昭和歌謡曲(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

♰YOU ARE THE ONE. WE NEVER FORGET MIKIO FUJIOKA

 

★今日のベビメタ

本日1月13日は、2013年、FM-NACK5「Idol Showcase i-ban」に出演した日DEATH。

 

今の10代の若者、ベビメタ流にいえば金キツネ世代が、昭和の歌謡曲を好きになるという現象は、テレビやラジオから一方的に流れてくる曲だけでなく、ネット動画で過去のアーティストや楽曲を並列的・選択的に見ることができる環境によって生じているのだと思う。

そこは時間の流れが止まったアーカイブであり、「過去」と「現在」が混在している。

動画や写真になる以前の情報は文字でしか追えないが、少なくとも明治期以降の日本や外国の写真、太平洋戦争や終戦直後の記録動画を簡単に見ることができる。

1960年代~70年代のGSや歌謡曲も見られる。

かつて、こういう画像や動画は、専門的な書籍や高価なビデオ全集の中にしかなく、それを視聴/検証できる人は、研究者やジャーナリスト、あるいはサブカルチャーオタクなど、少数でしかなかった。彼らは写真や動画を選び、キャプションやナレーションという一定の「意味」を付与して、読者に紹介した。

重い話で言えば、通州事件で中国国民党軍が日本人居留民に対して行った残虐な情景写真を、日本軍が中国人市民に対して行った南京大虐殺の証拠写真として紹介するといったことも行えた。

軽い話で言えば、歌謡曲は売れてナンボだから、流行歌手は一時持て囃されてもいつか飽きられて、もう古い、ダサいと言われ、それに代わる新人が台頭して「世代交代」すると、いつのまにかテレビや雑誌から消えてしまう。

「百聞は一見に如かず」ということわざがあるように、画像や動画は、文章とは比べ物にならないほど強い影響力を持つから、キャプションやナレーション付きで紹介された画像や動画は、紹介者の意図通りに読者や視聴者に伝わった。逆にテレビや雑誌から消えたアーティストは「存在しないもの」になってしまう。

しかし、ネット上にアーカイブされ、自由に見られる画像や動画は、それを評する人の主観を差し挟まずに、事実として視聴者に提示され、それをどう解釈するかは視聴者に委ねられる。

これによって、従来、情報を独占してきた紹介者の「解釈」や「意味」が、もしかしたら間違っているのではないか、偏向した見方なのではないかと疑い、検証できるようになった。

大正から昭和初期にかけての日本の写真を集めた動画を見ると、当時も、今と同じように街並みが清潔に整えられ、活気に満ちた商業活動や祭礼があり、銀座を闊歩するモダンガールがいて、ジャズに興じるダンスホールがあり、そこで生きる人々が屈託なく笑い、泣き、暮らしていたのだということがわかる。明治憲法下では、民衆が軍部の強権に圧迫されていたのだとか、まったく自由がなかったという戦後的解釈は、本当に正しいのか。

1960年代~1970年代の歌謡曲は、本当に古臭くてダサいのか。

かつてはぼくら世代の脳内記憶の中にしかなかった山口百恵や中森明菜の映像も、それより少し前の渚ゆう子「京都の恋」withベンチャーズ、「天使の誘惑」や、中村晃子「虹色の湖」withザ・ジャガーズなんていう、オタクにとっては「お宝」だった映像も、今や簡単に見ることができる。それを見れば、当時の歌謡曲が、色んな才能を結集して作られていたのだということがわかる。

確かに現代の楽曲は、コンピュータ上の打ち込みによって作られ、より洗練されたスムースなコード進行やメロディラインで、カッコよく作られている。

だが、大人数の「アイドル」より、少なくとも歌唱力では当時の流行歌手の方が上手いし、メロディラインや伴奏楽器のユニークさという点でも面白い。ギターは基本的に歪まず、真空管アンプの音だが、いきなりファズがかかったりするし、木琴、ビブラフォン、大正琴、ハープなんかも入る。決して古くない。打ち込み音源に慣れた耳にはむしろ新鮮に聴こえる。

こういう風に見ていくと、インターネットの発達は、国境を越えて、同じ映像を世界中で共有できるというだけでなく、時間の壁をも超えて、過去を検証し、新たな価値を発見するという意味でも、「大革命」なのだということがわかる。

今、金キツネ世代が昭和の歌謡曲を発見し、惹かれるのは、ある種の必然なのだ。

そしてBABYMETAL。

歌謡曲は、自作自演ではなく、作曲家と編曲者とスタジオミュージシャンの分業制によって作られ、フロントマンとして歌手がいるという構造になっている。

BABYMETALも同じ構造である。

メタルなのにバンドではない。アイドル標準の振り付けダンスをする。だからアイドルなのかと言えば、そうでもない。

現代のアイドル曲は、作曲者がアレンジも含めて打ち込みで完成した楽曲を持ってこさせて、その中からプロデューサーが選び、収録までの細かい修正は現場にお任せという作り方である。

だが、KOBAMETALは、アイデアを出して曲が上がってきたあとも、教頭、ゆよゆっぺ、tatsuo、RYU-METALらの編曲者やミュージシャンとスタジオに入ってアレンジを練り、時間をかけて楽曲を作っていく。

つまり、かつて歌謡曲で行われていた編曲者を中心とした分業制の手法で、しかも当時よりはるかに時間をかけて丁寧に作られているのがBABYMETALの楽曲なのである。

にもかかわらず、シングルカットに力を入れないのが歌謡曲との違いである。

もうひとつ、歌謡曲と違う点がある。

それは、スタジオミュージシャンを表舞台に引き出したということである。

沢田研二と井上堯之バンド、西城秀樹と芳野藤丸のバンドというふうに、ロックっぽい歌謡曲ではバックバンドをフィーチャーしたケースはある。

しかしたいていはレコーディングに参加したミュージシャンが日の当たる場所に出ることはなかった。

だが、BABYMETALは、LEDA、青山秀樹、BOH、藤岡幹大、大村佳孝といった腕利きのミュージシャンを神バンドとして、世界ツアーに引っ張りまわした。

Sonisphere、Reading & Leeds、Download、Rock in Wienna、Rock on the Range、Carolina Rebellion、Northern Invasionなどの海外の野外ロックフェス。

サマソニ、フジロック、RIJ、RSR、メトロック、イナズマなどの国内フェス。

日本武道館、横浜アリーナ、SSA、東京ドーム、ウェンブリー・アリーナ、海外大物バンドとのスタジアム&アンフィシアターツアー。

ここまで継続的に、国内外の大会場でライブ活動を続けられた日本のバンドはなかった。

かつて歌謡曲のスタジオミュージシャンたちは、作品にクレジットさえ載らなかった。

だが神バンドのミュージシャンたちは、プロデューサーとメンバーの期待と男気に応え、BABYMETALは、世界一のBest Live Bandとなった。

藤岡幹大は、36歳の短い人生だったが、歴代日本のギタリストの中で、最も幸運な生涯を全うしたのだとぼくは思う。

アイドルのいいところ、昭和歌謡曲のいいところ、バンドのいいところ。

楽曲だけでなく、プロジェクトの方法論そのものもミクスチャーして、現代の欧米音楽市場で勝負している―。それがBABYMETALなのである。

(この項終わり)