BABYMETALを準備したもの(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日10月25日は、過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

KOBAMETALがメタルと出会った1980年代半ばから本当の20世紀末まで15年間。さらに重音部BABYMETALが誕生するまで10年間。

この25年間、日本の社会や世界の構造は大きく変わった。

思いつくままに挙げてみるだけでも、次のような出来事があった。

 

・日本では1989年1月7日、昭和天皇が崩御し、平成の御代になった。以降、バブル経済とその崩壊、長期不況の中で、1997年には子どもを持つ世帯のうち、共働き家庭が主婦家庭を逆転し、現在は7割に達した。同時に少子高齢化と経済格差が進行し、ひとり親家庭は2015年に全国平均で7%、都市部では数十%に達する地域もある。

・鄧小平政権下で改革開放政策をとっていた中国では、1989年6月4日、民主化運動を弾圧した天安門事件が起こる。以降、中国共産党の国内統制が強まり、不満のはけ口としての反日教育が強化されたが、2000年代には経済的に大きく成長し、2009年、日本を抜いて世界GDP第2位となった。

・1989年11月、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁の破壊を皮切りに、東欧諸国が次々にソ連の影響下にある共産主義独裁政権から解放され、ついには1991年、ソ連そのものが崩壊し、資本主義のロシアとその諸国(CIS)となった。マルクスレーニン主義を源流とする社会主義国は、中国、ベトナム、キューバ、北朝鮮など数か国となった。

・1991年、第一次湾岸戦争が勃発。クウェートへ侵攻したイラクのサダム・フセイン政権に対して米軍が直接戦闘を行った。その後、2001年の米同時多発テロ、アフガン侵攻、2003年のイラク戦争と、アメリカとイスラム過激派勢力(タリバーン、アルカーイダ、ISIS)との直接戦闘状態が続く。

・日本では、1980年代にパソコンが、1990年代にパソコン通信・E-Mailと携帯電話が、2000年代にインターネットが、2010年代に高速回線とスマートフォンが普及した。

・任天堂ファミコン→ソニープレイステーション→DS・Wii・Switchといった日本のゲームハードウェア、ソフトウェアが世界的に普及し、同時にコミック、アニメ、アイドルといったサブカルチャーが人気となり、日本料理、モノづくりまで含めて日本の文化が世界的に評価されるようになった。

1980年代半ばの日本と世界は、2017年の現在とは大きく違う。

当時、中国のGDPはまだ世界第2位の日本の6分の1程度だった。

パソコンは8ビット時代で、NEC、富士通、シャープが御三家だった。ビジネスユースのNEC9801シリーズが出たのは1989年だった。

携帯電話はトランシーバーみたいな「ショルダーフォン」(NTT)で、高級車に搭載するもの(IDO)もあった。ゲーム機は任天堂ファミコン「スーパーマリオブラザース」が大ヒットし、MSX陣営としのぎを削っていた。

情報源は新聞、雑誌、書籍とテレビであり、ニュースは中曽根首相の「不沈空母」発言、誤報だった歴史教科書問題(当時、文部省で「近隣諸国条項」追加を担当したのは、あの加戸守行元愛媛県知事)、そして全国で相次ぐ「いじめ自殺」問題だった。「イジメ、ダメ、ゼッタイ」のテーマは、この頃のKOBAMETALの問題意識だったのかもしれない。

音楽メディアはCD、ビデオはβとVHSだった。

ぼくは1980年代前半に社会人になったから、ビジネスマンとして初めてPCと携帯を使った世代といえる。ぼくより10歳上の1950年前後生まれはPCやネットを使わなくても電話とFAXで仕事ができた世代。

信じられないかも知れないけど、当時はビジネス文書のほとんどが手書きで、それをワープロ専用機で清書し、切り貼りしてコピーし、FAXするのが仕事だったのである。印刷物は職人芸による写植だった。入社10年くらいでパソコンのDOSバッチメニューが書け、DBソフトや表計算ソフトを「マスター」すると職場で重宝された。

ぼくより10歳下の1970年前後生まれはファミコン世代で、仕事の最初にぼくらの世代の講師からEメールとワープロ、表計算、プレゼンソフトの使い方を学んだと思う。

その下の1980年前後生まれは2000年前後の「ネット革命」のただ中で、パソコンを使えるのは当たり前で、ネットを情報収集と告知に利用する仕方を考えた世代である。

当時ぼくは40歳前後で、渋谷で定期的に行われていた異業種交流会に出て、ソニーの担当者がプレイステーションはゲーム専用であると力説していた発表会に立ち会っている。だからBABYMETALが2016年ワールドツアーの皮切りにNYのプレイステーションシアターでライブをやったのは、何とも言えない感慨があった。

だから1990年前後生まれはプレイステーション世代で、小学生の頃はテレビを見ていたが、思春期にネットがブロードバンド(動画)化され、ゲーム機がネットにつながり、携帯がスマホになった世代。さらにその下の2000年前後生まれが、YUI、MOAの世代、生まれたときからネットとスマホがあった金キツネ世代だ。

ぼくがものを考えるとき、こういう世代の違いは結構重要で、生まれ年が数年違うだけで、「違うメディアを使い、違うものを見てきた」ことは、かつての出身地の違いに匹敵するほど、人格形成に大きな影響を与えていると思う。

現在、世代によって政治的見解や支持政党が大きく変わるのも、「見ているものが違う」からだと思う。少なくとも50代以下の日本人で、日常的にネットにアクセスしないというのは、よほどの変人だと思うが、仕事でしか使わないという人、パソコンではネットを使うが、通話はガラケーだという人、あるいはパソコンを持たず全部スマホという人まで、その「濃度」が異なるのかもしれない。

いずれにせよ、現代は、メディアがすべてネットに集約されていく過渡期にある。テレビはネット配信に移行し多元化が実現するし、書籍やCDのようなデジタル化可能な情報媒体は、廃れないにしてもある種の「高級品」になっていくと思う。

うちの会社はヘンな会社で、事務所や事業所に膨大な本がある。稀覯本や古書、豆本から美術書、写真集、絶版になった哲学書や新左翼思想誌の全巻集まで、ほとんど図書館のようなありさまである。これは老社長の奥様の趣味で、「文化は会社経営の背骨だ」というのが彼女の持論である。これまで秘書に任せっきりだった外部との連絡やスケジュール管理を自分でこなすため、やっと最近ガラケーを脱しスマホに切り替え、インスタグラムを始めた。ぼくは彼女を敬愛している。

それはともかく、1985年から2010年までの期間は同時に、KOBAMETALがやがてBABYMETALに全精力を注ぎこむほどのルサンチマン(怨恨)を含んだメタルへの愛を育んだ時間でもあった。

大雑把に言って1970年代後半から1990年代前半までが、へヴィメタルの全盛期である。

パンクムーヴメント=ニューウェーブが台頭してハードロックバンドが勢いを失っていたイギリスでは、ハードロックのリバイバルともいえるNWOBHM=ニューウェーブオブブリティッシュへヴィメタルと呼ばれる動きが現れる。その象徴がハードロック全盛期には目立たなかったジューダス・プリースト(2016年7月BABYMETALとAPMAsで共演)である。1980年の6thアルバム「ブリティッシュ・スティール」が全英チャート3位に上昇し、シングルカットされた「Breaking the Law」が大ヒット。元ディープパープルのリッチー・ブラックモア率いるレインボーがヘッドライナーとなった第1回モンスターズオブロック@ドニントンパークに出演する。ぼくより2歳若いRichardさんは18歳の時、これを見ているとのことで、ぼくが酔っ払って「All Night Long」の出だしのリフを弾くと「That’s it!」と言っていた。イギリス人はいいなあ。

アメリカではヴァン・ヘイレンの「炎の導火線」(1978年)によって、文字通り新しいアメリカンへヴィメタルの火がつけられ、1980年代にはモトリークルー、ドッケン、クワイエット・ライオットなどの西海岸のバンドをLAメタル、KISS以来の伝統を持つ東海岸のボン・ジョヴィやスキッド・ロウをグラムメタルと称し、MTVでPVがガンガン流れた。

これに対して、時期的には重なるが、ハードコアパンクの影響を強く受け、社会的な不満や内面的なフラストレーション、あるいは戦争、死、サタニズムなどをテーマとしたのが、いわゆるスラッシュ(鞭打つ)メタルである。

メタリカ(BABYMETALのメタルマスター、2017年1月ソウルで前座)は、シンプルで重いリフの社会派メタル、メガデスはマーティ・フリードマン(もう半分日本人、BABYMETALを絶賛)を擁した時期相当テクニカルだったし、スレイヤー(スキンヘッドのケリー・キング(G)はYUIのお気に入り)はデスメタルっぽく、東海岸のアンスラックスはファンクを取り入れるなど、スラッシュ四天王といっても音楽的には大きな幅がある。

ちなみにぼくはLAメタルを否定して、スラッシュメタルを神聖化する論法や、メタリカの神格化には与しない。ギミックも含めて、メタルはもっと豊かな表現の幅を持つと思うからだ。

1980年代、レインボーはまだ活動していたし、第Ⅲ期ディープパープルのボーカリスト、デビッド・カバーデイル率いるホワイトスネイク(スティーブ・ヴァイが在籍)、最後のLAメタル、ガンズアンドローゼス(2017年1月BABYMETALが前座)や、テキサス州ダラスでヴィニー・ポールとダイムバッグ・ダレルの兄弟によって結成され、サザンロックの色を残したパンテラ(後身のHellyeahが2017年6月BABYMETALの前座)がヒットを飛ばし、さらにオーストラリアのAC/DCやドイツのスコーピオンズ、そして日本からはLOUDNESSやE・Z・O(当時アミューズ所属)も加わったアメリカのメタル市場は花盛りだった。

状況が大きく変わったのは、1991年のロドニー・キング事件~ロサンゼルス暴動、第一次湾岸戦争だとぼくは思う。

音楽シーンを政治状況で切り分けるのは意に反するのだが、70年代後半から80年代のアメリカは、1975年のベトナム戦争終結によるつかの間の“平和”の中にあり、1989年~1991年の東欧革命やソ連の崩壊は、冷戦の勝利を意味していた。

だが、ロサンゼルス暴動は、アメリカ社会の中にある黒人貧困層と移民との対立という構造的な問題を浮き彫りにし、湾岸戦争は、その後20年以上にわたるイスラム教過激派との戦闘という状況を招いた。

「パーリナイ!綺麗なネーちゃんを引っ掛けてオープンカーでハイウェイをぶっ飛ばそうぜ!」的なLAメタル、グラムメタルが受け入れられるハズもなく、暗く、不条理な社会への不安を訴えるポストパンク=グランジ=オルタナティブロックのブームがやってくる。

80年代半ばからスタイルを変えずに生き残ったレッドホットチリペッパーズ(2016年12月、2017年4月BABYMETALが前座)は、オルタナティブロックの走りだったが、1991年に発表されたニルヴァーナの「ネヴァーマインド」、パール・ジャムの「テン」、そしてサウンドガーデンの「バッドモーターフィンガー」が音楽シーンに大きな影響を与えたのは、こうしたアメリカ社会の状況と決して無縁ではない。

(つづく)