった。

あれはふだんサディスティックな浜田雅功が扮するから面白いのであって、そもそも「笑ってはいけない」というシチュエーションの番組であり、笑った者はその場で尻バットのお仕置きを受けている。

日本のお笑いは、やはりまだまだ世界には理解されないのか。

2012年1月に、中京テレビがYouTubeにアップした「企画ばかり」という番組動画を、ぼくは最近になって発見した。

「アイドリング!!!」のMCだったバカリズム升野英知と、さくら学院「校長」倉本美津留がタッグを組んで考案した新しい知的ゲームをやり、その面白さを「世界に問う」という番組だった。

フォーマットとしては、バカリズムの他に、芸人、ミュージシャン、女性タレントなど数人が、「お題」に答える大喜利のようなものだが、「お題」の発想自体が「ずれ」ていて、シュールな解答を笑うというしくみになっている。

例えば、「境遇大喜利」では、解答者の母親や母校の名前、干支を正直に書くのだが、その親、その学校、その干支からこの人が!というギャップに笑ってしまうというもの。もちろん差別ではなく、考えもしなかったところに笑いがあるという発見を楽しむものだ。

企画のほとんどが日本語の微妙な語感のニュアンスを楽しむゲームなのに、それをYouTubeにアップして「世界」へ発信し、コメント欄に世界の視聴者からの感想を書かせ、各国の再生回数をチェックするという冗談だか本気だかわからない作りになっていた。

2012年といえば、さくら学院はSU-が生徒会長で、YUI、MOAが中1。

夏には倉本「校長」による「Wonderful Journey」の作詞のヒントのための特別授業が行われ、BABYMETALがサマソニ2012のSide Show Messeに出演、秋には神バンドが初登場してLegend ”I“が行われた年である。

アイドリング!!!には五期生が加入し、選抜メンバーがフランスのJapan Expoに出演した。

この番組で倉本美津留とバカリズムの接点が生まれ、その機縁からさくら学院の「アイドリング!!!」へのスタジオ出演(2013年)や、田口華の「留学」が実現したのかもしれない。

倉本美津留は大阪出身だが、ベタな大阪の笑いに飽き足らず、実験的な企画で、構成作家として頭角を現し、島田紳助や松本人志の番組ブレーンとなった。

「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジ)の構成台本を担い、「一人ごっつ」シリーズ(フジ)や、「ダウンタウンDX」(日テレ)では構成ともに、大仏、トスポ君など番組キャラクターの声を担当している。

「OMOJAN」(フジ)は、松本人志がMCを務める「IPPONグランプリ」(フジ、2009年~)の派生番組として、2012年4月~9月まで放送された。言葉の牌を組み合わせて面白い文を作るという「OMOJAN」のルールは、元々「松ごっつ」(フジ、1998年)で開発されたものであり、両番組の構成作家は倉本美津留である。だから、2012年度のさくら学院、つまりSU-、YUI、MOAが「OMOJAN」に出演して、松本人志やさまぁーずと共演したのだ。

「一人ごっつ」(フジ、1996年~1997年)での松本人志は、「ごっつええ感じ」での体を張った笑いや、シュールなコントから離れ、知的な「笑いの求道者」のような芸風を見せた。

日常生活の風景に「ずれ」を持ち込むことによって、可笑しさを見つけていくという切り口は倉本美津留の発想でもある。

「企画ばかり」(中京テレビ、2012年1月)では、その役割をバカリズムが果たしている。

もともと、「トツギーノ」のように、シュールな「ずれ」の発想による芸風を持っていたバカリズムは、水を得た魚のように活躍し、「IPPON!グランプリ」で何度も優勝した。

日本の笑いは、掛け言葉、地口、ダジャレ、滑稽な顔やしぐさに始まり、落とし話(落語、漫談)、ボケとツッコミ(漫才)、モノマネといったバリエーションを持っているが、、イギリスBBCの「空飛ぶモンティパイソン」(1969年~1974年)やアメリカNBC「サタデーナイトライブ」(1975年~)の影響を受けて、日本でも「シャボン玉ホリデー」「ゲバゲバ90分」「コント55号のなんでそうなるの」「8時だよ全員集合」など、構成作家によるコントを人気芸人や歌手が演じるテレビ番組が笑いの中心となった。

コント55号の萩本欽一は、「欽ちゃんのドンとやってみよう」(フジ、1975年~1980年)で、ラジオ番組のリスナー投稿のしくみをテレビに持ち込み、半素人の出演者をイジり、ツッコむことで笑いを取るスタイルを開発して一世を風靡した。

1980年代初頭、「花王名人劇場」や「THE MANZAI」により、漫才ブームが起こり、関西の漫才師たちが全国的な人気者になったが、それが下火になるとビートたけし、明石家さんまといった芸人がコントを演じる「オレたちひょうきん族」を皮切りに、「とんねるずのみなさんのおかげです」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」「ウリナリ!」「めちゃ²イケてるッ!」「ダウンタウンのごっつええ感じ」など、人気芸人数組をメイン出演者としてコントや体を張ったゲームをやる番組が笑いの中心になった。

今、日本のお笑いが関西中心になったのは、吉本興業が最も多くの芸人を抱えているという理由だけではないと思う。

かつて関東の笑いの中心だった落語は主に古典落語で、噺家は表現力、演技力を磨くのが修行だった。しかし、関西の漫才師は自らがネタを考えなければならない。面白いシチュエーションの漫才を考案し、アドリブ的な掛け合いで爆笑を取る芸人だけが生き残る。

松本人志は、「ごっつええ感じ」「ガキの使いやあらへんで」以降、多くの番組でダウンタウンの座付き作家ともいうべき高須光聖とともに、構成に名前がクレジットされている。

番組の企画や構成にもアイデアを出し、MCとして「回す」ことのできる技術を持つ芸人は、テレビ局にとって便利だった。だから80年代以降のテレビ番組に関西の漫才師が起用されるようになったのだ。もちろんこういう技術は、土地柄ではなく、漫才という芸からくるものだから、ビートたけしを筆頭に、最近では関東の漫才師やコント師も、番組MCを務めている。

松本人志―倉本美津留―バカリズムは、そこに、発想の転換による知的な遊びとしての笑いを持ち込んだ。「大喜利」(「笑点」)や「フリップ芸」(ケーシー高峰)は昔からあったが、笑いの原動力は、芸人の「フラ」(人格から醸し出されるおかしみ)と、掛け言葉やダジャレが中心だった。

「一人ごっつ」の「お笑い全国共通一次試験」や「IPPONグランプリ」での、写真にセリフをつけてみるといった笑いや、バカリズムの「都道府県の持ち方」といったネタは、日常生活に意外性や「ずれ」の視点を持ち込んで笑いにする、いわば「考えオチ」であり、ダジャレや体技によるベタな笑いの真逆である。

2012年5月、倉本「校長」は、「Wonderful Journey」の作詞に当たって、「世界の授業」でしきりに世界に出ていくことを強調していた。

「ド・キ・ド・キ☆モーニング」のMVがYouTubeにアップされたのは同年11月で、欧米できゃりーぱみゅぱみゅに続く「Kawaii メタル」として話題になった。

こうしてみてくると、ブロードバンドとスマホが普及した2012年、倉本美津留は、そのインフラを使って、自分が開発した日本の最新の笑いを、世界に発信していくことを本気で考えていたらしいことがわかる。

「企画ばかり」は「お試し」だったこともあり、4回の放送で終わってしまった。アップ当初は、日本の視聴者を中心に数千回の視聴件数、外国からのアクセスは一ケタだったが、現在、「企画(1)テンポよく間違えよう」は99万5000回、その他も数十万回の視聴件数に達している。インターネット動画は時空を超えるので、これからどうなるかはわからない。2012年の倉本「校長」の薫陶に応えて、BABYMETALは見事に世界進出を果たした。

ウガンダを紹介したSU-、ペルーを紹介したYUI、コスタリカを紹介したMOAの三人は、今や世界的なアーティストとなった。

だからいつか本当に、日本のお笑いが国際化する日が来るかもしれない。