BABYMETALを準備したもの(6) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日10月28日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

KOBAMETALがテレビで聖飢魔Ⅱを初めて見てから、BABYMETALが日本で、世界で受け入れられるようになるまでには、政治状況や社会構造の変化、音楽シーンとバンド/アーティストの先行事例と影響、世代とオーディエンスの変化、インターネットの普及など、さまざまな先人の営みがあった。その土壌の上にBABYMETALは花開いたのである。

中元すず香、水野由結、菊地最愛という三人のアーティストの才能と努力を否定するものではないが、ここまでの歴史がなければ、BABYMETALが現在のような世界的人気を勝ち取ることはできなかったと思う。

例えば、もしBABYMETALが1990年にデビューしていたら。

この時点ではX-Japanの快進撃はまだ始まっておらず、その“オマージュ”たる「紅月-アカツキ-」は生まれなかっただろうし、「We are?」「BABYMETAL!」というC&Rも、「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のXジャンプもなかっただろう。

もし、デビューが2000年だったら。

ビジュアル系か聖飢魔Ⅱの女性版後継者という扱いで、国内でマニアックな人気を得たかもしれないが、そのあとにくるモー娘。AKB48という「アイドル」の波に飲み込まれてしまっただろう。まして、その活躍が動画配信サービスに乗って海外に広がることはなかった。

何よりも、「成長を親目線で応援するメタルアーティスト」、「アイドルとメタルの融合」という発想そのものが存在しなかっただろう。

BABYMETALを準備したものの最後にくるのは、やっぱり日本特有のオタク文化、「アイドル」というジャンルの誕生である。

ただし、今回もまた炎上必至かもしれませんが。(^^♪

 

最初に主旨を述べておく。

AKB48は民主党政権時代の「デフレカルチャー」であり、BABYMETALへの熱い支持は、現在の第二次安倍政権による日本再生の社会状況を背景にしている、と。

1998年にテレビ東京系のバラエティ番組「ASAYAN」の中で、売れないアイドルたちを集めたリアリティプロジェクトがスタートした。それがモーニング娘。だった。

以前も書いたので詳しくは触れないが、つんく♂が、売れないタレント=半素人をプロデュースし、CDの手売り目標を達成したらデビューという、番組を通じてグループの「成長」を楽しむスタイルは、きわめてテレビ的だった。

アイドルなのに○○期生、「卒業」というシステムを取り入れたのは、宝塚歌劇団が源泉だとぼくは思うのだが、ウィキペディアでは、音楽評論家の福田一郎が、つんく♂に「プエルトリコの女性ポップグループMenudoを参考にしなさい」とアドバイスしたことによるとされる。

モー娘。の「LOVEマシーン」(Legend“1999“でMOAが熱唱)、派生ユニット、プッチモニの「ちょこっとLOVE」(同じくYUIが熱唱)など大ヒットを連発し、80年代までの歌謡曲のアイドル歌手とはまったくちがった、多人数のメンバーが順次入れ替わり、派生ユニットが次々生まれるカッコつきの「アイドル」というジャンルが誕生する。

そして、2005年。

おニャン子クラブ、とんねるずの番組制作で一世を風靡し、小学生アイドルねずみっ子クラブ、セガゲームのドリームキャストなどさまざまなプロデュース業を行っていた秋元康が、秋葉原に常設劇場を作り、「今会えるアイドル」というキャッチコピーで、さまざまな事務所の売れないアイドルを集めて結成されたのがAKB48だった。

当初「秋葉原のオタク」をターゲットにしたキワモノ扱いで、2007年に「アキバ枠」でNHK紅白歌合戦に出て知名度を上げた程度のAKB48だったが、2009年、AKB選抜総選挙というファンの人気投票によって「シングル選抜」「神7」「センター」が決まるというシステムが導入されたころから、「推しメン」を応援するため、握手券、投票権欲しさに大量にCDを買うファンが現れ、AKB48のCD売り上げは一気に上がる。

AKB総選挙は国政選挙、「神7」は中国共産党中央委員のパロディに思えるのだが、前田敦子と大島優子のセンター争い、「会いたかった」「へヴィローテーション」「Everydayカチューシャ」「フライングゲット」などのヒット曲は一世を風靡した。

全曲秋元康作詞による恋する少年の心情を表す歌詞、生で見られる劇場公演、水着グラビアなどで、疑似恋愛対象としてのメンバーのイメージを作り、購入特典としての握手会や総選挙に参加させる。

大阪、名古屋、福岡など各地で劇場と姉妹グループを作り、グループメンバー総勢数百人という規模となり、推しメンが増えればそれだけ握手券や投票権ほしさにCDが売れるというビジネスモデル。

これにより、2010年以降、オリコンのCD年間売り上げのトップのほとんどをAKBグループが占めるという異様な独占状態が現出した。

AKB48の躍進と時を同じくして、日本社会には大きな変動が起こっていた。

国民的人気を博していた小泉純一郎首相が後継指名した2006年の第一次安倍内閣が、消えた年金問題に端を発した参院選の敗北、ねじれ国会と健康問題で辞任に追い込まれると、2007年福田内閣、2008年麻生内閣と1年おきに首相が変わり、ついには2009年7月、本物の総選挙で、自民党は野党に転落、鳩山由紀夫を首班とする民主党政権が誕生した。

少子高齢化、不況、デフレ、高い失業率、経済格差の拡大に対して、民主党の政策は、ムダな公共事業を“仕分け”し、高速道路を無償化し、子ども手当を配りつつ、消費税を上げて財政均衡を図るというものだった。鳩山首相の無責任な沖縄米軍基地辺野古移転凍結宣言で日米関係に亀裂が入り、首相が菅直人に変わると、2011年3月11日、東日本大震災が発生。1995年の阪神大震災もそうだったが、なぜか自民党以外の首相の在任時に大震災が起こる。後手後手に回った原発事故処理のまずさもあって、今にも日本が壊滅してしまうような恐怖が日本全体を覆う。被災地の復興は遅々として進まず、経済指標はどん底になった。

そんな中、CDの売り上げトップを独占し、日本のみならず海外にも劇場拠点を作って増殖する“AKB帝国”は、デフレ不況下の絶対的なビジネスモデルのように見えた。

上武大学教授(経済学、歴史学)の田中秀臣は、『AKB48の経済学』(2010年)で、AKB48のビジネスモデルは、長期的なデフレという時代状況を反映した「デフレカルチャー」だと述べ、さらにその続編となる2013年の『日本経済復活が引き起こすAKB48の終焉』では、アベノミクスを通じた日本経済の復調で、AKB48の人気は終わるのではないかと述べている。

AKB48のCDやグッズやチケットは、他のJ-POPアーティストと比べて安いとは到底言えず、前述のように握手券、投票権欲しさに大量に買うファンもいるのだから、単純なデフレビジネス(=安い・シンプル・そこそこの品質保証)ではないと思うが、同じグループに数百人もの成長途中の「アイドル」がいて、メンバーの数×推しメンファンからなる巨大な集金システムを作ってしまうというのは、日本の芸能史上、かつてない「革命的」事件だったのは確かだ。

それ以降、「成長を応援するアイドル」というジャンルが確立し、AKBをロールモデルとしたさまざまなグループが乱立し、「アイドル戦国時代」となった。

“AKB帝国”へのパルチザンともいえる存在が、2008年に結成され、2011年以降改名したももいろクローバーZだった。

メンバーを五人に固定し、「アイドル戦国時代」「アイドル史の更新」を対象化して、CDではなく、ライブに観客を動員し、ロックフェスやプロレス会場にも「乱入」し、テレビのバラエティでも、芸人を巻き込み、子どもっぽく元気な笑顔を振りまくというスタイルは、疑似恋愛の対象ではなく、「応援することで元気をもらえる」という親目線の共感を呼んだ。

もちろん、その他にも、AKBとは関係ないローカルアイドルや地下アイドルたちが全国1万人(出所不肖のネット情報)も活動していた。

その真っただ中に、というか、アミューズもそうした「アイドル」市場に参入しようとして作ったのがさくら学院であり、そこにうかうかと入ってしまったのが、誰あろう中元すず香、水野由結、菊地最愛だった。

(つづく)