46年前の広島公演(2) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日10月20日は、2013年、LOUD PARK 13@さいたまスーパーアリーナに、史上最年少で出演。2015年には、名古屋放送「BOMBER-E」「ドデスカ」で報道された日DEATH。

 

12月2日、3日のLegend-S-@広島グリーンアリーナのチケット種別に、親子キツネ参拝券スタンドペアチケット22,000円が加わりました。

さすがに中学生以上新成人までの金キツネが2,000で、4歳~小学生以下が20,000円はおかしいということになったのでしょう。よかったよかった。

 

つづきです。

1971年9月27日、広島県立体育館で行われたLed Zeppelinのライブの模様は、YouTubeその他の動画サイトにいくつか音源がアップされているが、著作権違反の可能性があるので、引用はしない。

リマスター編集の素晴らしい3枚組CDが販売されているので、そちらをご紹介。

http://rockcollectors.shop-pro.jp/?pid=23524713

セットリストは以下のとおり。( )内は日本語タイトルと収録アルバム「Led Zeppelin○○」の数字。

 

01. Immigrant Song (移民の歌、Ⅲ)

02. Heartbreaker (ハートブレイカー、)Ⅱ

03. Since I’ve Been Loving You (貴方を愛し続けて、Ⅲ)

04. Black Dog (ブラックドッグ、Ⅳ)

05. Dazed And Confused (幻惑されて、Ⅰ)

06. Stairway To Heaven (天国への階段、Ⅳ)

07. Celebration Day (祭典の日、Ⅲ)

08. That’s The Way (ザッツ・ザ・ウェイ、Ⅲ)

09. Going To California (カリフォルニア、Ⅳ)

10. Tangerine (タンジェリン、Ⅲ)

11. What Is And What Should Never Be (強き二人の愛、Ⅱ)

12. Moby Dick (モビーディック、Ⅱ)

13. Whole Lotta Love (胸いっぱいの愛を、Ⅱ)

14. Communication Breakdown (コミュニケーションブレイクダウン、Ⅰ)

 

合計約2時間30分におよぶライブだった。

動員数は、中国新聞の記事によると「5千人のヤング」、『ミュージックライフ』だと「約四千人の聴衆」、リマスターCDのライナーノーツによると6,000人とのことでまちまちだが、4,000~6,000人の間ということだろう。今から考えると少ない気もするが、改築前の広島県立体育館の収容人数からすると満杯に近かったのではないか。

「移民の歌」に始まり、「ハートブレイカー」、「ブラックドッグ」、「天国への階段」、「モビーディック」、「胸いっぱいの愛」、「コミュニケーションブレイクダウン」でフィニッシュという、初期Led Zeppelin(Ⅰ~Ⅳ)の主要曲で構成されている。ここで披露されてなくて、惜しいと思うのは「Livin' Lovin' Maid」(Ⅱ、ビルボード65位)、「Rock ’n’ Roll」(Ⅳ、ビルボード47位)くらいか。

『ミュージックライフ』によると観客は「感動と興奮のるつぼ」、「熱狂のあまり、ステージを目がけて押しかけ、よじ登るというありさま」だったという。その写真も残っている。(ML1971年11月号)

古い機材で録音された、雑音だらけの音源を聴くと、デジタルチューナーもエフェクターもコンピュータも何もない、マーシャルアンプ直のレスポール(No1)がいかにいい音だったか、ロバート・プラントの声がいかに厚みとハイトーンが共存していたか、ジョンボーナムのドラムがいかに重かったか、まざまざと思い知らされる。

アンコールの「コミュニケーションブレイクダウン」では、最前列の客がステージに殺到したため、演奏をいったん中断し、ロバート・プラントが観客を落ち着かせたのち、演奏を再開するというシーンが収録されている。

おそらく現在の観客でもそうならざるを得ないと思う。ハードロックを知らない昔の田舎だったから観客が熱狂したのではない。それほどすさまじい演奏だった。ジミー・ペイジが下手クソなんて誰が言ったんだ。ピロピロ速弾きしている。

ぼくの歴史的想像力の原点は、古代でも、江戸時代でも、戦時中でも、現在でも、あるいは日本でも韓国でもヨーロッパでもアメリカでもアフリカでも、恋をし、失い、家族を守り、友だちと笑いあい、理不尽な社会や他国の横暴に憤り、時には壁に突き当たって落ち込んでしまう同じ心根を持った人間であるというところにある。

こんな凄い演奏を生で聴かされたら、誰だって熱狂してしまう。

1971年、Led Zeppelinが広島の観客に、熱きロック魂の火をつけたのは、歴史的事実なのである。

「天国への階段」が収録された「Led Zeppelin Ⅳ」は全世界2300万枚を売り上げたツェッペリン最大のヒット作であり、来日公演(東京、広島、大阪)を含む1971年のツアーはそのキャンペーンであった。そしてこの年のツアーこそ、ツェッペリンのキャリアの頂点とされる。むべなるかな。

初来日から9年後の1980年9月24日、ジョン・ボーナム(D)が飲酒事故によって亡くなり、Led Zeppelinは、解散してしまう。

その後、フィル・コリンズ(元ジェネシス)や、ジョンの息子ジェイソン・ボーナムらがドラムを務めて再結成されることもあるが、多くの場合一夜限りである。

だが、レッド・ツェッペリンこそUKハードロックの始祖であり、ほぼすべてのロックミュージシャンが影響を受けている。BABYMETALが使用することも多いライブハウスZeppの名前は、当然Led Zeppelinに由来する。

2008年の北京オリンピック閉会式。

次のロンドンオリンピックのデモンストレーションが行われた。ロンドンの有名な2階建てバスが安っぽい場末のステージに早変わりし、黒人女性歌手レオナ・ルイスが登場してハイトーンを披露する。そして、その脇にはジミー・ペイジがレスポール(色味から言って、リアピックアップのカバーを外したNo.2の復刻版か)を持って、いきなり「胸いっぱいの愛を」のリフを弾き始めた。

めちゃめちゃカッコよかった。

ブリティッシュロックこそ、現代イギリスの文化を象徴している。中国共産党の威信を賭けた祭典の演出の仰々しさは一発で吹っ飛んだ。

こういうのをソフトパワーという。

自宅の居間でだらしなく生中継を見ていたぼくは、驚きを通り越して大笑いしてしまった。最後にはベッカムがサッカーボールを持って登場し、ピットに向けて蹴る。そのボールをキャッチしたのは、なんと日本人選手団だった。

ちなみに、2016年のリオオリンピックの閉会式のハイライトは、残念ながら、BABYMETALの師であるMIKIKO先生が演出したダンスのパートではなく、安倍首相がスーパーマリオのコスプレで地球の裏側からパイプラインを通って登場したシーンだった。小池百合子東京都知事が小雨の中、気合を入れた和服で五輪旗を振るところは全然注目されなかったwww。

それはさておき、1971年9月27日、Led Zeppelinによって点火された熱きロックの魂は脈々と受け継がれ、広島出身のアーティストたちは、なぜか歌謡曲であってもロック色が強かった。

実際、新ご三家の一人、大阪球場で日本初のスタジアムライブを行い、観客に懐中電灯を振らせた西城秀樹は、このコンサートをバンド仲間と観戦している。矢沢永吉は、高校卒業とともに横浜へ去ってしまったのでLZとは関係ないのだが。

そして、1997年12月20日、広島にSU-METALこと中元すず香が誕生。

2014年、SU-METALをフロントマンとするBABYMETALは、ロック発祥の地、イギリスのメタルフェスSonisphereで事実上の欧米デビューを飾り、UKを第二の故郷とする。

2017年12月2日-3日、世界的なメタルの歌姫に成長した彼女の成人を祝う「洗礼の儀」ライブの会場は、46年前にLed Zeppelinが立った「聖地」、広島県立総合体育館グリーンアリーナと決まった。

広島を訪れた海外アーティストは多い。

広島グリーンアリーナでライブを行った日本のアーティストも多い。

だが、レッドツェッペリンが広島に来たのは、原爆の跡地を見るためであり、広島の稲荷神社には原爆に耐えたキツネ像がある。

以降、広島からロックアーティストが輩出し、キツネ様を守護神とするBABYMETALが誕生した。そして46年を経て、隣国の核ミサイル戦争の危機のさなか、レッド・ツェッペリンと同じ場所でライブを行う。

そこに、ぼくは、壮大で、数奇な運命を感じてしまうのだ。

さあ、今こそ「胸いっぱいの愛を」。