BABYMETALを準備したもの(2) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日10月24日は、2011年、「ド・キ・ド・キ☆モーニング」のDVD+タオル限定販売され、2012年には、雑誌「Studio Voice」でBABYMETAL特集が掲載され、2015年には、名古屋放送で「ドデスカナイト」が放送された日DEATH。

 

KOBAMETALは小学6年生の頃、テレビで聖飢魔Ⅱを見て、へヴィメタルという音楽を知り、好きになったという。

聖飢魔Ⅱがお茶の間に登場したのは、1stアルバム「悪魔が来たりてへヴィメタる」のリリース(1985年)から、シングル「蝋人形の館」(1986年)が大ヒットした頃。

当時のへヴィメタルは、LAメタルの雄、ヴァン・ヘイレンのボーカリストがデビッド・リー・ロスからサミー・ヘイガーに変わった頃。

スラッシュメタル四天王の筆頭、メタリカは、1986 年「Master of Puppet」をリリースし、ビルボード29位、ゴールドディスクを獲得したが、9月にはベーシストのクリフ・バートンがスウェーデンで移動中のバス事故によって亡くなってしまう。

アメリカに進出した日本のメタルバンドLOUDNESSは、1985年「Thunder in the East」がビルボード74位に入り、モトリークルーの前座としてMSGに立ち、翌1986年の「LIGHTNING STRIKES」は64位となり、欧米ツアーを行う。

海外でも日本でも、へヴィメタルという音楽が最も輝いていた時期だった。

当時の国内の音楽シーンはどうだったか。

1980年初頭は、松田聖子、河合奈保子らに加え、「花の82年組」と呼ばれた中森明菜・小泉今日子・早見優・堀ちえみ・石川秀美らのアイドル全盛期だったが、同時期には、シャネルズ・横浜銀蝿・チェッカーズなど、バンド形態をとるアーティストや一斉風靡セピアのようなダンスグループもTVに登場してきた。

聖飢魔Ⅱがデビューした1985年には、尾崎豊・米米クラブ・爆風スランプといったロック系アーティストがヒットチャートを賑わせた。特に、中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」、レベッカのNokko「フレンズ」(いずれも1985年リリース)、渡辺美里「My Revolution」(1986年)、といった、アイドルとは一線を画したロック系本格派女性ボーカリストの活躍が目立った。反対に日本的情緒を色濃く残した演歌や70年代風フォーク/ニューミュージックは影が薄くなった。

1980年代中盤、日本の音楽シーンは、「歌謡曲」からJ-POPへ移行する端境期だったのである。

その一方、1985年4月1日から、フジテレビでは、秋元康をメイン構成者とする「夕やけニャンニャン」が始まる。その中で、女子高生や無名のタレントに番号を振ってアイドル扱いする“アイドルのパロディ”たる半素人グループが結成された。それがおニャン子クラブだった。

小学生のKOBAMETALは、もちろん聖飢魔Ⅱだけではなく、テレビに出てくるバンドやロック系のアーティストやアイドル、おニャン子クラブも見ていたはずである。なにせ当時、小学生が音楽に触れる媒体はテレビしかなかったのだから。

想像をたくましくすれば、早熟で頭の良かったKOBAMETALが最初に見た音楽界のありようは、ロックバンドとアイドルという二項対立であり、その中で渡辺美里・中村あゆみ・レベッカといった本格派女性ボーカルが、その真ん中に立つ調停者のように見えたはずである。この無意識の刷り込みが、「アイドルとメタルの融合」=BABYMETAL結成の大きな要因になったのではないか。

中学校では吹奏楽部に所属していたが、高校~大学時代にはメタルバンドを組み、おそらくHR/HMの名盤を聴いてのめり込んでいたKOBAMETALは、就職先に一部上場企業であるアミューズを選ぶ。

1996年頃の入社当初、音楽班に所属し、SIAM SHADEやCASCADEの広報宣伝を担当した後、社内インディーズレーベルを立ち上げて、ラウド系バンドのプロデュースを担当したが、市場の状況に合わず、あまり売れなかった。KOBAMETALは2008年頃バラエティー班に異動となり、様々な企画を担当。2009年には、アミューズキッズによる農水省の食育キャンペーンガール「ミニパティ」(堀内まり菜、飯田来麗、杉崎寧々)をプロデュースした。振付はMIKIKO師だった。

2009年3月14日、可憐Girls「任務完了」コンサートに、ミニパティが出演したのに付きき添ったKOBAMETALは、偶然聴いた小学校5年生の中元すず香の歌声に衝撃を受ける。

KOBAMETALの脳裏には、「メタル少年少女歌劇団」のような構想が浮かんだという。

だが、翌年2010年から、KOBAMETALが担当したのは、可憐Girlsの武藤彩未と中元すず香、ミニパティの堀内まり菜、飯田来麗、杉崎寧々、「ニコラ」専属モデルだった三吉彩花、松井愛莉、アミューズキッズの子役/モデル出身の佐藤日向の8名からなる、「成長期限定ユニット」さくら学院だった。

8月のTIF2010のステージで、追加メンバーとして小学校5年生の水野由結、それに「ちゃお」ガールオーディションで準グランプリとなった菊地最愛が加入して、さくら学院は10人体制となる。

サザン・オルスターズ、福山雅治、ポルノグラフィティなど、アーティストをメインコンテンツとするアミューズにとって、アイドルのプロデュースは未知の領域だった。

いや、Perfumeをアイドルとすれば、それが唯一の成功例だった。もともと広島ASH出身のローカルアイドルだったPerfumeは、中田ヤスタカをプロデューサーとし、MIKIKO師による振り付けで歌い踊る「アイドルとテクノの融合」をコンセプトにメジャーデビューした。

2007年、公共広告機構のCMに使われたことがきっかけで「ポリリズム」が大ヒット。「Hey, Hey, Hey」「ミュージックステーション」などに出演、全国のZeppを回るツアーや「Rock In Japan」「カウントダウンジャパン」などのフェスにも出演するようになっていた。

2010年11月の「さくら学院祭」に向けて、さくら学院には、部活動=派生ユニットが結成されることになる。KOBAMETALは、アイドルに詳しいニッポン放送アナウンサーの吉田尚記に相談したりしながら、「アイドルとメタルの融合」をコンセプトに、軽音部をもじって、へヴィメタル音楽をやらせる重音部、のちのBABYMETALの結成を企画した。もともとそのためだけにさくら学院を作ったのだという説があるが、武藤彩未、三吉彩花、松井愛莉、ミニパティなどを統合した「スーパーキッズアイドルグループ」で、「学校」コンセプト、「成長期限定」など手の込んだ立て付けなので、ぼくはそうは思わない。あくまでもさくら学院の部活動に、KOBAMETALのメタルへの野望が重なったのが重音部BABYMETALなのだと思う。

「ミニパティ」生みの親はKOBAMETALだったのだから、BABYMETALは、中元すず香のほか、高い歌唱力を持つ堀内まり菜や、飯田来麗、杉崎寧々らがメンバーになる可能性もあったかもしれない。

だが、KOBAMETALは、中元すず香の歌唱力と存在感には、「SU-METALの回りで踊る天使たち」の方が適していると考え、最年少の水野由結=YUIMETALと菊地最愛=MOAMETALを選んだ。(2012年10月31日付日経エンタテインメント電子版インタビュー)

 

菊地最愛は、1999年7月4日、一人っ子として名古屋で生まれた。恵まれた家庭で、小さい頃はバレエ、テニス、体操、水泳など複数の習い事をしていたらしい。

小学女子の定番、小学館のコミック誌「ちゃお」が大好きで、特に連載漫画「きらりん☆れぼるーしょん」の主人公月島きらりのようにアイドルを目指し、「スーパーもあちゃん」になることを夢みていた。

2007年、「ちゃお」で毎年行われる「ちゃおガールコンテスト」に応募、見事準グランプリを獲得。そのままスカウトされてアミューズキッズに所属。マクドナルドのCMなどの子役を経て、2010年さくら学院に「転入生」として水野由結と共に加入。

テレビアニメ「絶対可憐チルドレン」も見ていたらしく、オーディションでは、水野由結と「Over the Future」を歌い踊って合格した。

母親は元モデルとのことで、最愛も小学生の頃から子役モデルを務めていた。母親のしつけは厳しく、学業優先で、芸能活動のために遅刻したり、欠席したりすることは許さないし、見知らぬ人とコミュニケーションができてしまうTwitter、Line、ゲームの課金は、「責任がとれるようになるまで」禁止されているという。

ぼくが名古屋で直接聞いた話だが、ある方が知り合いを通じて清酒「最愛」を最愛の母親にプレゼントしようとしたところ、母親は「(娘の芸能活動の余禄は)受け取ってはいけないと思っています」とお断りされたという。それほど、生真面目な方なのだ。

最愛はそんな母親を、最も尊敬しているといい、さくら学院の「歌の考古学」では、アカペラで「未来へ」を熱唱した。

三人娘の末っ子のSU-、兄と弟にはさまれたYUIに比べて、MOAは一人っ子で育ったため、さくら学院小等部の頃は物おじせず、おシャマさんで、感情表現も豊かだった。

学業優先の意識は強く、さくら学院学年末テストでは、小等部の2010年度と2011年度は7位だったが、2012年度3位、2013年度4位と上位をキープしていた。

最終学年の2014年には、最下位こそ免れたものの、「生徒会長はポンコツ」のジンクスどおり下位に沈んだが、この年、全国学力学習状況調査(全国一斉テスト)では、国語Aで32問中30問(平均24.5)、国語Bで9問中8問(平均4.6)と、優秀な成績を収めている。(さくら学院日誌2014年10月11日)

さて、そんな最愛だが、ある意味、彼女こそBABYMETAL時代を生きる金キツネ世代の典型だと言ったら驚くだろうか。

まず、最愛は普通の礼儀正しい女子高生である。校内ではちゃんと先生に敬語を使い、真面目に授業を受け、外部の業者にもちゃんと挨拶する。休みの日にはクラスの友だちと食べ歩き、自分ではできない分、友達がTwitterにアップしてしまったこともあった。

最愛はアニメが大好きである。

『ラブライブ!』、『けいおん』、『魔法少女まどか☆マギカ』、『絶園のテンペスト』、『アナと雪の女王』、『風の谷のナウシカ』など、アイドル・音楽系から、魔法系、ディズニー系、ジブリ系までちゃんとおさえている。好きな映画は『チャーリーとチョコレート工場』だとのことなので、どこかシュールな世界への志向があるのかもしれない。

一方、アイドル好きでもある。℃uteの鈴木愛理にTIFで会ったとき、声もかけられなかったとか、青年コミック誌のグラビアを廣田あいからと撮影したとき、「アイドルが大好きで顔がニヤけちゃう」と言ったとか、菊地亜美や高橋みなみとの絡みとか、女の子なのに同性のアイドルに萌えるというのは、実は中身がけっこうオッサンであることを示す。

それは幼い頃から好きなおやつは「軟骨の唐揚げ」、遠征中のベッドに乾き物をぶちまける、さくら学院時代、「コヤジ部」を結成して、新橋でライブをやりたいと言ったというエピソードからもわかる。また、バースデーサプライズや先輩の卒業式でボロボロ泣いてしまうという涙もろさも併せ持つ。

憧れの女性は芯の強い女性を演じることが多い柴咲コウ。2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公である。

極めつけは、Q.もしも一つだけ願いが叶うとしたら?という質問に、「世界を戦争や貧困、差別のない平和な世界にする。」と答えていることだ。(菊地最愛への100の質問)

つまり、まとめると

①生真面目で礼儀正しい

②サブカルチャーの素養がある(アイドル、コミック、アニメ、メタル)

③オヤジっぽい言動(涙もろい、アイドル好き、乾き物好き、新橋に憧れる)

④自分の幸せより、社会的な問題にコミットしようとする

など、菊地最愛は、よくオヤジが口にする「今どきの若者は…」といったイメージとは異なる価値観を持つことがわかる。

ぼくは、これこそ現代の若者の特徴ではないかと思う。

ぼくが接している大学生や中高生は限定的だし、個人差もあり、主観に過ぎないが、近頃ひしひしと感じているのは、ここ数年で、マニアックな価値観に生きる「オタク」とか「不思議ちゃん」みたいなエキセントリックな若者は少なくなったということだ。いわゆる「アキバ系」や「渋谷系」の若者というステレオタイプは20代後半~30代になった。その一世代後の、今10代~20代前半の若者は、非常に生真面目で礼儀正しく、社会や世界の中で「自分に何ができるか」を真剣に考えている人が多いように思うのだ。

この世代は、生まれたときからインターネットがあった。情報源は新聞・テレビではなく、ネットだから、マスメディアの情報操作やCMには踊らされない。親もさほど余裕がなく、学生でも使えるお金が限られているから、ネットを使って賢く物を買ったり、シェアしたりするし、友だちとのコミュニケーションが濃密で、気遣いもこまやかである。見栄を張らず、高級ブランド品やステータスに執着しない。それらを入手できないことを「負け組」「マルビ」(懐!)などと言って引け目に思ったり、やっかんだりもしない。

そんなことよりも、「いろんな人がいるけど、自分らしく生きたい」「自分の頭で考え、正しくありたい」という価値観が強いように見える。

ぼくの考えでは、「お金持ちで、カッコいい家に住み、ブランド品に囲まれて、いい車に乗り、いい女/男を恋人にして…」といったトレンディ/韓流ドラマのような「セレブ幻想」のうさん臭さに、もう若者は憧れないということであり、それはつまり、マスコミが「規範」ではなくなっているという証拠だ。

実は、現代日本のコミック、アニメ、ゲームといったサブカルチャーには、玉石混交だが、さまざまな文学的、哲学的、教養的要素が詰め込まれている。子どもたちは、勇気、友情、戦い、苦難の乗り越え、諦めない心の強さ、敗者へのいたわり、転んでも立ち上がるといった人生を生きるメンタリティをRPゲームから学んでいる。それが今の若者の素養なのだ。

今回の総選挙は、初めて18歳の高校生が衆議院議員を選ぶ機会となった。

2014年12月に行われた第47回衆議院議員総選挙では、平均52.7%の投票率に対して、20代が32.6%、30代が42.1%と若年層の投票率は低かった。選挙権年齢が18歳以上へ引き下げられた2016年7月の第24回参議院議員通常選挙では、平均52.6%の投票率が、10代46.8%、20代35.6%、30代44.2%だった。若年層は依然低いが、18歳に限れば51.3%と高かった。

今回の総選挙の投票率は53.6%(速報値)で、年齢層別の投票率集計はまだ出ていない。マスメディアは自民党が大勝した選挙結果に、「低い投票率で民意を反映していない」と言いたいようだが、台風の中、この投票率は相対的に高いというべきだ。ぼくは期日前投票に行ったのだが、市役所は人であふれ、1時間待ちだった。こんなのは初めてである。「民意」が心情サヨク無党派層を指すなら、立憲民主党の「躍進」はどう説明するのか?

年齢層別に政党支持率を見てみると、自民党支持者は20代が40.6%と最高で、次に70歳以上が40.2%と高く、18~19歳が続いた。40~60代はいずれも30%台前半だった。

また、立憲民主党で最も支持率が高かったのが60代で17.8%、70歳以上が16.7%とそれに次いで高かったが、10~30代ではいずれも10%を下回り、高齢層ほど支持を集める傾向が強かったという。(日本経済新聞10月23日)

インターネットによって、マスメディアの情報独占、大衆心理操作からの解放がなされた意味はとても大きい。ネット中心に情報を得る金キツネ世代は自民党の支持率が高く、ネットを使わない高齢者に立憲民主党の支持者が多いのは興味深い。

テレビ朝日の「選挙ステーション2017」の後半、自民党大勝の大勢が判明した後に出演した田原総一朗が、開口一番「安倍政権なんてロクでもないでしょ!!」と絶叫していたのは、老醜を通り越して、哀れを催した。自分たちの大衆操作が効かず、公正に行われた選挙の結果を否定するのは、主権者である国民の意志=民主主義の否定だろう。

四題話みたいなもので、自民党大勝とインターネットの普及と若者像の変化とBABYMETALは直接因果関係があるわけではない。だが、同時に起こっている現象である。

BABYMEALは、YouTube、Twitterといったインターネット時代のツールによって、世界中に広がり、人気を博した。そしてまた、それを受け入れ、熱狂的に支持するオーディエンスもまた、テレビに出ず、ライブで勝負するBABYMETALを歓迎した。

「誰かの笑顔の理由になりたい」というモットーをもつMOAのように生真面目な女の子が、誰もやったことのないOnly OneのMetal Resistance、世界への挑戦をしている。

生まれたときからネットがあった生真面目な金キツネ世代にとって、BABYMETALは必然なのである。

(つづく)