BABYMETALを準備したもの(7) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日10月29日は、2013年、DVD「Live Legend 1999 & 1997 APOCALYPSE」が発売された日DEATH。

 

中元すず香、水野由結、菊地最愛が入ったさくら学院は、学校をテーマとして義務教育の終了とともに「卒業」することを前提とした「成長期限定ユニット」だった。握手会や水着グラビアはもちろん、楽曲で恋愛をテーマにすることすらない。

バトン部、テニス部、クッキング部、新聞部などの「部活」=派生ユニットのひとつとして2010年11月に結成されたのが重音部、のちのBABYMETALだった。

重音部のアイデアは、「先生方」のひとり、25年間のルサンチマンを抱え、中元すず香の歌声に「メタル少年少女歌劇団」を夢みたサラリーマンプロデューサー、KOBAMETALによるものだった。

KOBAMETALは、BABYMETALの楽曲と演出に、「キツネ様」をコアとした聖飢魔Ⅱ的な疑似宗教、X-Japanのモチーフ、さらに欧米のメタル市場の状況を反映したニューメタル的アプローチなど、細部にこだわり、25年間温め続けたメタルへの愛を注ぎ込んだ。

さらに「五感に響く作品づくり」をモットーとするMIKIKO師によって、「メタル表現」となる振付けと、アーティストとしてのメンタリティ教育が施された。

「親しみやすさ」を売るAKB48型の「アイドル」と比べて、さくら学院を“アミューズクオリティ”と評することがあるが、なかんづく、「アイドルとメタルの融合」であるBABYMETALには、プロフェッショナルなエンターテイナーとしての実力が求められた。そして三人は過酷な練習とライブ経験によって、その才能を開花させていった。

中元すず香がさくら学院生徒会長になり、BABYMETALが単独インディーズデビュー曲「ヘドバンギャー!!!」をリリースしたのが2012年7月4日。メジャーデビューに向けたLegend“I、D、Z”がスタートしたのが2012年10月6日。ここで初めてBABYMETALに高い演奏力を持つ生バンド=神バンドがついた。

そしてLegend“D”の4日前、2012年12月16日の第46回総選挙において、自民党は政権を奪還し、第二次安倍政権が始まった。

第二次安倍政権は、野党時代に磨き上げたアベノミクスと呼ばれる経済・財政政策を実行した。民主党時代には不況でありながら円高基調が続き、輸出業を中心に経済が停滞し、対外通貨価値が高いために、国内の物価が安いというデフレ・スパイラルに陥っていた。

だから、2%のインフレターゲットを設定し、日銀法を改正して、無制限の量的緩和、つまり市場に出回る円を増やすことによって円安にして輸出を増やし、国土強靭化を柱とした公共投資や、岩盤規制改革による民間成長戦略を行って、景気をよくしようということである。景気が良くなれば税収も上がり、物価が高くなれば、国の借金の価値も下がる。デフォルトとは対外的な借金が返せなくなることだが、日本の負債はほとんどすべて円建てだから、デフォルトは起こらない…ぼくの理解ではこういうことだ。そして、それは功を奏した。

2017年10月22日に行われた第48回衆議院議員選挙の公約において、安倍自民党は、過去5年間で、GDPが50兆円増加し過去最高、就業者数185万人増加、正規社員の有効求人倍率が2012年の0.5倍から1.01倍になり、大学生の就職内定率は97.6%に達したと誇った。確かに数字で見る限りこれは事実なのだ。

忘れてならないのが、今回「国難突破解散」を掲げた安倍晋三首相は、北朝鮮による拉致問題と向き合い、憲法改正や安全保障政策に積極的な政治家、古い言い方をすれば“タカ派”と見られてきた政治家なのに、今回で国政5連勝になったということだ。

「BABYMTALを準備したもの(3)」で述べた1980年代と現在の社会状況の違いに、ひとつつけ加えるとすれば、冷戦下では、ソ連、中国、北朝鮮に共感する政治勢力が堂々と表舞台で活動していたのに対し、今や日本国民の多くが、拡大する中国の脅威や北朝鮮の危険さを肌身に感じて、中韓の「反日教育」や、社共の「自虐史観」、さらにはGHQの「War Guilt Information Program」にも疑問を抱くようになった点があげられる。

今回の総選挙で、希望の党、立憲民主党、無所属の会(意味不明www)に三分裂した民進党の政治家たちの源流をさかのぼってみよう。

民進党は、2016年、民主党が維新の党などと合併して改名したものだった。

その2009年に政権を担った民主党は、1996年に自民党~新党さきがけの鳩山由紀夫が、社会民主連合~新党さきがけの菅直人とともに旗揚げした旧民主党に、2003年、小沢一郎が作った自由党が合併して結党された。

憲法改正や安全保障観というより、小沢一郎をめぐって対立する民主党の党内力学は、その15年前の1994年、自社さ連立政権の際にすでに露呈していた。これは、その前の1993年の細川連立政権が、自民党を離党した小沢一郎・羽田孜の新生党、同じく細川護熙の日本新党(小池百合子・野田佳彦・前原誠司が1992年に、枝野幸男が1993年に入党)、同じく武村正義の新党さきがけ、日本社会党、公明党、民社党、社会民主連合など、自民党主流派と日本共産党を除く8政党の合議でまとまったのに、1年足らずで、小沢一郎と対立した社会党と新党さきがけが離脱して連立政権が崩壊したためである。

その後の小沢一郎は公明党の一部、日本新党と合併して新進党を作るが、それも公明党、細川護熙・羽田孜の離脱を受けて、自由党以下6党に分裂した。もうめちゃくちゃである。

だが、1993年の段階でこれらの幅広いグループが共闘できたのは小沢一郎の“剛腕”によるものである。これを政界再編の「表」の動きとすると、「裏」は、さらにさかのぼる1990年、小沢の後ろ盾で、長らく自民党の国会対策委員長だった金丸信と、日本社会党委員長の田辺誠が協力し、のちに新党さきがけを作る武村正義が事務局長を務めた金丸訪朝団にゆきつく。

1970年代、北朝鮮の工作員が日本海側や九州の海辺に侵入し、日本人の青少年を誘拐・拉致していた。13歳の横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月15日だった。

1980年、産経新聞が「謎の蒸発事件、外国工作員の犯行か?」と報道したが、深く追及されることはなかった。

1987年、金賢姫らによる大韓航空機爆破事件から日本人拉致の実態が明るみに出て、翌1988年1月、梶山清六国家公安委員長は、国会で初めて1970年代~80年代の拉致事件が、北朝鮮による犯行だと認めた。

同年8月、北朝鮮にいる有本恵子さんら拉致被害者三人の手紙が、奇跡的に日本の家族の元に届いた。

冷戦下、野党第1党は日本社会党で、「北朝鮮労働党の唯一の友党」と公に誇っていた。そのため家族は日本社会党の北海道連合に相談したが、受け付けられなかった。困惑した家族の訴えを聞いたのが、当時自民党幹事長の安倍晋太郎であり、父の秘書だった安倍晋三だった。

1990年、自民党竹下派で小沢一郎の後ろ盾になっていた金丸信と日本社会党の田辺誠委員長、後に新党さきがけの党首となる武村正義を事務局長とする訪朝団が、北朝鮮を初めて訪問する。

金丸信は金日成主席と二人だけで日本語で会談したという。しかし、会談後発表された、国交正常化に向けた自民党、日本社会党、朝鮮労働党の3党共同宣言には、拉致事件の“ら”の字もなく、「戦後45年間の謝罪、十分な償い」との文言が盛り込まれた。その見返りとして日本が北朝鮮に数十億ドルの経済援助をするという条件だった。会談の記録は残っておらず、帰国後、金丸は「償い」の約束を否定したが、側近には「国交正常化の調印式を富士山のふもとで行う。金日成に山梨県まで来てもらうんだ」と言っていたという。

「償い」の約束を巡って政府自民党内や国民の批判を浴び、国交正常化は立ち消えになったが、カーター米元大統領訪朝後の米朝枠組み合意(1994年)で、自社さ連立政権は、400億円に上る経済援助を実行した。

この頃には拉致問題は広く知られるようになっていたが、日本社会党-社民党は一貫して北朝鮮の犯行を否認していた。1997年、機関紙『月刊社会民主』に「北朝鮮による拉致は事実無根、デマだ」とする論文を掲載し、それは2002年に小泉純一郎首相が安倍晋三内閣官房副長官とともに訪朝し、金正日委員長が拉致を認めて謝罪するまで、同党のホームページに掲載されていた。

冷戦下の自由主義と社会主義の対立を克服して手を握り、「二大保守政党」を目指すと言えば聞こえはいいが、その源流は、金日成に騙され、拉致問題をなかったことにして、北朝鮮の体制維持と核開発を支援してしまった脇の甘い人たちの「野合」なのだ。

だから、旧社会党、社民連、日本新党、新生党、新党さきがけ、新進党、民主党、自由党、名前も覚えていない新党を渡り歩いてきた自称“リベラル”の政治家たちと、自民党本流に腰を据え、拉致問題の解決を生涯の課題とする安倍政権とは本質的に相いれない。

国民はこういう歴史や政治家たちの印象を、細部までは忘れたにしろ、なんとなく覚えている。重要なことは、新聞やテレビが忘れたふりをしていても、今やインターネットでちょっと調べればそういう素性が割れてしまうということだ。

産経ニュース「日朝関係(1)金丸訪朝団 正常化目前「償い」で禍根」

http://www.sankei.com/politics/news/140802/plt1408020026-n1.html

だから、北朝鮮が核実験とミサイルを発射し続ける限り、こういう“リベラル”な政治家たちを信用するわけにはいかない。まして政権与党時代に合理的な経済政策を提案、実行する力のなかったグループに「希望」なんか持てない。

なぜ、彼らは北朝鮮や中国の脅威を前に、小異を捨てて大同につくことができないのか。なぜ、マスコミはフェイクニュースをでっちあげてまでも安倍政権を打倒しなければならないのか。ぼくにはその方がよほど不可思議だ。

ようするに、先の総選挙の結果は国民の総意だし、マスコミがどんなに偏向報道をし、安倍打倒を掲げる政党や政治家を持ち上げても、安倍政権の経済政策、外交、安全保障政策に対する国民の信頼感が揺るがないことを示している。安倍晋三は岸信介の孫だし、「なんとなくキケン」と考える高齢者を中心とする批判票が、今回はノスタルジックな社民っぽさを残す立憲民主党に集まったということであり、それはそれで、日本人のバランス感覚だと思う。

マスメディアが、自民党の大勝を「民意を反映していない」と断じるのは論外だが、「“排除”の言葉で逆風が吹いた」とか「判官びいき」だとかいって、国民があたかも気分や感情だけで投票しているかのように分析するのに、ぼくは非常に違和感を覚える。嵐の中、投票所に行くほどの国民は、ちゃんと政策と政見で党や候補者を選ぶのだ。

AKB48も、そろそろその化けの皮がはがれてきた。

つい先ごろ、ファンがAKBのCDを大量に山に投棄していたという事件が発覚した。

面白がったテレビのインタビューに答えるという形で、CDを1000枚、1万枚と購入していたファンがワイドショーの画面に登場し、握手券を抜き取ったAKBのCDは買取りショップでは値がつかず、古着屋などの店前で無料配布されているといった実態が公になった。

AKBグループの圧力にはめっぽう弱いテレビ局が、これ以上AKB商法を社会問題だと断ずることはないだろうが、前から書いている通り、こんなのは音楽業界としてマトモな商売でないことは明らかだ。

ヒットチャートというのは、その曲やアーティストが、その時代の大衆の共感を呼んでいるかどうかを示すものだと思う。確かに民主党政権時代、AKB48は時代の空気を表現していたと思う。だが、この商法を考えた秋元康もすごいが、実態をわかっていながら、「CDという商品の売り上げ数」に基づくチャートを維持し続けてきたチャート会社にも責任がある。70年代に、レコード業界のお手盛りではなく、信頼に足る独自の集計によるヒットチャートを作ろうと燃えていたOriginal Confidence、初代小池社長の顔が浮かぶ。当時、テレビにバンバン出ていたのだ。

 

さくら学院時代のYUI、MOAが安倍首相と「桜を見る会」で並んで記念撮影をしたり、稲田朋美クールジャパン大臣とBABYMETALが対談したりしたこともあるけど、安倍政権とBABYMETALに直接の関係はない。もちろん民主党とAKB48もそうだ。

だが、あえて言うならAKB48が大人気となった時代と、2017年現在の社会状況、経済状況は明らかに違う。

2014年、高校2年生と中学校3年生からなるBABYMETALが、メタルの本場Sonisphereで、6万人の白人観客をノックアウトしたという事実は、人口減、長期不況、就職難に大震災という悲惨な民主党時代を脱し、その気になって頑張れば、こんな小さな女の子たちでも、日本人は海外で大活躍できるんだという希望と勇気を与えた。BABYMETALに中高年が惹かれたのは、そういう時代背景と無縁ではないとぼくは見ているのだ。

だからといって、ぼくはAKB48や民主党政権時代を否定したいのではない。

そうした苦い経験、暗い過去をも踏まえて、歴史は進んでいくのだ。

モー娘。やAKB48のような「親目線で成長を応援する」アイドル文化がなければ、さくら学院もBABYMETALもなかった。それが歴史的弁証法=テーゼ→ジンテーゼ→アウフヘーベンの真の意味だ。

BABYMETALもやがて歴史の一コマになる。そのとき、「飢餓戦略」とか割高なチケットやグッズの「プレミア戦略」がコテンパンに批判されるかもしれない。調子に乗って書いているぼくが自己批判しなければならない時が来るかもしれない。

だが、BABYMETALは突然変異のように「降臨」したのではなく、日本の芸能史や社会情勢、歴史とつながっていること、「大きな流れ」の中にあるのだということを、「洗礼の儀」を前に、しっかりとおさえておきたいと思うのである。

(この項終わり)