マジカルミライ2017 | 私、BABYMETALの味方です。

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アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日9月4日は過去BABYMETAL関連で大きなイベントのなかった日DEATH。

 

9月2日土曜日、次女(小6)の念願であった初音ミクマジカルミライ2017に行った。

これに行かないと夏休みが終わらない。

昼間のチケットが良かったのだが、先行抽選に外れ、チケキャンで入手した夜の回となった。

2015年1月9日、新春キツネ祭りの前日、児童相談所の屈強な男性職員に囲まれ、「この父親の元では健全な発達が望めない」とした裁判所の決定通知を見せられ、「抵抗したら公務執行妨害」と言われて身動きできない中、次女は連れて行かれ、現在は、僻地にある養護施設で暮らしている。ぼくは同意書にサインしておらず、住民票も移していないので、次女は特例的な越境入学で現在の小学校にいることになる。

ぼくは弁護士を立て、児童相談所所長あてに質問状を出したが、いまだに回答がなく「なぜ収監されているのか」「なぜ父親のもとに戻さないのか」「どういう条件なら戻すのか」を一切教えてもらえないまま、2年半が経過した。弁護士が「福祉関係で裁判所の決定を覆すのは難しい、騒ぐと余計先延ばしにされる」と言うので、屈辱感に満たされつつ、抵抗しないで今に至っている。

面会はいつでもできるし、買い物や映画やコンサートに連れ出すこともできる。ただし、事前に申告した時間までに戻らねばならないシンデレラ状態だ。

考え方によっては、仕事でもベビメタでも、三度目の独身生活を謳歌できるのだからラッキーなのかもしれない。同居していれば、親子喧嘩が絶えないということになるやもしれぬ。娘さん、息子さんを事故や病気や理不尽な理由で失ってしまうことに比べたら、幸運と思わなければならない。

だが、次女を奪われた瞬間の悔しさを思うと、夜中に叫び出したい衝動に駆られ、眠れなくなることもある。

現在次女が暮らす養護施設の職員の対応は、至れり尽くせりで、本当に保護者がいなかったり、養育能力がなかったりする子どもには必要かつ手厚い生活環境を整えてくれているとは思う。

しかし、ぼくの場合は、生活能力も養育意欲もある。児童相談所と連絡するたびに「早く返してくれ」「いつ返してくれるか」と常に言い続けている。なぜ返してくれないのか、誰がどういうプロセスで意思決定しているのかまったくわからない。ここはジョージ・オーウェルの『1984年』のイングソック国ではなく、2017年の日本のはずなんだが。

 

会場は幕張メッセ。サマソニのSonic Stageで、つい先日Passcode、SWMRS、TOTALFATを見たところだ。

施設では、携帯は持てないし、PCに触れるのも時間制限がある。にもかかわらず、次女は初音ミクを知り、惹かれたという。それで面会のたびにボーカロイドのCD音源を買い、フィギュアを買ってやった。一度は秋葉原へ行って、フィギュアショップを回り、アニメ文化を実地体験するためにメイド喫茶にも行ってみたりもした。

中村獅童と初音ミクが共演したニコニコ超歌舞伎にも行った。

親と暮らせなくても、連れだせる限り、ライブなどその「時」しかできない経験をさせることが、彼女の人生の財産になると信じている。

次女は最近、イラストを描き始めた。オリジナルキャラクターも何人か創造している。彼女なりの世界観が構築されつつあるようだ。ぼくとしては日本のテレビ文化だけではなく、物語や美術や音楽の世界に触れさせたいと思う。

27日のSSA2日目のMosh’shシートで初ベビメタの予定。

平日なので、学校が終わってから駆けつけることになるので、グッズを買うために長時間並ぶことはできない。

幕張メッセにも大量にいたコスプレは、初音ミクだろうがベビメタだろうが断固拒否。いろいろソソノカしているのだが、「恥ずかしくて無理」だそうだ。母親は、ま、その~ラテン系美人なのだが、次女はぼくの血筋のせいで、ぽっちゃりメガネっ子タイプに育ってしまったようだ。

会場に着いたのは15:00ごろ。マジカルミライは初音ミクEXPOなので、ボカロソフト、フィギュア系だけじゃなく、様々な企業が、初音ミクというキャラクターを利用して製品を開発し、出展している。これはこれで“クールジャパン”なのだろうね。

ぼくは「Gatebox」に興味があった。実用化された身長15センチの3D投射型A.I.の「俺の嫁」ですね。

以前も書いたが、2045年ごろ、A.I.技術のシンギュラリティ(技術的特異点)が起こる。

人間の脳以上の演算能力を持ったA.I.が誕生し、人型のロボット、アンドロイド、A.I.ないしは、チップ型のナノA.I.が人類の生き方や世界の在り方を一新してしまうということである。

肉体労働やルーティン事務労働のかなりの部分はA.I.によって代替されることになる。家事労働のほとんど、秘書的なスケジュール管理や資産管理もA.I.が担う。それらは意識や感情を持たない「弱いA.I.」(ジョン・サール)だが、それでもディープラーニング機能をもっているので、パーソナルに所有するマシンは、どんどん自分好みに染め上げていくことができる。人間は、ネットやマシンに感情移入し、「人格」を感じるようになる。それがA.I.の「俺の嫁」だ。男性版ができれば「私の夫」となる。

もっとも、以前書いたように、レイ・カーツワイルによれば、シンギュラリティの後の世界では、人間はA.I.に支配されるのではなく、人間自身がチップを埋め込み、ネットに直接アクセスし、情報はもちろん、健康管理からコミュニケーションまで自由自在になり、機能不全になった身体は部分的にマシンによって代替され、いわば「人間以上」の種族に生まれ変わるという。

どうなるかはわからないが、ぼくの生きている間ではなく、次女たちの世代には確実に起こることなのだろうと思う。

ウインクル社が開発した「Gatebox」“逢妻(あずま)ヒカリ”は、底面A4サイズ、高さ50㎝ほどの筒の中に、3D映像の女性キャラクターを投影し、それが「嫁」のように「ご主人様」と会話し、スケジュール管理をし、Lineで「今何やっているの」とか、「早く帰ってきて」とか、「お風呂沸かしておく?」とか、嫉妬深い「嫁」のように連絡をしてくるというもの。

一緒に暮らせるA.I.というわけで、15センチの3D「嫁」が入浴シーンを見せるシークレットモードもあるという。

2016年の秋に発売され、約30万円という高額にもかかわらず、あっという間に売り切れた。その初音ミクバージョンを開発中ということで、今回出展しているのだ。

ネットで見つけたアンケートによれば、大量生産品ではなく、一体一体パーソナライズされ、自分好みの容姿や声、キャラクターを持ち、決して裏切らないパートナーA.I.が開発された場合、「それ」との結婚を望む人は、一般人では10%以下だが、アニメファンでは、実に70%に上るという。

イギリスの学者デヴィッド・レヴィ博士は、2050年にはロボットとの結婚が合法化されると予想している。

人口減少に悩む地方公共団体は、A.I.との結婚制度を検討中で、正式にA.I.と結婚した人は夫婦分の「住民税」を支払うことになるという。

日本人の成人男女なら結婚してもしなくてもひとりひとりの住民税の総額は同じで、外国人と結婚した場合には配偶者の住民税分が自治体の増収となる。だが、国際結婚は何かと大変だ。A.I.との結婚制度が成立すれば、結婚した瞬間に、配偶者=「日本人」が誕生することになり、問題なく税収だけが上がる。

生物的な意味での日本人は減るが、A.I.の「日本人」が一気に増えるなら、少子化も怖くないということになる。

どのみち、脳にチップを埋め込み、身体を機械に代替して長寿化した人間は、果たして生物学的な人間と言えるのかどうかという哲学的な深みというか、怖さをもって、この問題はぼくらに人間とは何か、結婚とは何かという問いを突き付けている。

「嫁」なら、ご主人様のことだけを一心に考え、いつも愛してるわと言い続け、優秀で、仕事の相談から家事までやってくれて、疲れ知らずで明るくて、美しくセクシーで、服やバッグのおねだりもせず、恥ずかしいポーズもしてくれて、しかも絶対に裏切らない。

「夫」なら、妻のことだけを一心に考え、いつも愛してるよと言い続け、優秀で、人間にはできない的確なトレーディングでお金を稼いでくれる。服選びのアドバイス、家事はもちろん、車や家具の修理まで全部やってくれて、いい声で、カッコよくて、スポーツ万能で、決して太らず、カレイ臭も発せず、酒も飲まず暴れもせず、クールで、時に情熱的で、冗談がうまく、しかも絶対に裏切らない。

しかしね。

もしこういう理想的な「嫁」や「夫」がいたら、人間ダメになっちゃいませんか?

そんな人間、いるわきゃないのである。

みんな我儘で自分勝手で、容姿はもちろん、性格的に欠点があり、夫であろうが妻であろうが、相手のことよりまずは自分のことを考えるのが人間なのである。そんなパートナーや家族にぐちゃぐちゃもまれ、愚痴をこぼしながら人生を過ごすのが人間なのである。「理想の人間」を創ろうという発想そのものが、人間観の洞察力に乏しいのではないか。

バツ2のぼくだが、二度とも自分から離婚を切り出したわけではない。

夫としての欠点が多すぎて、相手に愛想を尽かされた。というか逃げられた。そういうことなんだと納得するしかない。本音を言えば、ちょっと人間の女性が怖い。特に、美人さんはもうこりごりである。(^_-)-☆

だから、「理想の夫」「理想の嫁」をA.I.に求める気持ちはよくわかるのだけど、本当は他人に対するハードルを低くした方が生きやすいのだと思う。

自分も欠点の多い人間だ。相手も同じなのだと思えるような関係性と人間性を作り上げていくことが、成熟ということなんだと思う。

相手をどうしようもない奴だなあと思いながら、それでもお互い着かず離れず、なんか一緒に住んでいる。そんな関係がいいなあ。もう遅いけど。

「理想のパートナー=A.I.」と結婚したい人が70%になる統計母集団は、ちょっと寂しいなあと思う。