BABYMETALは電気キツネの夢を見るか(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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★今日のベビメタ

本日11月6日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

てなわけで「ブレードランナー2049」観てきました。

前回、この世界が高度な文明の持ち主がやっているコンピュータ内のシミュレーションかもしれないという話を書いたが、今回は、「自分もレプリカントかもしれない」または「自分だけはレプリカントじゃないかもしれない」という話である。

すでに観たという人は少ないと思うので、ネタバレに留意しつつ書く。

1982年公開の第1作のあらすじは、こんな感じ。

2019年、人間そっくりだが感情を持たず、超人的な膂力を持つ汎用労働アンドロイド=レプリカントが、タイレル博士率いるタイレル社によって開発されていた。

折しも、小惑星帯の資源を採掘していたネクサス6型のレプリカント8人が反乱を起こし、地球に潜入してくる。

ロサンゼルス市警に所属するが、正規の公務員ではなく、しがない捜査請負人のデッカードは、賞金稼ぎのために彼らを追跡し、狩っていく。だが、彼が最後に対決するレプリカントのリーダー、ロイ・バッティの目的は「創造主=父」であるタイレル博士に会って、4年しかない寿命を延ばしてもらうこと、ただそれだけだった。タイレルはロイを「息子よ」と呼びながらも、それを拒絶したため悲劇が起こる。

これは「ピノキオ」のテーマだ。

ロボット~アンドロイド~A.I.と呼び名は変わったが、人工的に創られた生命体が、「いい子にしていれば人間になれる」と言われて努力するというテーマは、日本でも、「鉄腕アトム」、「妖怪人間ベム」などのアニメで追求されてきた。近年では、これもぼくの好きな「エルフェンリート」がそうだ。

これらの物語の主人公は超人的に強いだけでなく、純粋で、ひたむきで、「人間以上に人間らしい」。

しかし人間たちは、彼らを拒絶し、虐げ、差別する。そこで主人公に感情移入した観客は「人間とは何か」「人間らしさとは何か」について考えざるを得なくなる。

「ブレードランナー」も、映像の素晴らしさとともに、「ピノキオ」類型のひとつとして受け取られてきた。ロイが死ぬ前に人間であるデッカードを助けたのは、レプリカントに「人間らしい」感情が生まれたからだとされた。デッカードは、ロイとの戦いの後、タイレル社の最新レプリカントである美しいレイチェルを連れて逃亡するところで終わる。

ところが、第1作には、2つの謎もしくは命題があった。

ひとつは、レプリカントたちを追い詰めるデッカードは、本当に人間なのか?という謎。

原作では、デッカードはしがない下級公務員、紛うかたなき人間である。だが、オタクたちが「ブレードランナー」を映像解析したところ、デッカードの瞳をある角度から見ると赤く光っていることがわかった。これは、他の人間には見られず、レプリカントやタイレル社にいる人工梟と同じだ。

また、ネクサス6型の特徴は、思考することなく反射的に動作してしまうところで、これによってロイは最終局面でビルから落ちるデッカードを助けてしまうのだが、実はデッカードも同じ反射速度を持っている。

「ブレードランナー」は「人間に忠実なレプリカント」と「自立しようとするレプリカント」の戦いではなかったか。だから、デッカードはご褒美としてレイチェルを与えられたのだ…。

もうひとつの命題は、もっと深い。

デッカードと戦っていたロイ・バッティは、寿命が尽きて死ぬとき、「俺はお前たち人間には信じられない光景を見てきた。オリオン座の近くで炎を上げる戦闘艦。暗黒に沈むタンホイザー・ゲートのそばで瞬くCビーム。そういった記憶も時と共に消えるのだ。雨の中の涙のようにな。俺も死ぬ時が来た。」と言う。このセリフは台本にないアドリブだったという。雨の屋上で座り込み、ふっと笑いながら機能を停止していくロイ。“魂”の象徴である白い鳩が飛び立っていく。ぼくはこれを観たとき、「人間と同じだな」と感じた。

ネクサス6型の寿命は4年。とても短い。だが、人間にも寿命がある。現在の平均寿命は日本人男性なら80歳、女性なら87歳。「神」から見れば、一瞬のように短く思えるはずだ。

限られた寿命を精いっぱい生きて、いつか死んでゆく。それが生き物の宿命である。寿命の長短は関係ない。

ロイは死にかかったとき、自分の手にクギを刺して、その痛みで覚醒し戦いを続ける。これはクリスチャンにとって、イエス・キリストの磔を思わせる。彼が死ぬときに飛び立つ白い鳩は、イエスの洗礼。雨はヨルダン川の水だ。

「友のために死ぬこと。これ以上貴い生き方はない」イエスは、十字架にかけられる前夜、弟子たちにこう言い残し、人類すべての罪を贖い、死んだ。

ロイは、仲間のレプリカントのために戦い、死んだ。それは「人間以上に人間らしく」というタイレル社のモットーそのものであった。彼は「善く生きた」のである。

つまり、「ブレードランナー」第1作には、「ピノキオテーマ」だけでなく、「限りある人生をどう生きるか」という宗教的テーマが潜んでいたのだ。

今般公開された第2作「ブレードランナー2046」で、これらの謎もしくは命題は解決されたのか。

 

舞台は、第1作の30年後、2049年のロサンゼルス。

現実世界では、第1作が公開された1982年から本作の2017年までに35年が経過した。

「BABYMETALを準備したもの」で書いたように、世界と日本は、ソ連の崩壊、インターネットの登場によって大きく変化したが、「ブレードランナー」の世界では、新たなテクノロジーが生まれたわけではないようだ。

市街地はビルが増殖して、より人口密度が高くなっているし、ロサンゼルス郊外は管理された人工農地と、より荒廃した地域に分かれたようだが、相変わらず空は厚い雲に覆われ、常に雨が降っている。

第1作同様、見上げるビルには巨大な3D広告、薄暗い路地には日本語の看板があふれ、ロス市警の情報機器のモニターにはSONYのロゴが入り、日本語でしゃべる。

現実世界では、バブル期にソニーがコロンビアを買収したため、本作も版元はコロンビア・ソニー・ピクチャーズである。1982年の近未来は現実になったのだ。

第1作では人間以外の生物は絶滅したという設定だが、本作では昆虫が復活しつつあるようだ。

本編の「前日譚」として、渡辺信一郎監督によるアニメ「ブレードランナー 2022 Black Out」、ルーク・スコット監督による「ブレードランナー2036 Nexus Dawn」「ブレードランナー2048 Nowhere to Run」という3本の短編がYouTubeで無料公開されている。

2022年、ネクサス6型の後継機種、長寿命の戦闘用ネクサス8型のレプリカントがまたも反乱を起こし、EMP攻撃によって「大停電(Black Out)」を引き起こした。レプリカントの製造は禁止され、タイレル社は倒産した。その後、「大飢饉」と呼ばれる時代があり、富裕層は地球外(アウトワールド)に移住し、地球は人工農法を開発して大飢饉を救った盲目の科学者ウォレスが絶大な権限を握っている。2036年頃、ウォレスはタイレルの資産を買収し、新たなレプリカント、ネクサス9型を開発した…。

さて、本編だが、こういう「歴史」はストーリーのバックグラウンドに過ぎない。

ドニ・ヴィルヌーヴは、「メッセージ」(2016年)で知られるカナダ人の監督だが、リドリー・スコットほど「雨が降り続く、人種が密集した近未来都市の暗い路地裏」の映像にこだわってはいないようで、打ち捨てられた溶鉱炉や廃墟となったラスベガスのカジノ、クリーンな研究所などを舞台に、緻密なストーリーテリングと戦闘アクションで物語を紡いでいく。そして第1作から引き継がれたテーマが分かりやすい形で示される。

まず「人間に忠実なレプリカント」対「自立するレプリカント」。

第2作では最初からこの構図になっている。

主人公のKは名前がなく、型番の最初の文字で呼ばれている。

Kは強い。Kもまた新型レプリカント、ネクサス9であるらしい。ネクサス9は、「ブレードランナー2036ネクサスドーン」で示されたように、雇われた人間の命令によっていつでも死ぬようにプログラムされている。Kは署内で「スキンジョブ(人間モドキ)」と貶されながら、上司のマダム・ジョシ(日本語の上司あるいは女史か)に忠実で、有能なレプリカントなのである。

Kには「恋人」がいる。ウォレス社が開発した3D投影A.I.のジョイである。このジョイを演じたキューバ人女優、アナ・デ・アルマスが目茶目茶カワイイ。

反乱を起こした旧型ネクサス8の生き残りの一人、サッパーを狩ったKは、現場で、かつてサッパ―の仲間の女のレプリカントが妊娠し、子どもを産んだという証拠をつかむ。そして、現場に刻まれた日付によって、その子どもは自分ではないかという疑いを抱いてしまう。

彼には幼い頃、悪ガキに追われて玩具を隠した記憶があった。その玩具に、その日付が書いてあったのだ。

その記憶は本物か。インプラントされた別人の記憶か?

Kはレプリカントから生まれたレプリカント、奇跡の子なのか?

それはすべてのレプリカントの憧れ。創られたものではなく、生まれたもの、望まれ、愛されたものなのか。

その母親は誰か。父親は?

この謎解きをエンジンとして物語は進む。デッカードとレイチェルが逃亡した第1作のラストシーンを知っていれば、ワクワクしてくる。

予告編でわかるように、後半、デッカード本人、つまり年老いたハリソン・フォードが登場する。レイチェルのクローンも登場するが、それは本人ではなく、ローレン・ペタという若いそっくりさんに、現在56歳のショーン・ヤングが演技指導したのだという。

Kと戦うデッカードは、壁をぶち壊すなど、レプリカント並みに強いが、年老いている。

だが、これはデッカードが人間である証拠とは言えない。赤ん坊を抱いたレイチェルの写真は、相応にふっくらしているし、Kが狩ったレプリカントのサッパーは、2022年当時はアニメだが若かったように見える。つまり、長寿命型のレプリカントは年を取るのだ。だが、それとは別の理由で、デッカードは人間である。

第2作は、「ピノキオテーマ」を離れ、ズバリ「イエス・キリスト」テーマである。

カトリックでもプロテスタントでも、クリスチャンは、2000年前に、ユダヤのナザレで生まれたイエスを、神であると信じている。神が、人間の女である処女マリアの胎に宿り、人間の肉体をもって降臨されたのだと考えているのである。

そんなことは常識ではありえない。というか、旧約聖書に記されたヤハウェ=唯一神が実在することすら一般の日本人には信じられないだろう。まして、全宇宙を創った神­=父と、2000年前に人間界に降りたイエス=子と、イエスの死後、目に見えないが人類を導いている聖霊という三者が、いわば分身のように三位一体であるというキリスト教の教義は、あまりにも奇怪で、とても信じ難い。

だが、キリスト教とは、それを信じることなのだ。

キツネ様が入る余地はどこにもない。

労働力として人工的に創られたレプリカントが生殖するということは、ありえない奇跡である。

だが、神は万能だから、人間の目にはどんなに理不尽でも、奇跡を起こすことができる。もしそれが本当なら、レプリカントにとっての福音である。

Kは、自分がレプリカントの母親から生まれた奇跡の子だと思い込む。その当否は書かないが、勝手に行動したため停職処分となり、エミッターのメモリーに隠した「恋人」のジョイも破壊されて失う孤独の中で、Kはデッカードを守り、ウォレスの秘書兼ボディガードである「最高の天使」ラヴと戦って、右脇腹に致命傷を負う。これも磔にされたイエスを突き刺したローマ兵の槍を思わせる。

ウォレスは2036年に、新型のネクサス9を「私の天使」だと紹介し、レプリカント禁止法廃止の提案をする際、議会のお歴々に「大義のために死ぬ。それが人間の生きる道ではないか」と言った。

Kはまさにそのとおりに、雪の中で死んでいくのだ。

第2作は、明らかに宗教的テーマ、「限られた生命をどう生きるか」を問うているように思う。そして、2作とも、人間が人間を狩るという非人間的な事態を描きながら、創造主と被造物というキリスト教のモチーフがところどころ顔を出す。

そして最後に、問いは「人間とは何か」というところに戻ってくる。

人間の胤がレプリカントに入り、生命が生まれるなら、もはやそれは人間が創ったものといえない。

もし、それが本当に起こるなら、それは奇跡であり、奇跡は神にしか起こせない。

そしてもし、神が実在するなら、ぼくら人間は神に創られた被造物だということになる。

レプリカントも人間も同じ、神の被造物である。

だがこれは映画だ。

現実世界で、神が実在するかどうか、ぼくらには知るすべがない。

旧約聖書は言う。「神はご自分の姿に似せて人を創られた」と。

人間はレプリカントではないのか。

ぼくらはみなピノキオではないのか?

あるいは、この世界は神の創ったシミュレーションではないのか?

 

Kが訪ねたラスベガスのデッカードの隠れ家は、カジノがあり、ステージで実物大の3D映像のエルビス・プレスリーが歌い踊るショークラブだった。

今から30年後、BABYMETALはあのような3D映像として、いつでも再生できるようになるだろう。そのとき、電気仕掛けのキツネ様は降臨するだろうか。