テレビvsライブキッズ(2) | 私、BABYMETALの味方です。

私、BABYMETALの味方です。

アイドルとメタルの弁証法
-May the FOXGOD be with You-

★今日のベビメタ

本日8月26日は、2015年、ドイツ・フランクフルト公演@Batschkappが行われた日DEATH。

 

昔から新聞に出ないジャンルとして「プロレス」があった。

戦後の草創期にはアメリカ仕込みの「プロレスリング」として、新聞社が後援し、NHKで放映されたこともあったが、力道山対木村政彦の凄惨な試合の後から、スポーツではなく“八百長”、“TVショー”だとして、その試合結果を新聞が報道することはなくなった。プロレスを“報道”し続けたのは東京(大阪)スポーツと専門誌だけだった。

だが、これによって、新聞に書いてあるからニュースなのではなく、新聞社がニュースだと考えて記事にするものがニュースになるのだということがよくわかった。

政界で何が起こっていようが、株価が乱高下しようが、トイレットぺーパーがなくなろうが、第一面に「猪木鉄拳制裁!シンの腕折り!」「ブッチャー反則血笑!」の特大文字が躍るトウスポは、ある意味メディアの鑑なのである。

それは、朝日新聞を「ブル新(ブルジョワ新聞)」と呼ぶ中核派の機関紙「前進」の一面が「○○総決起集会に人民大衆の力を結集せよ!」という呼びかけだったり、「カトリック新聞」が、神の代理人であるローマ教皇の回勅を一面に掲げたりするのと、まあ同じことである。朝日新聞はああいう新聞であり、産経新聞はそういう新聞なのである。ニュートラルな新聞などどこにもない。学校で「新聞を読みなさい」というのは半分正しく、半分間違っている。ニュートラルに世界中で起こっている事実を知りなさいというなら、少なくとも立場の違う新聞を複数紙読ませるべきである。そんなことは一般家庭では無理だから、興味と関心に応じて、必要なら購読しなさいというのが正しい。ネットニュースで済むならそれでいいし、ほとんどの学生はそうしている。こうしたことに無自覚なのは教師の方である。

同じように、昔からテレビに出ないジャンルとして「ロック」があった。

テレビやラジオが普及する前から、音楽はホール、クラブ、キャバレーなどのステージで生演奏されるものであり、TVプログラムとしての歌番組は、そのごくごく上澄みをかすめたものに過ぎない。しかし、全国津々浦々に一斉放送されるテレビに出ることが、国民の誰もが知る人気者になる=レコードが売れて莫大な収入を得る必須条件になってからは、テレビに出ること、その最高峰としての年末のNHK紅白歌合戦に出ることそのものが、多くの歌手の目標になってしまった。その副産物として、歌はうまいけどヴィジュアルが…という歌手はテレビにはほとんど出られなくなった。逆にヴィジュアルが良く親しみやすければ、多少歌が下手でもテレビでは人気者になれた。これが「アイドル」発生の要因だ。

こうした状況に背を向け、反商業主義を標榜し、「ライブに来てくれるお客さんを大事にする」というポリシーから、テレビに出ないことを宣言するアーティストも現れた。70年代反体制フォークシンガーたちがそれである。

もっとも、ニューミュージックと呼ばれるようになった70年代中盤以降には、南こうせつとかぐや姫、海援隊、イルカ、ユーミン、SASなどテレビの歌番組に出ることを厭わないアーティストが続々と登場し、井上陽水は車のCMに出て「お元気ですか~」と微笑み、とんねるずとコントを演じ、よしだたくろうもKinkiキッズとMCを務める番組に出るようになった。現在一切マスコミの前に現れないのは、岡林信康くらいだろう。

それとは若干理由が異なるが、海外のロックバンドはテレビに出ないものだった。

前にも書いたが、UHFでMTVが始まる前には、NHK総合の「ヤング・ミュージック・ショー」だけが、海外のロックバンドが生演奏している映像を見られる唯一の番組だった。

ぼくは、ローリングストーンズも、クリームもディープパープルもレインボーも、ELPもピンクフロイドもイエスも、シカゴもジャニス・ジョプリンもオールマンブラザースバンドもドゥ―ビーブラザースもNHKで見た。これは、海外ロックバンドの出演料やら映像使用料がめちゃ高く、民放ではペイしないからであって、何らかの主義主張でそうなったわけではなかろう。

ただし、テレビは不特定多数の視聴者が見る公共の電波を使うメディアなので、放送法という法律によって、「公序良俗」を守り、政治・宗教においては「不偏不党」「公正中立」でなければならないという規定がある。ライブで蝙蝠を食っちゃうオジー・オズボーンとか、ステージでウ○チをしちゃうフランク・ザッパとか、英語とはいえ卑猥な言葉や差別用語を叫び続けるブラック/デスメタルバンドとかが出演できるわけもない。

もっとも、’70年代~’80年代の日テレやテレビ朝日や東京12チャンネルでは、毎週血まみれのレスラーの殴り合いがゴールデンタイムのお茶の間に届けられていたわけだが。

こうして、ぼくのようなロック少年は、学校の授業とテレビの歌謡曲番組だけが音楽の全部ではなく、反体制フォークや海外のロックという広大な世界があるのだ、ということに気づかされた。

年代的にぼくより一回り下と思われるKOBAMETALも、最初はテレビに出てきた聖飢魔ⅡやX-Japanに度肝を抜かれたとしても、その後は、テレビに出ない海外のHR/メタルバンドこそ本物の音楽だと感じ、LP/CDを聴きまくり、大学時代にメタルバンドを組んだのだと思う。一部上場企業のサラリーマンプロデューサーとなってからも、幾千の夜を超えてメタルへの愛を保ち続け、海外のフェスに足を運び、ラウドロック担当から異動でバラエティ担当となったとき中元すず香に出会い、水野由結と菊地最愛を加えて一か八か、「アイドルとメタルの融合」BABYMETALを結成するに至った。

根っからのテレビ業界人である秋元康や、プロレスファンで、俳優・モデル事務所スターダストの社員からももクロのマネージャーになった川上アキラとは、ロック/メタルであることへのこだわり=テレビに対するスタンスが違うのは当然だ。

 

年のせいなのか、それとも本当にコンテンツが劣化しているのかわからないが、とにかくぼくにとって、地上波のテレビをダラダラ見続けることは“時間と電気代の無駄”でしかなくなった。基本的には、WOWOWでライブやスポーツを選んで見るか、YouTubeにアップされて興味を惹かれた番組しか見ない。

休みの日、たまった洗濯物や掃除や草刈りやおかずのストックを作りながら、ダラダラとテレビをつけっぱなしにしておくと、旅番組や街ブラ番組や番組予告番組やドラマのメイキング番組が流れてくる。見るともなくそれらを見ていると、どこかへ出かける気力がどんどん失せていく。クイズ番組にはついつい答えてしまうのだが、ぼくはコンサルタントとして無駄な雑学を随時更新しているから、クイズで新しい知識を得ることは少ない。正解できない芸能人にイライラするだけだ。嫌なオヤジだな。

テレビ離れが進んでいるという。http://www.garbagenews.net/archives/2020115.html

だが本当は、世帯比率に過ぎない視聴率より、視聴者の絶対数の方が問題だろう。

家に居ても、若者は見たい番組がなければテレビを見ない。常時見るのはネットである。

子どもを持つ家庭の平均世帯収入および子どもが享受できる可処分所得は下がっているので、中高大学生は本当にお金がない。今は、基本全部スマホやタブレットで事足りるから、本も漫画もCDも買わない。DVDを借りることもしない。それらを消費できる余裕がでてくるのは、20代-40代の独身社会人に限定される。

社会人になっても、独身のうちは、出かけるときはヘッドホンで音楽を聴き、動画を見るから、車は買わないで電車で移動する。

こういうライフスタイルを非難するのは間違っている。政府や企業は、90年代後半から、しきりにペーパーレスのエコを推奨していたのだから。

しかし、彼らが家に閉じこもっていると思ったら間違いである。

昔は「ぴあ」(1972-2011)や「東京ウォーカー」といった週刊のイベント情報誌でしか得られなかったイベント情報が、ネットで簡単に手に入るから、関心のあるフリーイベントや、コストパフォーマンスの高いイベントには頻繁に出かけていく。

若者たちはもちろん、中高年でも、休日に家に居て、受け身でテレビや映画のDVDを見るのは、何かをしたくても金がないという理由からやむなくそうしている人々であり、お金と時間に余裕のある独身社会人および、子どもたちが巣立った後の現役世代は、スポーツや趣味や旅行といった生の体験型イベントに価値を置くようになっている。

スポーツイベントやロックフェスに何十万人も集まるというのは、その一つの表れだろう。大規模ロックフェスは、いくつものお気に入りバンドが生で見られる、年に一度のお祭りで、コストパフォーマンスは高い。

新聞の購読者数も1997年をピークにどんどん減り、今は1956年の発行部数と同じくらいだという。http://www.garbagenews.net/archives/1886548.html

若い世代は、購読料が高く広告だらけで、結局ゴミになる新聞は購読しないから、毎朝、新聞を読み、テレビをつけっぱなしにしている「マスコミ大衆」の実態は、そういう習慣で生きてきた、ずっと家に居るお年寄りだけだろう。

あと十年もたてば、悲しいかな、この世代は徐々にいなくなっていく。

その間、すでに大きな影響力を持つようになっているインターネットの情報発信力は、動画インフラ、コンテンツ利用権等の法的整備などを経てますます大きくなるだろう。

というか、現在すでに、ネットのサイト間ないしコンテンツホルダー間、さらには個人の情報提供者についても、「番組や記事が信用できるかどうか」というユーザーによる過酷な選別が始まっている。そこでは、名のある旧メディア系のサイトが特に有利なわけではない。

異業種の会社が経営資源を注入して動画配信番組を積極的に流す新興メディアとなっているケースもあるし、クラウドファンディングの手法を使って情報発信をしているグループも多い。そしてさまざまな陣営が、いいね!合戦や、特定サイトへの中傷や、信用失墜キャンペーンなどを日々戦っていることを知るべきだ。

正直、このブログですら、その対象になっている節がある。もっともぼくは1960年生まれのバツ2のBABYMETALオタクで、なんらかの政治的主張をもとに読者を誘導しようとしているわけではない。年齢相応の経験から、できるだけ誠実に、見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたことを書き綴っているに過ぎない。

信じるか信じないかは、あなた次第DEATH。

で、今日ここで言いたいことは、少なくともぼくの実感では、休みの日、家でゴロゴロテレビを見ているより、丸一日フェスの会場でくたくたになりながらも、数千人、数万人の若者といっしょに「♪イェーイイェオ」とか「♪Woowoowoo」と叫び、ヘドバンし、ジャンプしていた方が、圧倒的に楽しいということである。

もっとも、こうした楽しさを追いかける若者、Dickiesを履き、ツーステを踊る、いわゆるライブキッズと、ぼくらオジサンとの世代ギャップは大きい。彼らも、急速に増えているぼくらライブオジサンを胡散臭く思っているだろうし、ぼくらも明るいタテノリのポジティブ・パンクもしくはポップ・ロックに「ロック=不良だった昔と違う…」と内心思っていることが多い。ちなみにDickiesはフィリピンでも人気の若者ブランドで、ぼくはパンツ、Tシャツ、アンダーウェアなど、十数年前から愛用しているのだけど。(^_-)-☆

いずれにせよ、ネットに常時つながり、膨大な情報を選択・発信する一方、物を所有したがらないからといって、彼らが青白い未来人だというわけではない。スポーツイベントやロックフェスにフィジカルな体験を求めて集まる彼らは、むしろ非常に健康である。

むしろ家にこもってテレビやDVDを見ている人たちの方が、筋力が落ち、ぶよぶよになっているのである。

もう、勝負は見えている。

これまで、新聞・書籍の印刷・発行や、番組制作・放送電波帯の寡占という、主に技術上の限界から、マスコミは、独占した情報を取捨選択して編集し、大衆に一方的に下達する特権的な立場にあった。

しかし、情報技術の発達でインターネットという無数の情報提供者を選択できるサイバースペースが生まれ、チケット販売網など、その基盤の上に数万人単位の音楽・スポーツ・趣味のイベント-生身の体験ができる場-が各種開催されるようになった。

こうなると、無料で娯楽を与える代わりに視聴者の内面を支配し、商品を買わせることで成り立っていたマスコミの中途半端さや胡散臭さが鼻についてくる。

「新聞が報道しているから真実だ」とか「テレビに出ているから一流だ」とか単純に信じ込めるのは、「中の人」=関係者と、「マスコミ大衆」=一日中家でテレビを見ている人たちだけだ。

もちろん、ネットの情報は玉石混交である。インチキ情報もわんさかある。

だが、だからといってマスコミの方がいいというわけにはいかない。

管理された安穏より、混沌の自由の方がマシだ。それが人間というものだ。その証拠に、独裁国家ではネットの自由閲覧を絶対に許さないではないか。

そして、民主主義とは、超単純にいえば、人気者が勝つ世界である。

テレビが人気者を作れる時代は終わった。

ももクロは、ネットでの口コミが先行して、視聴率が取れるからテレビに出るようになった。理不尽にもNHK紅白歌合戦「落選」した後も、ライブ動員数は落ちていない。

BABYMETALのネットでの人気は海外にもおよび、テレビにほとんど出ないのに、あらゆるライブのチケットが売り切れてしまう。

レコード会社と広告代理店のサラリーマンが、「会議」や「調査」によって、数十人におよぶリザーブメンバーの中から、CDシングルとタイアップ番組に出演させる「選抜メンバー」の序列を決める「アイドル」と、フードコート脇のミニステージから出発した3人組が、プロデューサー渾身の楽曲とライブの凄さでネットの評判になり、徐々にライブの動員数が増え、6年後にはついに国内最大級のロックフェスのメインステージに上り詰めたのと、どっちが民主的なのか、よーく考えてみよう。

(この項終わり)