巨大キツネ祭り@大阪への道(3) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ

本日10月14日は、2017年、巨大キツネ祭り @大阪城ホール初日が行われる日DEATH。

 

ぼくは今日も明日も仕事なので、大阪に行けません。(-“-)

国内会場ではペリスコが許されない以上、ライブ参加者による終演後のSNS等によって知るしかないので、セトリおよびライブの模様は深夜もしくは明朝にまとめたいと思います。とりあえず、Twitterの#巨大キツネ祭りから現場のようす。

まず、前日13日16:00ごろのツイート(LEVIN-METAL 城ホール両日‏ @mac_tabataさん)。大阪城ホール入場口付近は敷石の広場になっており、日射や雨を遮るものは何もないようです。広場内に物販の白いテントが並んでいるのでSSAのときのような場内並び替えは行わず、物販列のまま販売が始まると思われます。LEVINさんのツイートによると機材搬入中に雨が強まったとのことです。

てっぺんを超えて午前2:00ごろ(OI-C-METAL‏ @OICMETAL1さん)。

物販列はこの時点で5人目だったとのこと。

6:45ごろの状況。(WOODY-METAL‏ @Woody196924さん)

雨は降っておらず、入り口付近から階段下あたりまでおそらく数百名が並んでいると思われます。

7:15ごろのツイート(OI-C-METAL‏ @OICMETAL1さん)

大きなトラックで、大きな黒い板状のものが到着。SSAでステージの後ろに5枚設置された巨大スクリーンではないかな。当日搬入だったんですね。日割りのレンタルだからですね。

と、ぼくはここで時間切れ。仕事行ってきます。

大阪では雨はまだですが、相当寒そうなので、物販列に並ぶみなさん、あったかくしてくださいね。

 

ちょっと、あったかくなる話を。

「メイトに貴賎なし。法の前に万人が平等であるように、BABYMETALの前では、メイトは等しくTHE ONEである。」と前回書いた。

ちょっと補足説明。

法の下に万人は平等であり、法に定めてある以外の理由で、何人も罰せられることはないという原則、すなわち法治主義は、民主主義の大前提である。

古くは紀元前5世紀末~4世紀初頭を生きたギリシア哲学者プラトンが、最晩年の「ポリティコス」(政治家)において、「法が遵守されるなら民主制国家がベストである」と言っている。法が遵守されないなら、慈悲深く賢い「哲人王」による独裁政治がいいのだとも。

だが、そんな都合のよい「哲人王」など現実には存在しないから、ヨーロッパで、圧政を敷く王に対して革命を起こした人々は、法の下の平等を保証し、公正な選挙で選ばれた議員だけが法律を作る権利を持ち、行政府は法に定められたことだけをきちんと執行するという近代民主主義の三権分立のしくみを作った。

いくら民主主義の体をとっていても、行政担当者=時の権力者が、政治情勢によって成文法典に規定されていないことを強引にやったり、事案が発生したときには定められていなかったのに、後になって定めた法律(事後立法)で国民を裁いたりするようなことがあれば、それは人治主義であり、強権政治といわざるを得ない。

日本は、天皇に主権があった明治憲法下でも、法治国家だった。

それも、自然にそうなったのではなく、政府の圧力に屈せず、近代国家の原則たる法治主義を守り通した数名の判事たちの頑張りと、それを認めた政治家たちによって、そうなったのである。

1891年、ロシアの皇太子ニコライが来日し、鹿児島、長崎、神戸、京都を歴訪した。

明治維新からまだ23年しか経っていない弱小国日本は、列強のひとつ、ロシア帝国の皇太子を、国を挙げて歓待した。京都散策から足を延ばした一行が、琵琶湖沿岸の大津にさしかかった時、こともあろうに、警備を担当していた警察官、津田三蔵が、ロシアの極東政策への反感から、ニコライ皇太子にサーベルで切りつけた。その場にいた人力車の車夫二人が津田を取り押さえる間に逃げたため、ニコライ皇太子は頭部に9センチほどの切り傷を負っただけで済んだ。

ロシア公使は激怒し、津田を死刑にせよと明治政府に迫った。これは弱小国日本にとって、大帝国ロシアに報復戦争、領土割譲の口実を与える国際問題だった。「大国ロシアが攻めてくる」とのパニックが日本中を襲い、すべての学校は休校となった。

松方正義総理大臣、西郷従道内相、山田顕義法相ら明治政府の重鎮たちは刑法116条を準用して津田を死刑にしようとした。土佐藩出身で、民撰議院設立建白書の署名者のひとり、自由民権活動家として知られる後藤象二郎は、「津田を拉致し、拳銃で射殺せよ」とまで言ったという。

しかし、それに対して、大審院院長(現在の最高裁長官)の児島惟謙(こじまいけん)は、明治憲法下の刑法116条は日本の皇族への大逆罪を規定したもので、外国の皇太子に対して適用することはできないこと、しかも未遂であるから、適用するなら刑法292条の一般人への謀殺未遂罪であって、最高刑は終身刑であると反論した。

列強ロシア帝国が攻めてくるのではないかという恐怖、国家存亡の非常事態であるという政府の圧力にも関わらず、児島ら大審院の判事たちの司法の独立を守ろうとする決意は固かった。結局、明治の元勲とはいえ、どこか幕末の志士の青臭さが残る伊藤博文、井上毅、山縣有朋らも児島ら大審院判事たちの主張を是認せざるを得なかった。

事件から16日後、津田三蔵に下されたのは刑法292条にもとづく終身刑だった。

その結果、どうなったか。

日本は、西欧列強各国から、司法の独立を尊重する近代国家であると認められた。ロシアは賠償要求も武力報復も行わなかった。

もし、このとき津田を死刑にしていたら、日本は、権力者が自分たちの作った法律を、都合に応じて曲げる、野蛮な人治国家だとみなされ、西欧列強と肩を並べる国際社会の一員になることはできなかっただろう。

負傷したニコライ皇太子に対し、明治天皇は即座に謝罪し、京都にいた皇族を派遣するとともに、自ら東京から神戸に急行し、停泊していたロシア軍艦にニコライを見舞った。

同時に、神社や寺院や教会では、皇太子平癒の祈祷が行われ、国民からのお見舞い電報は日本全国から1万通も集まったという。中には津田に代わって死んでお詫びすると言って、自分の喉をついて自殺した女性もいた。

法治主義を守ろうとする意志と、国民一丸となって、同胞が犯した罪を償おうとする心情。それが明治時代の日本という国だった。

ニコライはその後の予定をキャンセルして帰国したが、ロシア帝国は、とっさに身を挺して皇太子を守った日本人車夫二人に勲章を与え、年金も支給した。ロシア皇太子は、この事件によって日本に対して悪感情は抱かなかったというが、ニコライ2世として即位後はシベリア-極東開発に力を入れ、1895年には日清戦争後の三国干渉、1904年には日露戦争の当事者となり、ロシア革命で退位を余儀なくされ、その翌年の1918年、50歳で没した。

21世紀の現代でも、独裁者が恣意的なフレームアップで、政敵や民主化運動の活動家を抹殺してしまう国や、国民感情に左右されて国際条約を守らず、外国との合意を反故にし、窃盗団を無罪にしてしまう国がある。

それを見るにつけ、今から126年前の大津事件で法治主義を貫徹した児島惟謙と大審院の判事たちがいたことに感謝するほかない。彼らこそ、近代日本誕生の立役者だった。

ぼくらの国はそういう人々の、目先の利害に「正しさ」を譲ったりしない、青臭いほどの頑張りの上に成り立ってきた。ぼくは、そこに日本人であることの誇りと共に、責任を感じざるを得ない。これからの歴史は、ぼくら一人ひとりが創るのだから。

人生にはいろいろな局面がある。だが、自分の栄達や保身のためではなく、あるいは家族を養うためだけでもなく、世のため、人のため、何かの理念や理想のために生きる。命を惜しまず働く。それが日本人の受け継ぐべきサムライ・スピリットのような気がするのだ。

ぼく個人の信仰にひきつけて言えば、それこそイエス・キリストの生き方だとも思う。

ぼくがBABYMETALを大好きなのも、自分が“センターになりたい“とか、芸能人として生き残りたいとかのエゴイスティックな目的のためではなく、「誰かの笑顔の理由になりたい」(MOA)とか、「気持ちを伝えるためにダンスしています」(YUI)とか、「We are always on your side!」(SU-)とかの発言に見られるように、自分たちの仕事が、落ち込んでいる人、苦しんでいる人、壁にぶつかって立ち上がる気力も湧かない人を、メタルの力で勇気づけることなのだという、イマドキの10代とは思えないほど真摯な気持ちで楽曲に取り組み、過酷な練習やライブツアーを行っていると思うからだ。

「世界征服」や「Metal Resistance」や「Only OneのBABYMETAL道」は、その虚実皮膜のキャッチコピーに過ぎない。BABYMETALは生身の三人の女の子たちなのだ。

いよいよ巨大キツネ祭り@大阪城ホールが始まる。

江戸時代、悩み苦しむ庶民の信仰を集めた稲荷神。

原爆に耐え、Led Zeppelinを召喚して広島をRock Cityにし、BABYMETALを選んだメタルの神キツネ様。

その新たなお告げ、第三の扉が開く。