余は如何にしてネトウヨとなりし乎(6) | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
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★今日のベビメタ

本日9月21日は、2015年、World Tour 2015 in Japan 札幌@Zepp Sapporoが行われた日で、同日、録音ですがFM802「REDNIQS」に出演し、厳しかったメキシコでのライブなどについて、三人の肉声が聴けた日DEATH。

 

昨日、通勤中、地下鉄有楽町線の駅構内に、「非常時案内の訓練です」というアナウンスの後で、ピヨピヨピヨ、ピヨピヨピヨという警報が繰り返し流れました。

「非常時」っていうのは、北朝鮮のミサイルが東京に撃ち込まれてくるということで、避難所になる地下鉄構内の訓練ということですよね。映画に出てくる戦時体制下にいるような感覚。

もちろん、最初にくるのは「わわわ、戦争嫌だ、安倍ちゃん、なんとか平和的に解決してくれよ」という感情ですが、一方的に仕掛けているのがロケットマン金正恩で、このシュールな状況が映画でなく現実なのだということは認識しておかないといけないですね。

北朝鮮問題に自分史やら教育論を絡めて、いい加減にしろという声が幻聴のように聞こえてくる「余は如何にしてネトウヨとなりし乎」シリーズ。

今回でようやく最終回となります。たぶん一番ネトウヨっぽいのでご容赦。

日本の中学校歴史教科書の出版社8社のうち、1937年7月29日に北京近郊で起こった通州事件が記述されているのは、「新しい歴史」(自由社)だけである。

通州事件の詳細は書かない。知らない方はウィキペディアで調べていただきたいが、盧溝橋事件から通州事件が起こった事実が日陰に追いやられ、それが東京朝日新聞、東京日日新聞、読売新聞で一面トップニュースとして大々的に報道されたことが、日本国民を憤激させて「中国膺懲」の機運をかき立て、政府と軍部を泥沼の日中戦争に引きずり込んだ経緯も隠され、さらに、この事件が東京裁判では取り上げられず、南京入城時の日本軍の蛮行にすり替えられ、1980年代以降はそれが南京「大虐殺」として、中国共産党の日本=残虐非道のイメージづくりと反日教育に使われているという事態にこそ、戦後日本の歴史教育の歪みのすべてがあるとぼくは思う。

学生時代、新左翼党派の連中がどうしても信用できなかったことは前に書いたが、その当時から、北朝鮮が「労働者の夢の祖国」でないことは漏れ聞こえていたし、ソ連の内部を告発して西ドイツに追放されたソルジェニーツィンの『収容所群島』(1973)や、ロシア・アヴァンギャルド演劇の弾圧を描いた佐藤恭子の『メイエルホリド』(1976)で、スターリンに限らず、レーニンの思想からして、共産主義や社会主義が理想的でも前衛的でもなく、権力闘争と秘密警察による恐怖政治、個人崇拝と疑心暗鬼の巣窟なのだということがわかってきた。

ぼくは小学生の頃からマスゲームというのが大嫌いで、北朝鮮の何とか記念集会とか、ナチス式行進とかを見ると怖くてたまらない。前に書いたが、小学校の全校朝礼か何かで、ヘラヘラしていて体罰を食らったことがある。もしああいう全体主義国家に生まれ、マスゲームで自分がミスったら「忠誠心が足りない」とか言われて収容所送りになるのだろうなと思う。

だから、ことさら「愛国心」とか「郷土愛」とか「愛社精神」とかを押しつけられるのも、なんだかイヤーな気がするのだ。

そういう集団行動に不向きな性格にも関わらず、ぼくは日本をわが国と呼び、先祖たちが営々と築き上げてきた日本固有の文化や、天皇が日本国統合の象徴となり、日本国憲法と日米安全保障条約の下で平和が続いた戦後の日本のありようを、おおむね是とし、この国に生まれたことに感謝している。

それは、学習塾で子どもたちを教える立場になり、教員免許を持っていた社会科で日本が関わった「戦争」というものを、自分の口で説明しなければならなくなった時に湧き上がって来たものだった。

思いがけないことに、学習塾で小学生や中学生に社会科を教えるのは、相当な力量が必要だった。学習塾の花形講師は英語と数学であり、国語も必須科目だが、理科と社会はオプション扱いで、たいていは週1回、2時限続きの授業となる。しかし小六、中三の受験学年では、受講者が増える。学校で一度習ったことでも、覚えていない生徒が多く、入試で点数を稼ぐには、理社科をおさらいするのが効果的だからだ。しかし、入試の出題範囲は、学校の3年分で、週1回の授業の分量はほぼ1か月分に相当する。夏期講習などではもっと範囲が広くなる。知識だけをまんべんなく教えようとすれば、子どもに背を向けて黙々と板書し、それをひたすら書き写させ、「家で覚えろ」ということになりかねない。だがこれでは「何のための塾か!」と怒られてしまう。

子どもたちは、数学、英語といった習熟が必要な教科に自宅学習の時間をとるから、社会科は、復習・暗記していなくても、模試会場あるいは入試本番に、「あ、先生こんなこと言ってたな」と思い出せるくらい、強烈なインパクトのある授業にしなければならない。

パソコンもDVDもない当時、ぼくは、地理なら現地の人々の暮らしがイメージできるように、公民なら実例を豊富に入れて、そして歴史は登場人物がさまざまな思惑で動くドラマのように語ることにしていた。

これも意外なことに、教科書の最後に配置されている近現代史は、三学期では時間が足りなくなる恐れがあるので、先にやってしまうという中学校がけっこうあった。だからぼくもいきなり日本の近現代史をストーリー仕立てで語らなければならなかった。

1840年のアヘン戦争、1868年の明治維新、1894年の日清戦争、1900年の義和団事件と北京条約、1902年の日英同盟、1904年の日露戦争と三国干渉、1910年の日韓併合、1911年の不平等条約改正、1912年の辛亥革命、1914対華21か条要求、1917年のロシア革命とシベリア出兵、1918年米騒動と大正デモクラシー、1929年の世界大恐慌とブロック経済、1933年の満州国建国とリットン調査団、国際連盟脱退。

ここまでは、「欧米列強のアジア植民地化に対抗して、明治維新で欧米に学び、富国強兵政策で近代化を急ぎ、列強の仲間入りを果たした」「アジアで最初に近代化した日本は、日韓併合により李氏朝鮮を、孫文を支援して起こした辛亥革命で中国を同じく近代化させようとしたが、中華民国は袁世凱、蒋介石により抗日となった」「国内では民主主義が芽生えたが、世界恐慌の後、持てる国のブロック経済に対して、日本も資源と市場を求めて満州国を建国した。これでますます中華民国の抗日感情を招き、国際的に孤立化してしまった」という一連の国策の流れとして説明できる。

しかし、1937年の盧溝橋事件から、日中戦争、南京大虐殺、仏印進駐、ABCD包囲網、真珠湾攻撃から太平洋戦争へと狂ったように戦線を拡大していく日本の姿は、どう見ても悪役だし、あまりにも無謀だ。

それを、1936年の昭和維新を唱える青年将校によるクーデター、二・二六事件の「軍部の暴走」に求めるのが普通なのだが、よく考えてみると変だ。天皇親政は昭和天皇自らによって峻拒されて、反乱軍は鎮圧され、事件後、思想犯保護観察法などによって、国民の軍部への反感や政府の統制は厳しくなっていたのだ。盧溝橋事件の直後も、近衛内閣は不拡大方針を閣議決定している。

それがなぜ、日中戦争へと拡大していったのか。やはり当時の日本はめちゃくちゃで、統帥権を持つはずの昭和天皇と政府は無能で、軍部の暴走を抑制できず、マスコミや国民は政権内部の抗争を知らされず、大本営発表に浮かれる大バカ者だったということなのか。

しかも、1980年代中頃、森村誠一による『悪魔の飽食』(第一部1981~1983)という小説がベストセラーになっていた。第二次大戦中、満州にあった陸軍731部隊が、中国人、ロシア人の捕虜を「丸太」と呼び、病原菌を植え付けて人体実験を行い、3000人以上を虐殺したというもので、第一部、第二部は「しんぶん赤旗」に掲載された「ノンフィクション」ということになっていた。

さらに、同じころ「南京大虐殺」が中国で大きく取り上げられ、日本軍は、南京市民30~40万人を皆殺しにしたとされていた。「従軍」慰安婦のことは当時全く問題にされなかったが、これでは、日本人はバカに加えて、とんでもないサディストだったということになってしまう。

さらに、教科書検定において、従来アジアへの「侵略」と記述されていたところを、文部省が「進出」と書き換えさせたという事実ではない誤報が流れ、中国、韓国などが抗議するといういわゆる「教科書(誤報)問題」「教育の右傾化批判」も起こっていた。

本当はどうだったのか?

当時はインターネットがなかったため、調べ物は図書館でするしかなかった。

まず、731部隊の話は相当眉唾だった。731部隊というのは、駐屯地の水質検査を行う検疫班に過ぎず、作品に用いられた写真は別物で、何人かの識者は「ノンフィクションではなくプロパガンダ小説」「ノンフィクションと小説がごっちゃになっている」と評した。

また、南京「大虐殺」についても、当時の南京市の人口は20万人~50万人であり、市民を皆殺しにすることは物理的に不可能だという批判が相次いだ。当時の様々な記録を突き合わせてみると、日本軍が8個師団12万人で南京を包囲し、無血開城を要求したが、10万人程度いたと思われる国民党軍と戦闘となった。前線の味方を背後から撃つなどして逃げられないようにした上で国民党主力部隊は逃亡した。そのため日本軍は南京に入城した際、便衣隊を含む前線の中国人2万人~3万人を捕らえた。しかし、予備の食料がなく、反乱を恐れて、ハーグ陸戦条約に規定された捕虜として処遇せず、処刑したというのが真実だった。

一般市民の大虐殺でなかった証拠に、南京占領後、市民は屋台を出して商売をしていた。日本軍の軍紀は徹底しており、一時避難していた市民が戻ってきたため、南京占領後、南京市の人口は増えていた。もし本当に30~40万人の市民を大虐殺したのなら、通州事件と同様、欧米人の記者が写真入りで一斉に報道したはずだが、それもなかった。唯一これを伝えた記事は、国民党に雇われたアメリカのライターが書き送ったものだということや、1980年代に広まった日本軍の残虐さの証拠とされる遺体写真には、別の場所や、通州事件のものが含まれていたということも、後にわかった。

南京入城後、日本軍が国際交戦規約上、捕虜として扱うべき国民党軍の残党を処刑してしまったことは事実だが、無抵抗の市民を大虐殺したわけではない。にもかかわらず、無抵抗の日本人居留民が猟奇的な手口で虐殺された通州事件の凄惨な状況が、中国共産党の反日キャンペーンの一環として、作られた南京「大虐殺」の「証拠」とされたのだ。

本当に1937年7月29日に起きた通州事件は、その日のうちに欧米人記者によって全世界に報じられた。だから全世界に証拠が残っている。日本軍は「負け戦は士気を下げる」として報道規制しようとしたが時すでに遅かった。もし本当に残虐な日本軍が南京大虐殺で「報復」に成功したなら、「勝ち戦だから全世界に報じよ」となったはずなのだ。

通州事件が日本の東京朝日新聞、東京日日新聞、読売新聞の一面トップで報じられると、中国軍のあまりの残虐さに日本国民は激怒した。中国を膺懲(懲らしめること)せよという世論が沸き返り、それに押されて、日本軍は逃げ回る国民党軍を追いかけて、北京、上海、南京、重慶と中国奥地へと引きずり込まれていく。

蒋介石は、アメリカ留学経験のある夫人、宋美齢の人脈からアメリカの軍部や親中派大統領ルーズベルトと気脈を通じていた。フーヴァー大統領の回顧録(『裏切られた自由』草思社など)によれば、イギリスが出自のルーズベルト家は、祖母の代から中国に広大な私有地と利権を有しており、日本の中国進出に危機感をもっていた。

そこで、ルーズベルトは蒋介石を支援し、物資を供給する中国南部山岳地帯のいわゆる援蒋ルートを確保し、アメリカ人義勇兵、実は正規軍パイロットによるフライングタイガースが参戦、それを断ち切るために日本軍はさらに中国奥地へと誘いこまれていき、仏印(ベトナム北部)へ進駐したところでアメリカ、イギリス、中華民国、オランダによる経済制裁、ABCD包囲網によって原油の供給を絶たれた。その危機を打開し、自前の石油資源を確保するために、まずは真珠湾攻撃によってアメリカの制海権を奪い、マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシアへと進軍し、逆襲に備えて南洋の島々を要塞化して駐屯せざるを得なくなったのだ。決して最初から、満州、中国、ベトナムから東南アジア、西太平洋全域にわたる大帝国を築くという計画ないし野望、あるいはアジア植民地を解放するという崇高な目標があったわけではない。その都度状況に応じて合理的に行動していたつもりが、いつの間にか身の程知らずな戦線の拡大をもたらすことになってしまったのである。

現在の視点で見れば、欧米列強に対抗して、アジアに「進出」し、近代化を指導するという発想そのものが、その地の主権を奪う帝国主義、植民地主義だという批判はありうる。

だが、そういう意図すらかなぐり捨て、1937年7月に突然日本人がバカなサディストになった、あるいは元々日本人が持っていた「本性」が露わになったのだなどという「説明」は、どうしても納得しかねる。なぜ日本が無謀な戦線の拡大をしなければならなくなったのかという「説明」には、通州事件の衝撃が欠かせないのだ。

日本人の妻を持つ文化人類学者ジャレド・ダイヤモンドは、近著『昨日までの世界』(日経ビジネス文庫)で、ぼくらが属する近代国民国家と、1万年以上続いた伝統的社会(小規模血縁集団、部族社会、首長制社会)との違いを考察している。そして、様々な証拠に基づき、戦争についていくつか重要な真理を提起する。(第二部第3章~第4章)

1.伝統的社会は平和な原始共産制だったというルソーに始まるナイーヴなイメージは、思索による推論に過ぎず、実際には伝統的社会では戦争が絶えないこと。

2.伝統的社会(部族同士)の戦争における戦死者の全人口に占める比率は、近代国家間のそれよりも多いこと。(例:ここ100年間に観察されたパプアニューギニアのダニ族の戦争での年間平均死亡率は1%、ドイツは0.16%、二度も原爆を落とされた日本は0.03%)

3.伝統的社会の戦争は、指揮系統や戦術もなく男全員が弓矢や槍で戦い、戦争が終われば生業に戻らねばならない。戦争の目的は対立部族の成員を殺すことである。近代国家には職業軍人や武器開発者がいて、殺すことではなく、政治目標を達成するために計画を立て、準備をし、統制をとって戦術的に戦うので圧倒的に強く、戦死率も低くなる。人類が血縁小集団から部族社会、首長制社会、中央集権国家へと発展していったのは、これが主たる動機ではないか。

4.伝統的社会でも近代国家でも、戦争を始める動機は「報復」である。伝統的社会ではA部族の誰かが殺され、豚と女が奪われたら、その報復のために相手のB部族を殺し、豚と女を奪う。するとB部族はその報復のために、A部族に攻め入る。この連鎖でいつまでたっても戦争は終わらない。

5.伝統的社会で部族戦争が終息するのは、圧倒的に強い中央集権的な国家の警察権に従うか、部族間の戦力が拮抗したときである。

この5つは、ぼくが順不同に抜き出したものだから、詳しくは原著を当たっていただきたいが、日本を泥沼の日中戦争に引きずり込んだのは、まさしく通州事件への「報復」感情だったと思う。

そして、戦後の日本が新たな戦争に巻き込まれなかったのは、あれだけの大被害を受けたのに戦後70年間「報復」することがなかったからだと思う。それは、一部では「戦争責任」があるといわれる昭和天皇が、玉音放送で「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び…」と国民に呼びかけ、戦後は一切の政治権力を持たない「象徴」として、日本全国を行幸して歩いたことに、国民全員が涙し、従ったからだ。

それを、素晴らしい、有り難いと思う感情は、やはりネトウヨなのだろうか。

 

だが、こういう「説明」を一方的に子どもに押しつけることは、本当はよくないと思う。

日本政府はこう言っている、中国政府はこう言っている、韓国政府はこう言っている、朝日新聞はこう言っている、産経新聞はこう言っている、「新しい歴史」教科書はこう言っている、他の教科書ではこう言っている…。という具合に、同じ歴史事象の「説明」を併記し、誰が真実を言っているかを考えさせることこそ、本当の歴史教育だと思うのだ。

メイトさんなら、BABYMETALがテレビの宣伝によってつくられたアイドルではなく、ファンカムやライブで見て、本当にかわいく、本当に歌が上手く、本当に演奏がすごく、本当に数万人が熱狂するということを知っているだろう。

このブログで何度も書いているが、BABYMETALはネット時代だからこそ存在しえた。

もし、つい10年前までそうだったように、テレビと新聞と雑誌しかメディアがなかったなら、タイアップ露出の少ないBABYMETALは、決してビッグにはなれなかっただろう。

いや、海外の大人気に比して、BABYMETALは日本ではいまだにビッグではない。

2017年9月現在においても、日本の主要ロック雑誌が、サマーソニック幕張で「ついに、ついにここまで来ました!」と叫んだSU-METALと、それに呼応して巨大なサークルピットをいくつも作った3万人の歴史的ライブを一言も報じないという異常事態がこの国にはある。

テレビ局が、新聞社が、雑誌社が、自分たちの認めるものしか報じないという時代が続いていたなら、BABYMETALはここまで大きくなれなかった。今のPasscodeや、ゆくえしれずつれずれや、ゆるめるモ!と同規模のマニアックなファンベースに留まっていただろう。

しかし、今はネットがある。海外にも直接つながる。

無数のネットユーザーが、マスメディアの恣意的な報道方針をすぐに批判できるし、マスメディアが報道しない情報をどんどん自分たちで発信することもできる。

そして、それもまた、真実かどうかのふるいにかけられる。

つまり、ウソや偏向は見抜かれ、本物だけが支持されるのが、インターネット時代なのであり、BABYMETALは本物だからここまで生き残っているのである。

そしてそれを見抜いたのが、皆さん方メイトさんたちなのだとぼくは思っている。

往々にしてウソは真実の中に潜み、全体の意味を変えてしまう。

ウソを見破り、本物を見抜くリテラシー。それを教えるのがこれからの国語教育であり、社会科教育の役割だと思う。

ちょっとだけ例を挙げる。

新聞記者がイロハとして教わる5W1Hという言葉。

いつWhen、どこでWhere、誰がWho、何をWhat、なぜWhy、どのようにしてHowという記事の必要条件を示した言葉だが、読者としては、この中のWhyに関しては疑ってかかるべきだと思う。ほかのWはすべて事実だが、Whyは話者自身が語っていない限り、記者の主観でその理由を推測しているにすぎないからだ。

例:昨日、北朝鮮国営放送で、金正恩がミサイル発射に際し、国際社会を挑発するため、終始笑顔で、開発者をほめたたえる映像が流れた。

この「国際社会を挑発するため」の部分は、「終始笑顔」だった理由Whyを説明しているが、よく読むと記者の憶測であるから、信じてはいけない。

また、主語をきちんと読み分け、誰が言っているのかを見抜く訓練も必要だ。

例:昨夜、安倍総理大臣は、総理官邸前の記者会見で、改憲の意向を改めて強調したうえで、解散総選挙の方針を述べ、この選挙は安全保障選挙だと述べたが、政治の空白によって、山積する他の問題がなおざりにされることが懸念される。

「…この選挙は安全保障選挙だと述べた」までが事実であり、「政治の空白によって、山積する他の問題がなおざりにされることが懸念される。」というのは、一見事実の続きのように見えるが、実は単なる記者の意見に過ぎない。

 

YUIが「ちっちゃくないもーん」と言い続け、本当にすらりとした美人に成長したように、メルカトル図法のウソと、戦後70年にわたるWar Guilt Information Programの思い込みから解放されれば、日本はちっぽけな島国ではなく、ドイツからスペインまでの西ヨーロッパ全土に匹敵するほど大きな国土と多様性を持った国であることがわかる。

日本国憲法は、武装解除を目的としたGHQ原案を逐語訳したに過ぎないが、それを改正しないことを選び、日米安全保障条約とセットすることで保たれてきたのが、日本の平和と繁栄の70年間だった。それが今や、北朝鮮のロケットマンの登場によって、どうしたって一度見直さねばならない状況に直面したのだとぼくは思う。

ミサイルをバンバン撃ち、6度も核実験を行い、こともあろうに広島・長崎に原爆を投下されたわが国に対して「4つの島を核攻撃によって沈める」と恫喝する金正恩に対して、ぼくの中に沸き起こってきた感情は、あなた任せではなく、日本自身がこの日本を守らねばという気持ちだった。

それも核兵器を持つことにより「報復」を前提とする抑止力ではなく、日本らしい技術力を生かしたハイテク迎撃システムで、誰も死なず、核ミサイルを無力化してしまう方法で。

だから、その気持ちに正直に、北朝鮮が日本の領空を通過する弾道のミサイルを撃ったら迎撃してしまえと言い、ネトウヨといわれようが、なぜそう思うに至ったのか、自分史や教育論を交えて説明してみた。

もちろん、こんなのは紆余曲折を経た57歳のオジサンの意見に過ぎず、まともに取り合ってくれる方がいるとも思えない。

しかし、本物を見分ける目をもってBABYMETALファンになったメイトさんたちなら、長い間の思い込みに縛られず、自由に、真摯に、北朝鮮問題を受け止め、日本の安全保障を考えられると思う。その一つの契機になればと思い、あえて長々と連載してきた。

これでもうオシマイ。

次回からは、巨大キツネ祭りに備えて、BABYMETALに専念します。

(この項終わり)